第二十七話 クーサの夜
門を通り抜けると、ティグヘフは皮肉っぽい笑みを浮かべた。
同じ笑いでも、先ほどの下卑た雰囲気はきれいに消えている。
僅かな演技であるが、印象はかなり違う。
「連中、それほど莫迦じゃないんで、おれが演技をしていることもお見通しなんだ。だが、乗せられてくれるんだよ。そこらへんは、まあ付き合いだな」
「──複雑なんですね」
「昔は、クーサは人の姿をした魑魅魍魎が跋扈していると言われたもんさ。今でもその名残りが残っている」
城門をくぐると、そこには大きくまっすぐに整備された道が続いている。
王都より立派な石畳の大路に、ザーミーンも驚きを隠せない。
「クーサは歴史ある街だが、職人の技術が発展している街でもあるんだ。だから、意外と昔ながらの建築物が残っているということがない。こういう大路の周囲は最新の建築技術で建て替えられているんだ」
確かに、アレイヴァのような日干し煉瓦の無骨な建物は見えない。
最新式のカラフルなタイルを使った建物が目に付く。
色彩鮮やかな街並みは、まだ若いザーミーンの心を弾ませた。
「あの建物は何なんですか?」
広場には、ひときわ立派で大きな建物がある。
宗教的な意匠がなく、神殿ではないことはわかるが、ザーミーンには想像がつかなかった。
「あれは劇場だ。王国でも、屋根のある大きな劇場はクーサにしかない。セパーハーンにあるのは、野外の円形劇場だろう。ティラーズには、小さな芝居小屋しかないんだ」
「で、でーれー! アレイヴァには、劇場も芝居小屋もないですけん……」
きらびやかな劇場には、役者の絵姿なども貼り出されている。
裕福そうな女性が二人、絵姿を眺めながら楽しそうにお喋りをしていた。
贔屓の役者について語っている姿がうらやましい。
ザーミーンは、王都でも芝居を観たことがなかった。
「──ふん、やはりな」
絵姿から離れたところを見ながら、ティグヘフが一人頷いている。
その視線の先には、公演の予定が貼り出してあった。
だいたい二日に一回くらい、劇団によって芝居が行われているようだ。
だが、何がやはりなのか、ザーミーンにはわからなかった。
「──それで、宿はどうする? 神殿に行けば泊めてはくれると思うが……」
「いや、神殿へは明日行こう。もう少し街の様子を見たい」
ティグヘフには、思うところがあるのだろう。
信仰や戦闘はともかく、人との付き合い方ではザーミーンは役には立たない。
ティグヘフがどうやって人と交渉しているか、そのやり方を見習いたいくらいである。
豊富な知識と経験、資金力、胆力と演技力、人当たりのよさ。
僅か二十歳そこそこで、ティグヘフはどうやってこれらのものを身に付けたのだろう。
あと四、五年で自分がこうなれるとは、とても思えないのだ。
宿を探して街を回りながらも、ティグヘフは何度か頷いていた。
賑やかな夜の大路の人通り、処々で灯されている明るい油灯、酒場の喧騒。
中でも、扉を閉ざした酒場の前では、暫く佇んであちこち眺めている。
「躍る仔馬亭か。今日は店閉めているのか。前に来たときに寄ったよな」
「──ああ。なぜクーサが身動き取れないのか、見えてきた気がするよ」
ティグヘフは、過去と現在のクーサを比較して何らかの分析をしているのだろう。
過去の情報を持たないザーミーンには、その分析結果がわからない。
だが、現状ではまだティグヘフは話す気がないようであった。
その日の宿は、クーサでも一番高級宿に泊まることにした。
夜遅かったのもあり、空いている宿も少なかったのだ。
出された夕食はとても美味しかったが、思ったより種類も量も少なく感じる。
ティグヘフがまた頷いているのを見て、ザーミーンにも何となく感じるものがあった。
「クーサの問題の本質は、これなんですね」
「──ああ。よく気付いたな。ティラーズに比べると、クーサの景気は明らかに思わしくない。ティラーズでは、市場は活気に溢れ、街で物資が窮乏するなんてことはなかっただろう?」
「はい。でも、なぜこうなっているんでしょう。クーサにも、多くの隊商が訪れています。ティラーズと比べて、そんなに劣るものではないと思うんですが」
ザーミーンに、深い商売の知識があるわけではない。
だから、流通を止められたわけではないクーサの景気が悪化する要因はさっぱりわからなかった。
ティグヘフは、小さな薄焼きパンを手に取る。
そして、それをみなに向けて突き出した。
「小麦粉の供給量が少ない。だから、パンも小さくなる。流行っていた酒場も、料理を提供できなくて閉店。夜の油灯も、油の供給が少なくなり半分は点いていない。だから、大路の人出も以前の半分。劇場は大手の劇団一団体だけの公演になり、それも隔日公演。小さな劇団は演劇だけじゃ食べていけないってことだろうな。三十年前の敗戦から復興していたはずのクーサで、これだけ不景気が進行しているってのは問題だ」
「んー、物資の供給はティラーズとさほど変わりないのに、クーサは足りてないのか?」
「クーサは、もともと農業生産が低い。ティラーズ郊外では農耕や牧畜が行われているが、クーサはあまり従事する者がいない。それでいて、都市の規模はティラーズより大きい。消費量は多く、供給量が少ないんだ」
だが、クーサには今まで多くの物資が集まってきていた。
それは、クーサが文化芸術だけではなく、職人技術の高い都市でもあったからだ。
種々の工芸品を求め、多くの商人がクーサにはやってくる。
だから、クーサの経済は活発化し、成り立ってきた。
「供給を外部に頼っているのはわかった。じゃあ、外部からの供給が減ったってことか? 大口の隊商には神官も同行し、水の便宜も図っているのだろう?」
「推測ではあるが、商人の人数が減ったわけではないんだろうな」
オミードがティグヘフのパンを強奪し、むしゃむしゃと頬張る。
彼にはちょっとこの量が物足りなかったようだ。
「問題は、流通だと思う。クーサの門の状況を見ただろう。商人が列を成して並んでいた。商人にとって、時間とは効率だ。あれではいい商売にはならない。ああいうクーサ人の気質が、少しずつ物資の流れを阻害してこの状況を生み出しているんじゃないか」
そう言うと、ティグヘフは大きくため息を吐いた。
ザーミーンの表情も、難しくならざるを得ない。
問題がクーサ人の気質であるなら、一朝一夕で解決できるとは思えない。
ケイヴァーンも、頭を抱えているだろう。
もともと、自分の出兵と敗戦でクーサの経済が悪化したのだ。
それだけに、再度の出兵に慎重になるのもわかる。
「難しく考えないでさ、ティグヘフがホルマガンあたりから食糧運ばせればいいんじゃないの?」
暗い表情の二人を励ますように、ボルールが明るい声を出す。
ティグヘフは卓に頬杖をついて唇を尖らせた。
「おれの商隊はいま、次の出兵に向けてティラーズの食糧供給にかかり切りでな。そう簡単なものじゃないんだ。さすがに、二都市分となると一商会の手には余る。やはり、地元のことは、地元の人間に任せるべきだろうな」
「クーサの商会を訪ねるってこと?」
「ああ。ケイヴァーン老に会う前に、話し合っておいた方がいいだろう。明日は、クーサの商会長デルカシュに会おう」




