*14* ドアマット妻の逆襲。
ビンタの音に驚いたのか、腕に抱いていたアイリーンがくしゃりと顔を歪める。でもこの状況で泣かせてはまずいと思い、こちらを見て呆然としているマーサに歩み寄り、その腕に愛娘を抱かせたのち、夫に向き直った。
ひぇ――……射殺しそうな目でこっち見るじゃん。
でもそれも当然か。正直この世界の階級とかについては付け焼き刃だ。むしろ前世でも会社勤めをしてたわけじゃないから、縦社会に疎い。部門編集長とか担当編集って一般的な会社だとどういう位置だ……?
うん、考えてみたらこれで打首エンドは充分ありえるな。マーサに対しての態度に腹が立ったとはいえ、自分で自分の死期を早めたかもしれない。とはいえここで死んでたまるか。いくらなんでも退場が早すぎるやろがい。
だったらここで活かすんだよ、作者スキル〝ただのドアマットだと思われていたキャラの、窮鼠猫を噛む台詞回し〟を――!
「わ……私は旦那様と違い、身辺整理をきちんと終えてからここに嫁いでおります。下世話な詮索をされる謂れはありません」
あ、しまった、今のはちょっとあたりが強すぎたか。気の強そうな台詞を組み立てながらのタイピングは、後で声に出して読み直すのが基本なのに。
「――……無礼な。その言い分だと、まるでわたしが不貞を働いているように聞こえるだろう。そんな下衆な行いはしていない」
ほらね。あ、図星突かれると人間って本当にこめかみ引き攣るんだぁ。でも利いてるってことだからここを攻めよう。
「そうでしょうか? では何故シルビア様はあのような勘違いをして、この屋敷に乗り込んでいらしたのです?」
いつも謎だったんだけど、恋愛物のキャラクターって身辺整理してから交際申し込んでこいよ。お前のことを好きだったり、お前が好きだった人間との関係を整理しないでこっちにヘイト案件持ち込むな。
迷惑だろ――と思ってたら、これも図星だったのか「君には関係のないことだ」と凄んできた。いや、大アリだよ。子供産んでるんだわこっちは。
「関係がない……とは申せませんが、まぁその辺りは正直興味もありません。旦那様の心が誰の元にあろうとも、私は買われたお飾りの妻なので」
「――少々口が過ぎるようだな。自分の立場を考えてはどうだ」
「そのお言葉、脅しとして受け取りました。ではまだ男児を産んではおりませんが、離縁しましょうか。そして〝妻として欲しかった女性の代わりにお前を愛することはない。男児を産めば離縁しろ〟と他のご令嬢に申せばよろしい」
よっし、かかった! 冷遇夫はお飾り妻に賢しい返しをされると、キレて脅してくるのがセオリー。これを上手く躱しつつ、殺せないし追い出せない状況を読者に認識させる長台詞を決めるんだ!
