30:双子の姉は、父娘を思う
「捨てられた……って、一体どういう」
ミリアム・クィルター男爵令嬢からもたらされたのは、ディアナが予想すらしていない言葉だった。
誰が見ても、ミリアムは絵の才能に恵まれていた。
それを、捨てた?
驚きに目を見開くディアナの前で、ミリアムは父親から目を逸らすようにして、俯いた。
「父は、私が絵ばかり描いているのが面白くないんです。アカデミーに入って大勢の人達と触れ合えば、自然と社交的になったり、恋人の一人でも作ってくると思っていたようですが、アカデミーでも私は絵ばかり描いていたので……」
「それで結果を出しているのだから、凄いと思うのだけれど」
どうやら、クィルター男爵の考えは違ったらしい。
ミリアムの浮かべた笑顔は、どこか寂しげだ。
「父は、そうは思っていないのです。令嬢らしくお淑やかに、お茶会に参加して、どこかの令息に見初められて嫁いで……私にそうあってほしいのでしょう」
当のクィルター男爵は、アランを屋敷へと案内している。
その後ろを、ミリアムとディアナが少し離れて歩く。
「父の望む“令嬢”になれない私は、きっと出来損ないなんです」
ミリアムの指先が、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。
「でも……絵を描くのを止めたら、本当に自分じゃなくなってしまう気がして」
自然と、二人の足が重くなる。
前を行く男爵とアランとは、かなりの距離が開いていた。
「私は、貴女が羨ましいです……」
「私が?」
ミリアムの言葉に、ディアナが瞳を瞬かせる。
ディアナにとって、ミリアムは才能に溢れた女性だ。
そんな彼女が誰かに羨まれるならばともかく、自分を羨むなどと、驚きばかりがこみ上げてくる。
「文武両道なだけでなく、次期公爵として領地経営にも携わっている。独立した女性としての生き方を歩まれている……」
ミリアムの視線は、どこか遠くを見るようだった。
クィルター男爵とアランが屋敷に入った後も、彼等に続くことなく、前庭で足を止める。
「って、この度めでたくご結婚された方を、こんな風に言うのは失礼ですよね! おめでとうございます」
「ありがとうございます」
慌てたように祝辞を述べるミリアムに、ディアナが笑顔を向ける。
(そうか……彼女は、アカデミーに居た頃の私と同じなんだわ……)
ディアナの胸を過るのは、アランと恋仲になる前の記憶。
頼る相手もなく、恋愛よりも自らの身を立てることを第一に考えていた。
お淑やかに、淑女らしく、女は大人しく男に傅いていればいい──そんな風に言われながらも、必死に抗ってきた。
そんな頃の自分と、今のミリアムとが、重なって見えてしまう。
「男爵様とは、ちゃんと話し合いをしたのかしら」
「いえ……アカデミーを卒業して以来、父とはほとんど会話をしておりません」
先を歩いていた二人が屋敷に入った後、その後を追うでなく、閉まった扉を見つめている。
そのミリアムの態度が、親子の距離を物語っている気がした。
(ミリアム嬢に、海図を制作してもらおうと思っていたけれど……)
親子の間にわだかまりが残ったままで、再び彼女に絵を描かせて良いのだろうか。
結論は出せぬままに、ディアナもまた、男爵邸の厚い扉を見つめていた。
当初は港町に宿を取る予定だった一行だが、クィルター男爵の申し出により、ディアナとアランは数日クィルター男爵邸に滞在することになった。
「何もないところですが、料理だけは自慢です」
クィルター男爵が言う通り、新鮮な魚介をふんだんに使った料理は、ガザード公爵領でも王都でも食べられないものばかりだ。
「すごい、身がぷりっぷりで……」
夕食に振る舞われた白身魚を頬張ったディアナが、目を見開く。
その隣で、アランは早々に目の前の皿を平らげていた。
「ははは、美味しい物を食べ慣れているであろうガザード公爵令嬢にそう言っていただくと、自信がつきますなぁ」
「ええ、すごく美味しいです。当家の料理人にも、レシピを教えてほしいくらい……ですが、レシピを教わっただけでは、この味は出せないのでしょうね」
「ええ、それはもう。この味は、海の恵みあってのものですから」
クィルター男爵の嬉しそうな表情を見れば、彼がこの領地を心から愛していることが伝わってくる。
対して、同じ席についたミリアムの表情は、冴えないままだ。
俯きがちに、ただ黙々とナイフとフォークを動かすのみ。
対照的な親子の表情。
食事を摂り終えたミリアムは、食後の茶を待たずして、早々に食堂を去って行った。
「……申し訳ございません。どうにも、愛想のない子でして……」
「お気になさらずに」
ばつが悪そうな男爵に、アランが笑いかける。
ディアナは一人、それまでミリアムが座っていた席を、じっと見つめていた。
(愛想のない子……本当にそうなのかしら。アカデミーでは、ごく普通に接していたように記憶しているのだけれど……)
アランと男爵が談笑する傍ら、ディアナの思考は深い海に沈んでいった。
「さて……我が妻は、随分とあのご令嬢のことが気掛かりなようだが」
「……分かりますか?」
案内された客室。
新婚ということで、広めの部屋に二人で通されている。
少し恥ずかしくはあるが、話をするには、こちらの方が有難い。
そう割りきって、ディアナがアランに話を持ちかける。
「アカデミーを卒業する前は、あそこまで人付き合いの悪い子ではなかったんです。もっとも、男爵様がいらっしゃるからなのかもしれませんが……」
「難しい年頃だとは思うのだが」
アランの言葉に、ディアナが思わず笑みを零す。
年長者としての言葉だろうが、ミリアムとディアナは同い年だ。
それは、つまり──、
「私も、難しい年頃なのでしょうか」
「……人によるだろうな」
ディアナに突っ込まれて、アランが小さく咳払いをする。
そんなアランに小さく笑みを零した後、再びディアナの表情は引き締まった。
「確か……令嬢がアカデミー在学中に、お母様が亡くなったと聞きました」
「ふむ」
アカデミー在学時の想い出は、巻き戻る前のものだ。
時系列を整理しながら、慎重に記憶を辿る。
「当時は試験中だったもので、すぐに領地に戻ることも出来ず……令嬢が王都を出立したのは、報せを聞いてから数日経ってのことでした」
今までは母親が緩衝材になっていたが、その母が亡くなって、父娘の関係がギクシャクしてしまった……そう考えれば、何も不思議なことはない。
ないのだが、唯一令嬢が零した言葉が、ディアナの心に引っ掛かっていた。
「絵が捨てられた……とのことですが。そうまでして、男爵様は令嬢に絵を描くことを止めてほしかったのでしょうか」
ディアナの言葉に、アランが顎を撫でる。
「俺には、あの男爵……娘が可愛くて仕方が無いというように見えたがなぁ」
「そうでしょうか」
元々娘と知り合いで、娘と同い年のディアナには、父であるクィルター男爵の気持ちを推し量ることは難しい。
どうしても、思考はミリアムに寄ってしまう。
(アラン様は、何か思うところがあるのかしら……)
じっとアランを見上げたならば、ブルーグレーの瞳が柔らかく笑んだ。
「令嬢を見つめる、男爵の視線……ディアナを見守るウェズリーの目に、そっくりなんだよ」
「え……?」
父ウェズリーを良く知るアランの言葉に、ディアナが数度瞳を瞬かせた。









