45:ざわめきの庭園
噂話は、人の足よりも速く、世間を駆け巡る。
国交のないフィーラン王国の品が買えるとあって、フィデス商会に客足は絶えない。
だが、人々の態度は、以前とは明らかに違っていた。
「どうなっているんだ、この店は!!」
気に食わないことがあれば、客が声を荒らげる。
本来であれば、公爵家が背後にある店で、このような態度を取る客が居るはずもない。
が──噂話は、人の心を揺さぶる。
“あの店は、あくどい店だ”
“言われて当然なんだ”
そんな空気が一度広まってしまえば、店員に接する人々の態度も、自然と変化していった。
「ごめんなさいね、皆……」
そんな空気を、ディアナはずっと耐え忍んでいた。
クールソン伯爵側は、あれ以降動きはない。
日々辛い思いをしながらも業務に耐える従業員達には、臨時の手当を付けることで、彼等の気持ちを保たせていた。
そんな中、ディアナの元に一通の封書が届く。
渦中のエルドレッド家から──王太子ローレンスの婚約者であるエルドレッド家令嬢ケイリーからの、お茶会の招待状だった。
ラトリッジ王国が誇る二大公爵家の軋轢とあって、社交界の誰もが注目していた。
そんな中お茶会に参加すれば、好奇な視線に晒されることは間違いない。
だからといって、断れば断ったで「ああ、やはり」と言われるに違いない。
──結局、ディアナに選択肢はないのだ。
お茶会は、女の戦場。
独身の頃よりも落ち着きのある上品なドレスを纏って、ディアナは単身エルドレッド公爵家に赴いた。
招待状に書かれた名を目にした案内係が、息を呑む。
「ガザード公爵家より、ディアナ・ガザード様のご来場です」
告げられた名に、庭園中が小さくどよめいた。
人々の視線がディアナに集まる中、背筋を伸ばして、歩く。
この程度の視線は、慣れている。
そう自分に言い聞かせ、一歩、また一歩と、足を進める。
ディアナが胸を張って歩けば歩くほどに、人々の口からはざわめきが零れた。
「ようこそお越しくださいました、ディアナ様」
そんなディアナを出迎えたのは、本日の主催であり、王太子ローレンスの婚約者である、ケイリー・エルドレッド公爵令嬢だった。
次期エルドレッド公爵クライドの妹。
王太子妃教育を受けたそつのない身のこなし、完璧なマナーを持って、優雅に一礼する。
「お招きいただき、ありがとうございます」
そんなケイリーに劣らぬ所作で、ディアナが挨拶をする。
常ならば感嘆の息が漏れるであろう光景は、いまだ好奇の視線に晒されたままだ。
「一度、ディアナ様とゆっくりお話がしてみたかったのです。コーデリア様とは、よく王城でお会いするのですが」
「妹がいつもお世話になっております」
表面上は、和やかな会話。
しかし──今正に衝突を抱え、話題となっている二大公爵家の令嬢によるやりとりだ。
誰もが騒動を期待し、二人に注目する。
「どうぞごゆるりとお過ごしください」
「ありがとうございます」
互いに軽く一礼した後、ディアナが席に着く。
期待していたようなやりとりが起きなかったことに、人々の口からは、落胆の声が漏れ聞こえた。
『ガザード家は、同じ公爵家であるエルドレッド家に、敵対意識を持っているという話じゃないか』
『何でも、自分のところの令嬢を殿下の婚約者にしたくて、必死だとか』
『コーデリア嬢は、いつも王太子殿下に付き纏っていますものね!』
ディアナが居てもお構いなしに、噂好きの社交雀が囀り続ける。
(コーデリアが殿下に付き纏っているという点については、否定のしようもないわ)
ディアナが内心で苦笑する。
婚約者であるケイリーにとっては、コーデリアはさぞ不愉快な存在であろう。
そんなコーデリアの双子の姉である自分を、果たしてケイリーはどう思っているのか……未来の王妃となるべく教育を受けた彼女の本心は、如何なディアナをしても、見透かすことは出来なかった。
『ついには商会を通じて、エルドレッド家に嫌がらせをするだなんて!』
『ガザード家も、地に堕ちたものだ』
『クライド様の公爵就任式にも、影響を及ぼしそうなのでしょう?』
『どう責任を取るおつもりかしら』
『二大公爵家の紛争にまで、発展するかもしれないな……』
ディアナの耳に響く悪意の声。
人々はディアナが聞いていようがいまいが、お構いなしだ。
正義は彼等にあり、彼等にとってディアナは悪なのだ。
“悪く言われて当然”という空気が、自然と社交界で出来上がっていた。
「……お茶会に招かれて来たつもりが、とんだ雀の巣に迷い込んでしまったようですわね」
黙ったままでは、公爵家の名が廃る。
ディアナが静かに声を上げれば、庭園が一瞬で静まり返った。
「まったくもって、同感ですわ」
そんな中、ディアナに同意する声が響く。
人々が息を呑み、声の主を見遣る──本日の招待主であるケイリー・エルドレッドその人だった。
「申し訳ございません、ディアナ様。不快な思いをさせてしまったこと、本日の主催として、心よりお詫び申し上げます」
席を立ったケイリーがディアナに歩み寄り、深々と頭を下げる。
その様子に、噂話を囁き合っていた招待客達の間に、再びざわめきが広がった。
「どうしてですか、ケイリー様!」
そんな中、一人の令嬢が声を上げる。
社交界に入り浸りの、年若い子爵家の令嬢だ。
ケイリーが王太子の婚約者と知ってから、彼女は常にケイリーの後を追うように付き従っていた。
「その女はガザード公爵家の娘で、あのフィデス商会の──」
「お黙りなさい」
自らの取り巻きである令嬢を、ケイリーが鋭く一喝する。
言われた令嬢はと言えば、どうして止められたのかも分からないといった様子で、口をはくはくと開閉させていた。
「確かに我が家とフィデス商会との間に行き違いがあったようですが、いまだ原因を究明している最中にも関わらず、勝手な憶測ばかりを口にして──恥を知りなさい」
それまで噂話に興じていた招待客達が、気まずそうに視線を逸らす。
その場を見事に収めたケイリーの手腕に、ディアナは内心で感嘆していた。
(あの王太子殿下の婚約者というから、どんな方かと思えば……これは、なかなかの辣腕ね)
招待客を諫めたケイリーが、小さく息を吐く。
「……とはいえ、我が家とフィデス商会とのことを、そのままにもしてはおけません」
ふわりと、風に揺れてケイリーの蜂蜜色の髪が舞い上がる。
「よろしければ、当家で一度お話し合いの席を設けさせてはいただけませんか」
優雅な微笑みの裏には、公爵家を背負って立つ令嬢の自負が垣間見えていた──。