「申し上げておきますが、私も初めての経験でしたのでお金欲しさに引き受けましたけれど、出産って死ぬかと思うほど痛くて辛くて苦しいのです。これで愛も労りの言葉もないとなれば、蝶よ花よと育てられてきたご令嬢は心を病んで早晩儚くなるでしょう」
これは本気。子供一人くらいなら産んでみても良いかな~、とか甘っちょろいことを考えていた自分にエルボーをかましたい。一人で精一杯だよ正直。
これで次は男の子or女の子が欲しいよね、とか病室のベッド脇で言われたら、相手の鼻っ柱が折れる力でぶん殴る自信がある。世の男性諸君、口の軽い身内は出産直後の妻に会わせるな。絶対だ。しかし――。
「男とて騎士や高位貴族なら死ぬ思いで身体を鍛える。その間に茶会を開く女だけが辛いとでも?」
これである。流石と言うべきか、ここはステレオタイプの冷遇無能系なんだ。でも確かにお茶会女子=無能。誰が始めたのか知らないけど、テンプレだと絶対出てくる。物書きとしてはテンプレ発案者に一回は憧れるよね。
進研○ミの漫画だと〝ここ、テキストで出てた問題だ!〟とかいって、夏休み明けテストで学年順位めっちゃ上げる見せ場ですね、はい。巻き込まれた門番二人が、雇主のキレっぷりに怯えきってて気の毒ではあるが。
せっかく喧嘩腰ビンタからの長台詞、怒ってる体での部屋に戻らせて頂きます、で乗り切れそうだったのに、氷の伯爵様はお怒りMAX状態。これは煽りすぎましたねぇ。
「それはそれは……殿方とは剣の稽古のたびに、大出血した挙げ句臓器も出すほどの稽古をなさるのですか。知りませんでしたわ」
「減らず口を。よく回る舌だな。これだから教育のなっていない女は――」
おいおいおい、流れるようなモラハラ特攻止めろ。過度な冷遇は読者が脱落しちゃう原因なんだからさぁ。あと本当に腹立つくらい顔だけは整ってるんだよねこの人。創作物あるある、冷遇夫、収入と顔面くらいは良くあれ論。
物語によっては【だが顔が良い(強)】というだけで、ヒロインが絆されてしまうやつよ。でも現実にヒロインの立ち位置を自分で置き換えてやると、普通に顔が良くても無理だな。他萌は自萎え。逆も然りか。勉強になります。
「旦那様? 私がお金で買われたことを、両親が本当に喜んだとでも思いますか。お人好しで領地経営が下手だと評判ですのに」
「だが結局は借金のカタに手放しただろう」
「それは私が強く申し出たからです。両親の本意ではありませんわ」
「はっ、どうだろうな」
会話を打ち切りたいのに、意外と付き合ってリレーしてくれるの何なの。ストレス値を上げて自分を追い込んでいくスタイルですか? 何だか目も最初の頃よりギラギラし始めている気がして怖い――と。
「ふぎゅ、うぃ、ま……まあぁぁぁぁぁ!!!」
「あらあら、まぁまぁ。お腹が空いちゃいました? 大丈夫ですよお嬢様。ナタリア様と旦那様の大事なお話はもうすぐ終わりますからね〜」
「んびゃああああぁぁぁぁ!!!」
絶妙な頃合いで泣き出すアイリーンと、あやしながらチラッとこちらに視線を送ってくるマーサ。愛娘に苦手意識がある夫は露骨に顔を顰めている。これは良い援護射撃を受けたものだ。
「親の不仲を見せるのは子供の教育に良くありませんわ。こちらの荷物はどうぞ、お気の済むまで精査なさって下さい。お済みになったら、メイドへ言付けて下さいませ。では私達は部屋に戻ります」
ふっ、決まった――! この場で思いつく限り最良の捨て台詞も吐けたし、さっさと撤退しよう。これ以上はボロが出る。マーサの腕からギャン泣きするアイリーンを受取り、頬擦りしながら「良い子ね、良い子」と囁きかけつつその場を立ち去った。
本棚は完成させた場所にそのままにしていたけど、今は気疲れした娘のケアが先か。本棚の隣をすり抜ける際は後ろ髪を引かれたが、私の視線の動きに気付いたマーサが「後でわたしが取りに参りますわ」と言うので、大人しく部屋に直帰した。
部屋に戻ってすぐ「わたしのために、あのような無茶はお止め下さい」とお説教を受けたけど、その表情が怒っているというよりは、少し嬉しそうだったから、助けに入ったことに後悔はない。でも――。
「せっかくマーサが苦労して本を持ってきてくれたのに、口答えして旦那様を怒らせちゃったから、下手をしたら明日には離婚されて実家に戻されるかもしれないわね」
「それならそれでよろしいかと。少なくともわたしは狂喜しますわ」
「んにゃんにゃ」
「お嬢様もそうだと仰っていますよ」
「あら、そう? だったらそれでも良いかしらねぇ」
死なないだけで原作脱出が出来るならそれも良いか。そんなことを思って日和るくらいには、ドアマットキャラクターでいるのって難しい。




