43:兆し
ディアナが立ち上げた“フィデス商会”は、王都に店舗を構えて、すぐに評判の店となった。
それもそのはず、ラトリッジ王国では滅多に手に入らない遙か遠方のフィーラン王国産の製品が並んでいる店は、他にはない。
商会の繁盛を喜びながらも、港町アンガスから戻って以来、二人きりの時間はほとんど取れていない。
その事実に、ディアナもアランも、知らず知らず疲れを溜め込んでいた。
商会主として、ディアナが店舗で接客をすることは稀だ。
しかし、大口の顧客が来れば対応するし、何より客のニーズを正確に把握する為、店舗には足繁く通っている。
寝る間も惜しんで働く新妻を心配し、夫であるアランもまた、度々商会に足を運んでいた。
「──アラン様!」
夫の姿を目にして、ディアナが駆け寄ってくる。
そんな妻の様子に表情を綻ばせつつも、アランの瞳は僅かに翳り、太い指がそっとディアナの頬を撫でた。
「大分、無理をしているのではないか……?」
「いえ、そのようなことはありません」
気丈に笑うディアナだが、白い肌は血の気が薄く、華奢な身体は今にも頽れてしまいそうだ。
化粧で血色を誤魔化したとて、夫の目までは欺けない。
いまだ気遣わしげにディアナの様子を観察する夫に、自然と笑みが零れた。
「今が、一番大事な時ですからね」
「ああ……」
それは、アランにも分かっている。
分かっていて、なおディアナのことが気掛かりだった。
ディアナは、人一倍負けず嫌いだ。
幼い頃から、何に対しても全力で打ち込んできた。
そのことを良く知るアランだからこそ、目を離せば無理をしてしまいそうなディアナを、放っておくことは出来ない。
「あまり無理を続けるようなら、強引にでも攫って帰るからな」
「まぁ」
アランの冗談めかした言葉に、やりとりを見守っていた店内の客達から、歓声が上がる。
年の差を物ともせず、熱愛の末に結ばれた夫婦──アランとディアナの恋は、いつの間にか王都の女性達にとって憧れとなっていた。
「おや、これはまた嫌な時に来てしまったものだ」
扉が開き、現れた新たな客が、肩を竦めて見せた。
その横柄な物言いに、振り返ったアランが片眉を上げる。
「また貴殿か」
「ご挨拶だな」
二人の元に大股で歩み寄って来たのは、商会の交易相手でもあるフィーラン王国の海軍提督カーティス・マクブライドだ。
ディアナは勿論のこと、アランとも馴染みの相手だ。
かつてアンガス港沖でフィーラン王国の軍船がクラーケンに襲われた際に、乗り合わせたアランが、海の強者をその剣で仕留めたことがある。
それ以来カーティスはアランを買っているのだが、どうもアランの側は、カーティスを苦手としていた。
その理由はと言えば、彼がことあるごとに新妻にちょっかいをかけてくるからだ。
今日も、カーティスの手には大輪の花束が握られている。
「せっかくだから、昼食でも一緒にと思ったが──とんだ邪魔が入りそうだ」
「邪魔なのはどちらかな」
カーティスの軽口に、アランがため息交じりに答える。
ディアナから見れば、この二人はいつの間にこんなに仲良くなったのだろうと目を見張るばかりだ。
……男同士の関係性というのは、やはりよく分からない。
案外、海での戦いを経て、互いに実力を認め合ったことが大きいのかもしれない。
「王城を抜け出して、良かったんですか?」
「ああ、あんなところ、堅苦しい上に退屈と来た」
カーティスは、今もフィーラン王国の特使として、ラトリッジ王城に滞在していた。
しかし、その接待にも飽きて、こうして城を抜け出しては頻繁にフィデス商会を訪れている。
本人曰く“交易した品が受け入れられているかどうかの市場調査”とのことだが、アランから見れば、どう見てもディアナ目当てだ。
結果カーティスを警戒してアランもまた商会に足を運び、顔を突き合わせる結果となる。
「ローレンス殿下は、我が商会に足を運ばれることを、快く思わないのでは?」
「ふん、どこに行こうと俺の勝手だ」
ディアナの言葉に、カーティスが鼻を鳴らす。
王家は既に、フィーラン王国との交易において、ガザード公爵家に遅れを取ってしまった。
公爵家を目の敵にするローレンスが良く思わないだろうことは、ディアナには容易に想像が付いた。
「それに……あの男は、なんとも不気味だ」
「不気味、ですか」
カーティスの言葉に、ディアナが目を見張る。
これまで聞いたローレンスの評判と言えば、王太子という身分と地位に相応しい優雅な物腰から、彼を褒めそやす物ばかりだった。
「ああ、ぞわっと来たんで、会談でもすぐに席を外してしまった」
カーティス・マクブライドは、実直な海の男だ。
陰謀渦巻く王城の空気に馴染めずとも、不思議はない──ディアナはそう判断した。
「そういえば、先日はなぜ無視したんだ?」
「……え?」
突然のカーティスの問いに、ディアナが紫色の瞳を瞬かせる。
ディアナにとって、カーティスは大事な商売相手だ。
アランがどれほど警戒しようが、無視をすることはない。
「それは、いつの話でしょう?」
「一昨日の昼間、王城で声を掛けた時のことだ」
一昨日は大口の取引があって、ずっと商会に詰めていた。
ディアナは、王城には出向いていない──そのことは、アランも知っている。
「多分、それは妹だと思います」
「なるほど、確か双子の妹が居ると言っていたか」
「ええ」
「どおりで見た目はそっくりだが、雰囲気が大分違っていた訳だ」
なるほどと頷き、カーティスが顎を撫でる。
双子の妹コーデリアであれば、カーティスが見間違えるのも、無理はない。
「ラトリッジの宰相と一緒でな。随分と陰気な空気を醸し出していたから、何かあったのかと思った」
「陰気……?」
ガザード家の双子は、常に注目の的だった。
中でも“月と太陽”というあだ名は、二人を象徴する呼び方として、広く広まっている。
月のディアナと、太陽のコーデリア。
この言葉が象徴するように、陰気なイメージはいつもならディアナに付き纏っていた。
(コーデリアが、そんな風に見られているなんて……)
人前では、いつも明るく振る舞っていたコーデリア。
そんな彼女に、一体何があったのか──公爵邸を出て、別邸で暮らす今のディアナには、知る由もない。
(なんだか、妙な胸騒ぎがするわ……)
カーティスとの、ほんの些細な世間話のはずだった。
だが、その胸騒ぎが、現実のこととなって襲いかかる。
──大口の顧客であるエルドレッド公爵家から、注文した品が届いていないと、クレームが入ったのだ。
「エルドレッド家からの注文ですって?」
エルドレッド公爵家は、五大貴族の一つ。
ガザード家と並ぶ公爵家であり、エルドレッド家の令嬢ケイリーは、現王太子ローレンスの婚約者でもある。
ケイリーの兄クライドの爵位継承を間近に控え、現在は継承式の準備に忙しくしている──そんなエルドレッド家からの苦情だった。
しかし、フィデス商会には、エルドレッド家との取引履歴は残されてはいない。
「一体、どういうこと……」
軌道に乗ったかに見えた商会に、じわりと陰鬱な影が差し込んでいた。









