十四 準備
死神・ユーリア(秋乃)の視点です。
私の名はユーリア。生まれながらの死神だ。
死んだ人間の魂を回収し、冥府へ送り届けること。それが我々死神の役目である。
死神の世界は甘くない。仕事上の失敗は絶対に許されない。死者を必ず冥府へ連れて行かなければならない。たとえ自分の命を落とすことになっても、任務は完遂されなければならない。死んでも魂を離してはならないのだ。
だが、私は失敗してしまった。死者の魂をうっかり取り逃がしたのである。
それは今から十年ほど前のことだった。
大野美波という名の少女が同級生に刺殺された。私は彼女の暮らす街を担当エリアとしており、 その地域で死亡した人間の魂を回収する仕事を任されていた。
それまで順当にキャリアを積み、出世街道を突っ走っていた私だったが、この時の過失が原因で降格処分を受けることになった。
死神が魂を回収し損ねるというのは前代未聞の出来事だった。あり得ないはずの失敗を私は犯したのである。これを機に私の評価は地に落ちることとなった。
死神を育成する学校を首席で卒業した私は、将来を約束されていた。ゆくゆくは幹部となり、他の死神たちを統べる重要な役割を担うはずだった。
しかし、たった一度のミスで私の人生は大きく狂ってしまった。それからずっと、私は屈辱を味わいながら生きてきた。同僚からは馬鹿にされ、自分を慕ってくれていた後輩も離れていった。「エリート」と呼ばれていたはずの私は「無能」の烙印を押されたのである。
これは失敗の内容があまりにもマズかったせいだ。普通では考えられないようなミスだった。万死に値する。言い訳もできない、話にならない失策を私はやらかした。
いくら嘆いたところで、過ぎたことはもう覆らない。私が大野美波を捕え損ねたという事実は永遠に消えない。
こうなれば、私に残された道はただ一つ。名誉挽回のため、責任を全うするため、「リベンジ」を懸けて戦うことであった。
大野美波の魂は柊春華という女の身体に宿り、現在も生きているという情報を掴んだ。
十年前と姿や名前は違えど、自分のターゲットであることに変わりはない。
死神が人間に直接手を下すことは禁じられているが、宿敵を討つために私は独断で攻撃を仕掛けることにしたのである。
この時のために念入りに計画を立てた。ターゲットの周辺情報についても調べた。
すると、柊春華は魔女と行動を共にしていることがわかった。その魔女というのが、最強・最凶として名高い《闇の魔女》アンネリーゼだったのだ。
これほど強力な魔女がターゲットの味方だとは思いもしなかった。残念ながら、彼女は私が倒せる相手ではない。そのため、闇の魔女との直接対決に持ち込むべきではないと判断した。
どうにかして、闇の魔女を柊春華から引き離すしかない。ターゲットが一人切りになる時間を作るべきだ。よって、まずは魔女を誘い出すことにした
誘い出すといっても、私が彼女の相手をするのではない。勝てる見込みはないのだから当然だ。
闇の魔女を倒す必要はない。時間を稼ぐだけでいい。魔女が柊春華の傍を離れる時間をできるだけ長く作り出すことが目的だった。
柊春華の命を狙う魔女がいるという嘘の情報を私は匿名で手紙に書き、アンネリーゼに送り付けた。
そんなやり方では信じてもらえないかもしれないと思ったが、闇の魔女は疑いもせず食いついてきた。どうやら柊春華のことになると、我を忘れて衝動的に動いてしまうらしい。
こうして彼女を指定の場所へ向かわせることに成功した。
もちろん、アンネリーゼの当て馬も用意する必要があった。そこで私が注目したのは彼女と敵対する魔女たちの存在だった。
魔界では何度も東軍と西軍による戦争が起きており、西軍を率いる闇の魔女によって数えきれないほどの魔女が葬られた。そのため、死んだ仲間の敵を討たんとする東軍の魔女は多い。
