十二 思惑
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どうにかチコちゃんの目を誤魔化すことができた私たちは、そのまま廃校となった小学校の体育館を出て家に帰ることになった。
妹の「秋乃」を連れて帰るお姉ちゃんの私。
仲良し姉妹らしく手を繋いで道を歩いてゆく。
「それではお二人とも、元気にやるのですよー」
チコちゃんが手を振りながら私たちを見送る。私と秋乃は苦笑いを浮かべ、手を振り返した。
ああ、本当にやらなくちゃいけないのね、姉妹ごっこ。
念願の可愛い妹ができたというのに、今は全く嬉しくない。どうして私がこの子の懲罰に付き合う必要があるのかしら。
一方の秋乃は、悔しさを顔に滲ませながら、ただ黙って前を見ている。
「はぁ……」
それから彼女は小さくため息を吐いた。
自分は一体何をしているのだろう。そう思っているのは私も彼女も同じだった。
「あの……。そろそろ手、放しませんか?」
数十メートル歩いてから秋乃が言った。さすがに恥ずかしくなってきたようだ。
他の人たちの視線が集まっている。手を繋ぐ私たちの姿を見て、微笑む主婦の姿もあった。
私もだんだん恥ずかしくなってきた。できることなら今すぐ放したい。
だが、ここは我慢するべきなのだ。
「ダメよ。チコちゃんがまだ後ろにいるわ。あの子、さっきから一歩も動かずに私たちのこと見ているもの。もう少しだけこのままにしておきましょう」
「もしかして、演技を疑われているのでしょうか……?」
「んー、むしろ信じているんじゃないかしら。きっと嬉しかったのよ。私たちが仲良くなったって、本気で思っているんだわ。だから、しばらく夢を見させてあげましょう。その方がチコちゃんの信用ができて、あなたにとっても都合がいいはずよ」
完全にチコちゃんの姿か見えなくなるまでは、手を繋いでおくべきだ。ここで急に手を離したら、本当は仲良しではないということを悟られてしまうかもしれない。
「まぁ……それなら仕方ありませんね」
「ええ、仕方ないのよ。私も不本意だわ」
何が嬉しくて死神なんかと……自分を殺そうとしていた相手なんかと手を繋がなきゃいけないのか。
チラッと背後を見ると、まだチコちゃんは立っていた。その姿はかなり小さくなっていたが、まだ気を緩めることはできない。
なんせ彼女は瞬間移動ができるのだ。いきなり目の前に飛んでくる可能性もゼロではない。
「私はこれからどうすればいいのですか? 人間に紛れて生活するなんて初めてですし、見当もつきません」
率直な不安を口にする秋乃。右も左もわからないまま、人間社会で暮らすことになった彼女が戸惑うのは当然なのであった。
ここで私はチコちゃんが構成した秋乃の「設定」について思い返してみた。
秋乃は私の妹である。十四歳の中学二年生。成績優秀で運動神経も抜群の人気者。何もかも完璧な優等生だけど、実はお姉ちゃんのことが大好きな甘えん坊……だったかしら。
これだけではアドバイスはできない。何のアニメに出てくるキャラなの? という感想しか思い浮かんでこないスペックだ。
よって、私はとりあえず、自分が思いついた秋乃の改善すべき点を指摘することにした。
「うーん、そうね。まずは素直になることから始めるべきじゃないかしら」
「……どういうことですか?」
「自分の気持ちを正直に伝える。嘘を言ったり誤魔化したりしない。あと、人の厚意をちゃんと受け取ること。あなたは見栄を張ってしまいがちなのよ。とにかくプライドが高い。ずっとトゲトゲしていたら、誰からも受け入れてもらえないわ」
「別に私は受け入れてほしいなんて思っていません」
「ほら、そういうところよ。あなた、変なところで意地を張るわよね。そういう面倒な人は嫌われやすいの。何の得にもならないから、やめておいた方がいいわ」
彼女は他の死神からも嫌われていたらしいが、その理由が何となくわかってきた気がする。
この子は優秀だから、そのせいで嫉妬されていた面もあるのかもしれない。だけど、嫌われている一番の原因はやはり性格だと思う。とにかく可愛げがない。愛想が悪いのだ。
見た目は可愛いのに、中身が可愛くない。ギャップ萌えの逆を行くようなキャラクターをしている。それが彼女に対する周囲の嫌悪感を増長させているのではないだろうか。
「嫌われることには慣れています。今さら気にしません」
秋乃は空を見上げて言った。
その目はどこか悲し気であった。
「馬鹿ね。あなたは人気者っていう設定なの。人気者は人気者らしく振る舞わなきゃいけないのよ」
「意味がわかりません。設定は設定じゃないですか。どうしてそんなものに従う必要があるのですか?」
確かに設定に沿って行動する義務はないかもしれない。これはチコちゃんが勝手に決めたことだ。秋乃からすれば余計なお世話だっただろう。もっと「普通」のキャラでもよかったのではないかと私も思っていたくらいだ。
けど、チコちゃんは秋乃に「人気者であってほしい」と願っているからこそ、そのようなキャラ付けをしたのだ。よって、ここは彼女の想いや意図をくみ取ることに意味があるのではないだろうか。
