33:双子の姉は、男爵の想いを知る
ミリアムが、ハッと息を呑む。
彼女の顔には、ありありと後悔の色が浮かんでいた。
「……気にしないで」
ディアナが、ゆるりと頭を振る。
「羨ましくはあるけれど、私には元々無い感情だもの。母のことを思って父に怒るなんて……どんな感じなのかしら、想像も付かないわ」
「ディアナ……」
「気にしないでと言ったでしょう」
ディアナの細い指が、ミリアムの額を突く。
いつの間にか、二人の距離は肩が触れるほどに近付いていた。
「……ディアナは、お父様と喧嘩をしたことはないの?」
「あら、それくらいあるわよ。我が家にも、数多くの縁談が舞い込んできたもの」
「それはそうよね」
ディアナの言葉に、ミリアムが頷く。
爵位持ちが一人残れば、周囲が後添えを送り込もうとする。
それはどの家でも変わらない真実だ。
「ある時なんて、女がお父様が不在の間に、上がり込んできたのよ!」
「まぁっ」
ディアナの言葉に、ミリアムが大袈裟に驚いてみせた。
そうして、暗に話の続きを促す。
「当時は私も双子の妹もまだ幼かったから、お父様の幸せよりも、自分達の居場所を守ることで頭がいっぱいだったの。なんとかして、この女を追い出さないと! って考えて、二人で必死に嫌がらせを計画したんだわ」
「それで、どうなりましたの?」
ミリアムの瞳には、隠しきれない好奇心が滲んでいた。
「それがね。女性への嫌がらせは見事成功して、彼女を追い出すことには成功したのだけれど、なんと、その女性は後添え希望者ではなかったのよ!」
「ええ、では誰だったのですか?」
「お父様が手配してくださった、私とコーデリア──妹の家庭教師だったの!」
幼い双子の、早とちり。
幼いなりに、自分達の居場所を守ろうと、二人とも必死だったのだ。
そんな当時の思いがミリアムにも伝わったのか、互いに顔を見合わせ、自然と表情を綻ばせる。
「おかげで、その後の先生を探すのが大変だったって、お父様は今でもぼやいているわ」
「今のディアナからは、想像も付かないわね」
ミリアムの顔に笑顔が戻ったことで、ディアナはホッと胸を撫でおろした。
(少しは、落ち着いたみたいね……)
父の後添えを巡る騒動は、ディアナにも心当たりはある。
当時幼かったディアナとコーデリアは勿論、母を亡くした傷がいまだ癒えていないミリアムにとっても、まだ割り切れるものではないのだろう。
心の傷は、いつか時が癒やしてくれる。
でも、今はまだ、傷口に触れられたくはない。
そんな時期が、誰にでもあるものだ。
「……私、父に酷いことを言ってしまったでしょうか」
そう呟くミリアムの顔には、暗い影が差していた。
「そう思うなら、一度男爵様とちゃんとお話をしてみるといいわ」
「父は、私と話をしてくれるかしら」
躊躇いがちなミリアムに、ディアナが笑顔を見せる。
「きっと、大丈夫よ」
怖がる必要なんて、ない。
男爵は、令嬢のことをちゃんと愛しているから。
第三者からはそう思えても、当人には、見えないものもある。
ディアナは目を細めて、父のことで思い悩む級友を見つめていた。
半刻後、二人は男爵家庭園の一角にある温室を訪れていた。
母自慢の温室を、客人であるディアナに案内しようと考えた為だ。
扉を開けた瞬間、湿った空気と甘い香りがふわりと流れ込んだ。
ガラス越しの陽光が花弁を透かし、無数の色が揺らめく。
外界から隔離された区域。
足を踏み入れた瞬間、暖かな空気が頬を撫でる。
周囲に咲き誇る色鮮やかな緑色に目を奪われていたディアナは、ミリアムの視線が釘付けになっていることに、少し遅れて気が付いた。
「ミリアム……?」
前を見つめたままのミリアムの瞳から、ぽろりと雫が零れ落ちる。
ぽたり、ぽたりと流れる涙が頬を伝い、令嬢の顎から滴り落ちた。
視線の先を追って、ようやくディアナも気が付いた。
ミリアムの母が愛した温室。
その中に、彼女が捨てられたと思っていた物──ミリアムが手掛けた絵画が、飾られていたことに。
温室の中央。
花々に囲まれた場所に飾られているのは、ミリアムが描いたであろう、母の肖像画。
その周囲を取り囲むようにして、クィルター男爵領の風景……海の絵や、小高い丘、草原、そしてミリアムの母が愛した庭園の絵が飾られている。
温室の中は、さながら異世界のようであった。
そこに、幾つもの小さな世界が集結している。
「……男爵様は貴女のお母様も、貴女のことも、大事に思っているみたいね」
ポロポロと涙を零すミリアムは、何も答えないままだ。
でも、彼女も気付いているのだろう。
彼女が捨てられたと思っていた絵画は、全て母が大事にしていた温室に飾られていた。
親子の距離が、ただすれ違いによって離れてしまっていただけで──そこに溝なんて無かったのだ。
「わた、私、お父様に、酷いことを沢山言ってしまって……」
子供のようにしゃくり上げるミリアムの肩を、ディアナが抱く。
「大丈夫よ、きっと話せば分かっていただけるから……ううん、貴女が心を開いてくれるのを、きっと待ってくれていると思うの」
(アラン様の言っていたことは、間違いじゃなかったんだ……)
クィルター男爵は、ただ不器用なだけ。
彼もまた、ウェズリーと同じく子供を思う父親だった。
それを、アランは的確に見抜いていたのだ。
これで、クィルター親子は大丈夫だろう。
そう思っていた矢先──、
「大変ですお嬢様、国籍不明の船が多数、沖に現れたとの連絡が──!」
屋敷に戻った私達を待ち受けていたのは、激動の階だった。