戦後、アンネリーゼはその身をどこかへ隠したため、かつて彼女と敵対していた東軍の魔女たちは復讐の機会を掴めずにいた。
そういった魔女たちに対し、私はアンネリーゼが現れる場所を教えた。すると、その魔女たちは打倒アンネリーゼを掲げて団結したのだった。
これで時間稼ぎに必要な段取りは整った。
最強を誇る闇の魔女であったとしても、上級魔法を扱う複数の魔女を相手にすれば、そう簡単に退けることはできないだろう。私がターゲットの柊春華を仕留めるには十分な時間を確保できる算段だった。
しかし、私の計画はどこから漏れたのか、天界の支配人であるチコ様の耳に入っていたようだ。私は柊春華をあと一歩のところまで追い詰めたが、勝負が決する前にチコ様に見つかってしまったのである。
作戦は失敗に終わった。死神が人間を殺してはならないという決まりを破った私は、チコ様から処分を下された。
その処分というのが、人間界で「柊秋乃」として暮らすことだった。
私は人間界で一日一膳を目標とするように指示されたのだが、チコ様は何を考えてそのようなことを言ったのだろうか。
人間の気持ちを理解すること。それが私の課題なのだという。
意味がわからない。死神の仕事はただ人間の魂を運ぶことである。人間の気持ちなど知ったことではない。死神が扱う人間は、もうすでに死んでいるのだから。
「秋乃、今日は学校よ。制服に着替えなさい」
私の目の前には、私をこんな目に遭わせた元凶――柊春華がいる。
皮肉なことに、今私たちは同じ家で暮らしているのだった。
私は学校へ行く準備を柊春華に手伝ってもらっている。
「他の服ではいけないのですか?」
「学校ではみんなこれを着るの。一人だけ違う恰好をしていたら校則違反になっちゃうわ」
面倒なことをさせるものだ。服装など何だっていいではないか。
と思いつつも、人間社会のルールに逆らうことはできないので、私は大人しく制服に着替えることにした。
「どうですか……?」
「うん。よく似合ってるじゃない。可愛いわよ」
半袖のセーラー服とやらを着て、膝丈のスカートを履いてみたのだが、どうにも落ち着かない。そわそわと変な感じがする。
でも、そのうち慣れるだろう。学校では皆これを着ているらしいので、違和感もなくなるはずだ。
「あと、これが名札ね。ちゃんと付けてないと先生に怒られるから、学校にいる間は外しちゃダメよ」
そう言って柊春華は「柊春乃」と書かれた小さな白い札を私の左胸辺りに付けた。
自分の名前を四六時中晒す理由がわからない。一度名乗るだけでは覚えてもらえないのか。人間はそんなに物覚えが悪い生き物なのか。
「はい、カバン。昨日私も一緒に持ち物を確認したから、忘れ物の心配はないと思うけど」
「……ありがとうございます」
通学用のカバンを受け取る。これも学校が指定しているものらしい。必要な物を運ぶだけなら、カバンなど何でもいいと思うのだが。
この世界は何かと決まりが多い。しかも、必要性を疑うようなものばかりだ。合理的な理由があるというのなら、まだ納得できるのだけれども……。
「学校までの道がわかりません」
「大丈夫よ。チコちゃんの設定によると、友達が毎朝あなたを迎えにきて一緒に登校することになっているみたいだから」
「友達……」
「理央ちゃんっていう子だって。あなたと同じ二年二組よ。よかったわね」
柊春華はチコ様の作成した設定一覧が記された紙を見ながら言った。
そこに書かれている情報だけでは心もとない。そんなものでは柊秋乃という人間とそれを取り巻く環境を完全に網羅することはできないだろう。
ピンポーンと音が鳴った。
これは呼び鈴だ。来訪者を知らせるものである。
「理央ちゃんかしら。さ、行くわよ」
私は柊春華に連れられ、玄関へと向かうのだった。
お読みいただきありがとうございます。
感想をお待ちしております。