「チコちゃんはどうして、あなたが人気者という設定にしたと思う?」
「はい? そんなこと知りませんよ。あのお方の気まぐれじゃないですか? 特に意味などないと思いますが」
秋乃は「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てた。
私たちはいつの間にか手を放していた。チコちゃんの目をすっかり忘れている。
「いいから考えて。あの子はあなたの上司よ。何の思惑も無しに人間界行きを命じたはずがないでしょ」
「思惑? そんなのあるわけないですよ。私なんて数多くいる死神のうちの一人なのですから、あのお方が私一人のことを細かく考えるはずがありません」
「いいえ、違うわ。チコちゃんにとって、あなたがどうでもいい存在なら、更生のチャンスすら与えなかったはずよ。人間の世界で人間として生活するなんていう、回りくどい内容の処分を下した理由があなたにはわからないの?」
私にはわかる。社会に出たこともなければ、部下を持ったこともないけれど、チコちゃんが何を望んでいるのか、その気持ちを推しはかることはできる。
「だから、それはただの気まぐれです」
「気まぐれじゃない。あの子はあなたに期待しているのよ」
「はっ。都合のいい解釈ですね。処分なんて建前でやっているに過ぎません。私がやったことに対して何のお咎めもなければ、他の死神たちに示しが付きませんから。人間界へ行かせたのは、私が邪魔だから姿の見えない所に追いやってしまいたかったからですよ」
鼻で笑う秋乃。彼女はまだ捻くれた考えを捨てないのだった。なかなか頑固な性格をしている。
「あなたがいずれ上に立つ存在だと期待しているから、チコちゃんは成長と挽回のチャンスを与えたのよ。でもその前に、その歪んだ思考と感性を矯正しなくちゃいけない。人間の世界で暮らすように命じたのは、あなたの視野を広げるためよ。そして、人気者という設定にしたのは、嫌われ者ではない人生をあなたに知ってほしかったから」
「本人でもないくせに、どうしてそんなことが言えるのですか? デタラメを並べるのはやめてください」
デタラメなんかじゃない。これは確信を持って言えることだ。
秋乃を思いやるチコちゃんの心が処分の内容に反映されている。彼女は「人間の気持ちを理解しろ」と言っていた。それはすなわち、秋乃のこの先を見据えての発言だったと考えられる。
私は死神ではない。人間だ。なぜ死神が人間の気持ちを理解しなきゃいけないのか、詳しい理由はよくわからない。でも、秋乃が成長していく上で大切な意味を持つということはわかる。彼女の将来を想っているからこそ、そのような発言をしたのだと思う。
よって、今回の人間界行きが秋乃にとってプラスになるとチコちゃんは判断している。期待する部下に経験を積ませたい。知らない世界を見てきてほしい。そういった思惑があるのだろう。
「チコちゃんはあなたを見捨てたわけじゃないわ。帰る場所をちゃんと残してくれている」
「はい。その通りなのです!」
気づけばチコちゃんが目の前に立っていた。
またあの瞬間移動を使ったらしい。
「チコ様……」
目を丸くする秋乃。
今までの会話をすべて聞かれていたのではないかと思い、焦っているようだった。
「ユーリア。私はあなたのことをいつも見ているのです。私にとって、あなたは可愛い可愛い部下であり娘のような存在なのですよ」
幼女から娘扱いされるのって、どんな気分なんだろう……。
「ですが、チコ様。私はとても生意気で自己中心的です」
「わかっているのです。そういったところも全部含めて、私はユーリアを愛しく思っているのです。独りよがりでも、ワガママでもいいのです。最後に必ず、私の元へ帰ってくるならば、それで構わないのです」
チコちゃんは秋乃を抱き寄せて、彼女の頭を撫でた。
「こ、こんな場所で恥ずかしいです……」
「母親が娘をよしよしするのは普通のことなのです」
身体の小さいチコちゃんママだが、その包容力の大きさは計り知れない。
秋乃はチコちゃんに身を任せ、そのまま目を閉じた。
「柊さん」
「何?」
「この子をよろしくお願いするのです」
保護者からの頼みだった。
そう言われてしまっては、もう断るわけにはいかない。
「うん。任せて」
私は答えた。
「立派な死神になるためには、人間の目線で物事を考える経験も必要なのです。人間の気持ちを知れば、きっとユーリアは考えを改めるのです。もう柊さんを襲うことも、自分勝手な理由で人間の魂を狩ることもできなくなります」
「わかったわ。チコちゃんのお願いだもん。聞き入れるしかないわね」
「どうもありがとうなのです」
素直になれない死神の面倒を見るように頼まれてしまった。
彼女が成長するための手助けをする。それが私の役割である。
さっき秋乃は「この先どうすればいいのかわからない」と言った。これは彼女の素直な気持ちだ。素直に助けを求めていたのだ。
その気持ちだけは本物だといえる。
だったら、私はそれに応えてあげてもいいかなと思う。
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