第二十五話 クーサへ
ティラーズに帰還したマージアールは、バーバクを失ったことをフィルーズに謝罪した。
性格に懸念はあるが、高齢のべバールに代わり、次代を担うべき一人だったのは間違いない。
砦一つと引き換えにしていい人材ではなかった。
勇敢なる獅子隊はアーシエフを隊に迎えることになったが、死傷者が多くすぐの稼働は難しいだろう。
それに、もう奇襲は無理だと判断されていた。
カーバーザルト砦で、ニザールは明らかにティラーズ軍を待ち伏せしていた。
サドゥシュトゥン砦を落としたことで、次はカーバーザルト砦に来ると読まれていたのだ。
ザーミーンの活躍で勝利を拾うことはできたが、もし彼女がいなかったらバーバクの死とともに全軍敗走する事態になっていたかもしれない。
だから、次に出撃するときは、少なくてもこちらも百くらいの人数をそろえる必要がある。
べバール、カイバード、フォルーハルの三部隊で、八十人くらいは動員できる。
出征とティラーズの防衛に、あと二部隊くらいは援軍が必要だった。
フィルーズは他の都市に援軍を打診していたが、捗々しい返事は得られていない。
それぞれの都市も独自の問題を抱えており、そう簡単に身動きが取れないのだ。
それに、次の砦は今までより距離も離れている。
人数も遠征距離も増えるとなると、食糧の確保と運搬方法も課題となってくる。
次の砦の攻略には、まだ準備に時間がかかりそうであった。
ザーミーンにクーサに行くように命が下ったのは、ティラーズに帰還してから二日後のことである。
クーサのケイヴァーンは、ティラーズにとって盟友だそうだ。
フィルーズの師なのだから当然とも言えるが、ティラーズにとって最も援軍を頼みやすい仲間である。
そこに赴き、傭兵二部隊を派遣してもらうというのが、今回ザーミーンに与えられた任務であった。
随従として下級神官のオミードとボルール、護衛にはティグヘフが選ばれている。
べバールやキミヤーが一緒でないことが不安であったが、傭兵の部隊長や上級神官がそうそうティラーズを留守にすることもできないのだろう。
上級神官として、ザーミーンもしっかり仕事をしてこいと言うことだ。
「神官長の人選、失敗だと思うんですがねえ」
拝命直後に退室した廊下で、オミードが呟いていた。
「ケイヴァーン老は非常に厳格で口やかましい御方なんですよ。おれみたいな半端者が行ったら、一週間くらい説教食らってしまいますよ」
「案外それが狙いなのかもな。根性叩き直してもらってこいってことじゃねえか?」
「いや、ティグヘフだって会うたびに説教食らってるじゃないか。傭兵なんてやめろって言われてなかったか?」
ティグヘフとオミードは、クーサの神殿長が苦手のようであった。
かなり頑固な老人のようである。
八十を越える高齢とのことだが、当然ザーミーンのいた百年前には生まれていなかった。
だから、ケイヴァーンと言っても心当たりはない。
老人と言っても、生まれたのはザーミーンの方が昔なのだ。
とはいえ、生きてきた長さが違う。
複雑な気分になるが、それでもザーミーンには不安はなかった。
神殿はザーミーンにとっては故郷のようなものであるし、神殿長だからと気後れすることはない。
ザーミーンは、かの英雄エスファンディアルの娘にして神殿聖衛隊の一翼を担った一人である。
神殿聖衛隊は、上級神官の中でも特に優れた戦闘能力を持つ十人が選出される精鋭中の精鋭。
神官としては、地方の神殿長と同格の扱いである。
ティラーズからクーサまでは、約百十五パラサング(約六百三十キロメートル)の道のりである。
まず旅の準備として、ティグヘフはラクダを六頭用意した。
ザーミーンがラクダを受領したのは、神殿ではなく、ティグヘフに案内された商会である。
驚くべきことに、ここはティグヘフ自身の商会であった。
傭兵稼業の傍ら、この男は商会の運営もしているらしい。
驚くザーミーンに、オミードが耳打ちしてくる。
「こいつは、ティラーズで一番の金持ちなんですよ。このラクダも、後で神殿に貸与の代金を請求する気ですよ」
「おまえさんだけ歩いていってもいいんだぜオミード」
「いいラクダだな、ティグヘフ。よく手入れされている。コブも立っていて栄養も十分だ」
ラクダだけではない。
旅行に必要な食糧から毛布や道具まで、全てティグヘフの商会に揃っていた。
お陰で、特に準備の必要もなく、ザーミーンたちはすぐに旅立つことができる。
ティグヘフの手回しのよさに、ザーミーンは感嘆した。
「クーサまでは歩けば二十日くらいかかるが、ラクダなら十日程度で行けるぜ。今回水の補給は嬢ちゃんがいるから荷物が軽くていい」
「クーサに行ったことはないのですが、王国最大の図書館があるそうですね。見てみたいものです」
「あそこは歴史が古い街だからな。千年以上前の粘土板とかあるらしいぜ。御老体の機嫌がよければいくらでも案内してくれるだろうが、今回はどうかな」
「機嫌が悪い理由があるのですか?」
「そいつがおれたちが行かなきゃならん理由さ。ケイヴァーン老人の悩み事を聞き出して、解決してやらにゃならん。そうしなきゃ、クーサはティラーズに兵を出してくれんということだ」
「──難しそうですね」
「まあ、腕っぷしで解決できることならこいつがいるし、金で何とかなるならおれが助けてやれる。だが、宗教的な話なら、嬢ちゃんとボルールに任せるしかない。こいつはそっち方面じゃ役に立たない」
「ええ。任せないでください」
「胸を張って言う言葉じゃないわよ!」
ボルールは、オミードには手厳しいことが多い。
いつも、手合わせで容赦なく転がされるせいであろうか。
負けん気の強いボルールは、それがかなり悔しいのであろう。
オミードには、対抗心が剥き出しである。
肝心のオミードが全然相手にしていないのが、余計に癪にさわるのかもしれない。
用意したラクダのうち二頭に荷を積み、四頭に騎乗して一行は西門へと向かう。
通りを流している間も、ティグヘフは色んな相手と挨拶を交わしていた。
商人、職人、傭兵、農夫、給仕……ティラーズ中の人間と顔見知りなのではないかと思えるほど声がかかる。
老若男女問わずであるが、女性からの黄色い声も多かった。
ティグヘフは、その度に軽妙な返しで対応する。
その返答に、彼女たちは嬌声をあげて喜んでいた。
オミードには、それが面白くないようである。
残念ながら、彼の方に女性から声が飛んでくることはなかったのだ。
「不公平だ」
苦虫を噛み潰したような顔でオミードが呟く。
「金があればおれだって少しは……」
「無理よオミードじゃ。ティグヘフは、神殿に来るときいつもわたしにお菓子とか持ってきてくれるけれど、オミードがなにかくれたことないじゃない。そういうところよ」
女性の人気がないことを悲観するオミードに、ボルールが追撃する。
オミードは珍しく肺腑を抉られたような表情になり、肩を落とした。




