百八話 喪失のメロディ
朝、目覚めた時、ほとんどの夢がそうであるように、その内容はほとんど思い出すことができなかった。
なのになぜだろうか。
「たんたた♪ たんたた♪ たんたたたたた♫」
夢で聞いたと思われるメロディーだけを、鮮明に思いだすことができる。
「……俺はこのメロディーを聞いたことがあるのか?」
優しく穏やかで癒される感じの美しいメロディーを口ずさむと、懐かしさがこみ上げてきた。
しかし、それと同時に例えようのない違和感もついてくる。
生まれ育った宿屋や、親父とお袋。
このメロディーは、まるでそれらを否定するように、全く繋がりがないように思えてくるのだ。
「…… たんたた♪ たんたた♪ たんたたたたた♫」
得体の知れない何かが起こっているのではないか。
そんなことを思いながらも、ついつい、そのメロディーを口にしてしまう。
朝食の支度に向かうまで、俺はベッドの上で、何度も繰り返し、そのメロディーを歌っていた。
「ご、ごちそうさん。うち、今日はもうお腹いっぱいやわ」
朝食のスクランブルエッグを半分食べたカルナが、そう言ってクロエの皿に、残した分を入れようとしている。
「ちょっ、カル姉っ、もう無理やからっ、頑張ってやっと食べれたのにっ」
みんな、いつもと同じように食べようとしてくれたが、やはり無理だったようだ。
朝食は、昨日の夜より、さらに酷いものになっていた。
「す、少し塩が多かったようですが、夏バテ対策に分量を増やされたのですね。さすがタクミさんですっ」
レイアがいつもの勘違いをしてくるが、よくわかったな、その通りだ、という気にもなれない。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
料理は、自分にとって唯一、自慢できる本当に大切なものだった。
それが、だんだんと、削られていくように、無くなっていく。
「大丈夫ですか、タクミ様。顔色が優れないようですが」
最初、ここにきた時、料理を絶賛してくれたナギサは、一口食べただけでスプーンを置いていた。
人のために料理を作ってきて、こんなことは初めてだ。
「あ、ああ、大丈夫だ。悪いけどナギサ、朝食を作り直してみんなに出してくれないか。まだ、調子が悪いみたいだ」
「はい、わかりました。すぐに用意致します」
ナギサの作る料理は、薄味で、独特な味付けだが、かなり美味しい。
みんなも、今の不味い俺の料理を食べるより、ナギサの料理のほうが喜ぶだろう。
「なんだ、みんな残すのか? じゃあ、ワタシがもらう」
昨晩と同じく、一人、何も言わずに食べていたアリスが、ナギサやカルナの皿をヒョイと、自分の所に持っていく。
「ア、アリス、無理をするな。それは…… 失敗作なんだ」
「そんなことはない。これはこれで美味しいぞ」
本当にそう思ってくれているのだろうか。
表情が変わらないアリスから、その真意はわかりづらい。
「……ごめんな、なんか、うまく作れなくなったんだ」
思わず口からこぼれた言葉に、食卓が鎮まりかえる。
しかし、それでもアリスだけは、まったく気にせず、黙々と食べ続けていた。
そして、三人分の皿をあっという間に片付け立ち上がり、俺に近づいてくる。
ふわっ、と俺の頬に、アリスの手が添えられた。
「大丈夫だ、タクミ。また、一から作っていけばいい」
挫けそうになっていた心がギリギリのところで踏みとどまる。
アリスと出会った頃、俺の料理はまだまだ未熟だった。
どうして、料理がうまく作れなくなったかはわからない。
でも、それなら、またあの頃の気持ちに戻って、最初からやり直せばいいだけだ。
「……そうだな。その通りだな」
頬に添えられたアリスの手に自分の手をかぶせる。
「ありがとう、アリス」
「あ、ああ、うん、ど、ど、どういたまして」
これまで、表情を変えなかったアリスが、急に動揺してしどろもどろになっていた。
「あ、ああ、ご、ごめん」
そんなアリスを見て俺まで動揺してしまう。
慌ててかぶせた手をどけようとすると、アリスは、さらにその上からもう一方の手をかぶせてくる。
「…………」
「…………」
そのまま、お互い無言で見つめ合う。
それは時が止まったように長く、まばたきするほどの一瞬のようにも感じられた。
「なぁなぁタッくん、みんないること忘れてない?」
「お、おおうっ」
カルナの声に我にかえる。
完全に二人の世界に突入していた。
触れ合っていた手は離れたが、まだ、どこかアリスの温もりが残っていて、なんだかドキドキしてしまう。
「ア、アリス様、そろそろ修業に参りましょう。私、なんだか今日は、思いっきりくたびれるまで、動きたい気分ですっ」
俺の頬に触れてた手を、じっ、と見ながらアリスは動こうとしない。
そんなアリスをレイアが強引に引っ張っていく。
「うちも、死ぬほど暴れたい気分やわ。カル姉、ちょっとド派手に付き合ってくれへん?」
「奇遇やな。うちも早く暴れな、ここでドラゴンになってしまいそうやわ」
クロエとカルナが鬼のような形相で、二人並んで歩いて行く。
「き、気をつけてな」
二人の迫力に押されながらも、なんとかそれだけ言って見送った。
「フフ、モテモテですね。タクミ様」
ジト目で、乾いた笑いを浮かべるナギサに首を振る。
「い、いや、そんなことはない。みんな、俺のことを勘違いしているだけなんだ」
そう、みんなは、俺が宇宙最強だと勘違いしているから、好意を抱いていてくれる。
だけど、本当の俺はちょっと料理が出来るだけの、貧弱なただのおっさんだ。
そして、いまやその料理すら、うまく作れなくなってしまう。
……みんなが真実に気づいたら、誰もここには残らないんじゃないか。
不意にそんな考えが頭をよぎり、今まで感じた事のないような恐怖を感じる。
あれだけ、一人で暮らしたいと思っていたはずなのに、最近はまったくそんなことを考えなくなったことに気づく。
みんなと笑って過ごす毎日が、今は本当にかけがいのないものになってしまっていた。
「本当に大丈夫ですか? タクミ様」
「あっ、ああ、ちょっと考えごとを」
ナギサが心配そうに俺のほうを見ている。
いや、なんだろう。
やはり、ナギサの俺を見る目は、どこか違和感を感じてしまう。
「ごめん、みんな出かけたから朝食はもういいよ。ナギサもゆっくり休んでくれ」
ナギサの視線から逃げるように、部屋に戻ろうとする。
その時だ。
離れていくナギサから、口笛が聞こえてきて、思わず振り返る。
「たんたた♪ たんたた♪ たんたたたたた♫」
洞窟の中が、一瞬で違う景色に変わる。
巨大な鉄の塊が何本もそびえ立ち、その中心に自分がいた。
夜だというのに、魔法ではない不思議な光に包まれ、昼間のように明るく、目が眩む。
「……これは? 夢で見たのに思い出せなかった景色なのか?」
「たんたた♪ たんたた♪ たんたたたたた♫」
ナギサはなにも答えずに、ただ口笛を吹いて部屋に戻っていく。
メロディーが途切れると、夢の景色は消え、自分の中から何か大切なものがなくなっていくのを感じていた。




