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貝殻の御者~言葉に悩む、全ての方へ~

 おやあ、つぶらや君じゃありませんか? どうしました、この世の終わりみたいな顔をして。

 テープにとった自分の声に絶望した? あはは、分かりますよ、その気持ち。

 イケボのお前に何が分かる? いえいえ、僕だって実際にはあんな声なんて、思いませんでしたよ。

 何せ、僕自身が聞いているのは、絶世美少年。聞いただけで、女性の皆さんの理性を奪いそうな、ワイルドボイスですからね。

 お、僕を見下す目になりましたか。ふふ、そうそう、マイナスでもまずはエネルギーを出していかなきゃ。せっかく「動物」に生まれた甲斐がないじゃないですか。

 ほう、挑発ついでに話をしてみろと? いいでしょう、君のいうイケボとやらで、朗々と語ってあげますよ。

 だから、つぶらや君も、できる限り品のある文章で書いてくださいよ。


 なぜ、録音した声と、自分自身で聞いている声との間で差が生まれてしまうのか。つぶらや君もご存知かもしれませんが、骨伝導が関係しているようです。

 体の中の、様々なフィルターを経た自分の声。

 他人に届いているであろう、録音した自分の声。

 前者ばかりを都合よくとらえて、後者をまったく配慮しない、というのも、ちょっと問題があるかも知れませんね。

 それらをすべてひっくるめて、受け止めてくれる誰かって貴重だと思いますよ。つぶらや君も僕に感謝してください。

 むかついてくるから、早く話を進めろ? ごもっともですが、もう少し言い方をですね。分かりましたよ、もう。

 音つながりといえば、大きな貝殻を耳に当てたことはありますか? あれによって聞こえる「海の音」とも形容される振動。あれも声と同じような現象が起きているそうです。

 自分の内側を流れる体液の音が、貝殻の空間に反響して、自分に返ってきている。自分の耳とかを手で包み込んでも、海の音に近いものが聞こえますよ。

 そして、これから話すのは、貝殻集めを好きになった、ある子どもの体験です。


 その少年が貝殻を集めるようになった理由。それは学校での同級生たちによるいじめが原因だったみたいです。

 少年はみんなが十のことをできる間に、三や四をこなすのがせいいっぱいの子だったそうです。

 同級生にはからかわれ、先生には怒られて、家の人からは「もっと真剣にやりなさい」と怒鳴られる始末。

「一生懸命」は、他人の評価が伴わないと、認めてもらえません。

 そして、認められない「一生懸命」に疲れた少年は、貝殻を集め始めました。家に帰ると部屋を閉め切り、「海の音」で耳の中を満たしたとのこと。

 いかなる雑音も届かない、深い水底への憧れが、少年のただ一つの癒しだったのです。


 いくつの昼と夜が過ぎたでしょうか。

 少年は目を覚まし、繰り返されるであろう一日の始まりに憂鬱さを漂わせながら、着替えを始めました。

 しかし、母親はご機嫌です。そして朝食は少年の好物ばかり。


「今まで、辛いことをいって、ごめんね」


 食事の席で、彼女の言葉を聞き、少年は感じたことのない、何かが心に芽生えるのを覚えました。

 

 学校のクラスメートたち。昨日とは全然違いました。


「お前、がんばってるじゃん。スゲーな」

「無理するなよ。たまにはゆっくりしろって」

「本当いうとね、みんな、あなたのこと大好きだったのよ」


 待ち望んでいた評価。免疫がない少年はたちまち、有頂天になりました。

 これが本当の俺の姿だと。浮かれだしたのです。

 しかし、その中でぼそりと


「ウソだがな」


 その声は、低く小さく、しかし確実に少年の鼓膜を揺らしました。

 クラスの最後列。本来誰も座っていないはずの席。そこに見たことのない男の子が座っていました。

 彼の顔は十人並み。ただ貝殻を模したように、巻きながら天に突き立つ、特徴的な髪型をしています。

 少年は彼を一瞥しましたが、すぐにほめたたえる皆の方へ向き直りました。

 自分の耳が汚れる言葉など、彼にとってはもう、どうでもよいものだったのです。


 その日の学校はすべて、彼に心地よいものをもたらしてくれました。昨日までの辛さがまるで幻かと思う、ひとときです。

 あの、彼の存在をのぞいて。


「いつまで、ここにいるんだ」

「ここに、お前の居場所はない」

「お前が消えても、誰も泣かないぞ」


 彼の辛辣な言葉を聞こえぬふりをして、少年は優しい学校の生活を満喫します。

 そして、放課後。

 彼はクラスメイトに囲まれて、ちやほやされていました。全員が自分に近づいてきています。密着してきます。身動きも取れないくらいに。


「早く、逃げるんだ! あれが見えないのか!」


 巻貝の彼が、窓の外を指さしています。ぼんやりと指の先を追う少年の顔から、血の気が失せました。

 彼方から、青が迫ってきます。

 いえ、厳密には大きな波。この学校どころか、山さえも飲み込みかねない大きさのもの。空をまんべんなく塗りつぶしながら、確実にこちらに近づいてくるのです。

 少年は動こうとしますが、周りのみんなは、相変わらず放してくれません。それどころか、この事態を一向に気にしていません。

 変わらず、少年に向けて微笑み、賛辞の言葉を投げかけるだけです。


 もがく少年。波の音がだんだん大きくなってきます。

 ほめられながら、殺される。

 その寸前に巻貝の彼は、囲む人たちをかき分け、少年を救い出します。

 そして、少年を背に負うと、教室を走り抜け、四階はあろうかという校舎の窓から飛んだのです。

 難なく着地した彼の目の前には、巻貝の形をした馬車。

 彼は少年を車の中へと押し込みます。そして、自分は御者台に乗り、手綱を握りました。馬車はそのまま、空に浮かび上がり、猛烈な勢いで天を目指します。

 迫りくる津波。それの更に上を目指して、馬車は疾駆しました。


「二度はない。もう、惑わされるな」


 波からのしぶきを浴びながら、彼は言いました。


「この手綱、次からはお前が握れ」


 馬車と津波が激突しようとした、その刹那。


 少年は夢から目覚めます。

 いつも通りの自分の部屋。うつぶせになったまま眠っていたのです。

 ただ、その耳元には、真っ二つになった大きな巻貝があったとのこと。


 その少年は、どうなったのか?

 さあ、まだわかりません。

 だって、その少年の物語は、今もこうして続いているのですから。



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