力の代償
これ以上、時間をかけられない。
フラウリーナは四方八方から襲いかかってくるスライムの腕を細切れにして、剣の切先をスライムに向けた。
滝壺を壊すのはいけない。
滝壺が決壊すれば、洪水が起こるからだ。
水色スライムを一気に消し飛ばすのもいけない。
堰き止められていた水が溢れて、こちらも滝壺から水が一気に下流に溢れてしまう。
(私にできる選択肢は二つ。水色スライムを滝壺から追い出す)
魔物がフラウリーナの指示に従うわけがない。可能性は低い。
(水色スライムを蒸発させる。一気に蒸発させれば、滝壺の水分量も減って、洪水は起こらない)
それしかない。圧倒的な力で押しつぶすのは、フラウリーナの得意のするところだった。
なぜならフラウリーナの契約している精霊さんたちや精霊竜の力は、世界を簡単に滅ぼすほどの質量を秘めているからだ。
世界そのものといっても過言ではない。
ほんの少しの力を使うことと、たくさんの力を使うこと。
その双方は、さほど難しくない。コップの水を少し入れるのと、コップの水を溢れさせるようなものだ。
だが、溢れるか溢れないかのぎりぎりで水をそそぐのは難しい。
でも、やるしかない。
「灼熱の炎よ、煮えたぎりなさい!」
剣の周りをくるくる回り続けているななつの精霊さんのうち、炎の精霊さんが光り輝いた。
刀身が赤く光り、滝壺から火柱が何本もあがる。
しゅうしゅうと白くけぶりながら、水色スライムの群れが蒸発して消えていく。
水蒸気がたちのぼり、フラウリーナの髪や肌をしっとりと濡らした。
巨大な水色スライムが、あっという間にシュワシュワと小さくなっていく。
あたり一面が水蒸気に覆われる。小さくなり続ける水色スライムが、最後の悪あがきをするように滝壺の中で激しく暴れ出した。
ピシリピシリと滝壺周囲の壁にヒビがはいっていく。
小さな歪みはやがて大きな亀裂となって、滝壺から下流へ流れる川の狭い出口を濁流とともに引き裂いた。
「いけない!」
すぐさま次の魔法を放たなくてはいけない。
フラウリーナが動く前に、空から大きな鳥の影が飛来する。
それは何匹もの、ヴェスギドラだった。騒音に、冬眠から目覚めてしまったのだろう。
無理やり起こされたせいなのか、その爬虫類のような瞳は興奮した時の危険な赤色に輝いている。
ヴェスギドラが一斉に、フラウリーナに向かって襲いかかってくる。
洪水を止めに行かなくてはいけないのに、こんなところで足止めをされているわけにはいかないのに。
フラウリーナは奥歯を噛み締めた。
スライム退治など簡単だと、軽く考えていた。
苦い後悔が胸をよぎる。ともかく、ヴェスギドラの群れを片付けて、街を守らなくては。
「あなたたちには恨みはないけれど、倒させていただきますわ!」
もう、遠慮はいらない。
十分に力を振るっていい。全ての精霊さんたちが剣の中へとちゃぽんちゃぽんと入り込んでいく。
輝く刀身が、何倍もの長さへと伸びる。
空から襲いかかる馬三頭分ほどある大きさの翼を持つ襟巻きトカゲのような姿をしたヴェスギドラを、フラウリーナは一閃に伏した。
ヴェスギドラの体が二つに裂けて、散り散りになり消し飛んでいく。
次々と襲いかかるヴェスギドラを倒して、フラウリーナは「ルヴィア!」と呼んだ。
街まで行かなくては。
水を堰き止めなくてはいけない。
だが、姿を現したルヴィアに飛び乗る前に、フラウリーナの足から感覚が不意に消える。
突然両足が木の枝になってしまったようだった。
ふらつき、草むらへと倒れ込む。
「ぅえ、ゲホゲホゲホ……ッ」
口から、赤が散った。
両手で口を覆って、吐き出される血を止めようとしたが、咳き込むたびにそれは溢れてくる。
倒れるわけにはいかない。こんなところで、立ち止まっているわけにはいかないのに。
「いかないと……っ」
消えかかる意識を無理やり繋ぎ止めて、赤く染まる唇を手の甲で拭ってフラウリーナは立ち上がった。
『馬鹿者じゃ』
ルヴィアの声が聞こえる。
そうかもしれない。そんなことはわかっている。
フラウリーナはルヴィアに飛び乗ると、急ぎ街に向かった。
どうか間に合うようにと願いながら。




