23:女騎士は泥沼に嵌まる
アランが王都の見回りから詰所に戻った時、丁度第三騎士団副団長である女騎士モニークと入れ違いになるところだった。
「やぁ、お疲れさん」
アランが軽く手を上げて笑顔を浮かべるが、対してモニークは足を止めることなく、軽く頭を下げるのみ。
足早に詰所を出て行ってしまった。
元より、そんなことを気に掛けるようなアランではない。
先を急いでいたのだろうと気を取り直し、騎士達の待機所へと入っていく。
第三騎士団の騎士達が身を寄せ合う詰所。
ただでさえむさ苦しいところだが、その日は特にいつもと様子が違っていた。
アランが姿を現した瞬間、生温い空気が流れる。
「いよいよですね」
「うん?」
掛けられた言葉の意味が分からず、アランが眉を寄せる。
そんなアランの様子を気に掛けることもなく、騎士達は思い思いにアランに微笑ましげな視線を投げかけていた。
「いいよなぁ、俺もあんな若くて年下で美人の嫁さんがほしいよ」
「しかも、爵位持ちと来た!」
「なんで殿下に先を越されちまったんだか……」
口々に、アランを囃し立てる騎士達。
最近ではこんな軽口にも慣れてきたが、それにしても今日はやけに露骨だ。
「なんだお前達、今日はやけに突っかかってくるな」
「あれ、副団長から聞いてないっすか?」
騎士の一人が、意外そうに首を傾げた。
モニークとは先ほどすれ違ったが、彼女からは何も聞いていない。
「だから一体何だと言うのだ」
痺れを切らしたアランが、声を荒らげた。
「怒らないでくださいよ、別に悪い話じゃないんですから」
「そうそう、さっき宝飾店の親父が来て、指輪が仕上がったから取りに来てもらうようにって伝言を預かったんですよ」
「ああ」
なんだそんなことかと、アランが頷く。
ディアナと二人で指輪を注文しに行ってから、ゆっくりと日は流れ、もう月の下旬だ。
月が変われば、じきに結婚式。
息苦しい王宮を出て、ディアナと二人での暮らしが始まる。
そう思えば、自然とアランの表情が綻びそうになる。
(これでは、皆にあれこれ言われるのも仕方が無いな……)
緩みそうになる表情を引き締め、コホンと一つ咳払いする。
「分かった、後で取りに行くとしよう」
「後でとか言って、どうせすぐ行くんでしょ」
「あ~、いいよなぁ」
冷やかすような声も、皆アランを慕ってのことだ。
それを分かっているからこそ、本気で怒ることはない。
「それにしても……副団長が伝えておくって言ってたんだけどなぁ」
騎士の言葉に、ふと考え込む。
モニークとは、先ほど詰所に入る際にすれ違ったばかりだ。
あの時、彼女は軽く頭を下げるのみで、何も言わなかった。
ただ、忘れていたのだろうか。
それとも──。
結婚式を間近に控えての、順風満帆な一時。
そんな時だというのに、池に小石が投げ込まれたかのように、奇妙に心が揺らぐのを感じていた。
詰所を出て宝飾店に向かうアランの目に入ってきたのは、宝飾店のすぐ向かい、公園のベンチに座り込むモニークの姿だった。
まだ距離が離れている為に、向こうはアランに気付いていない。
距離を縮めようとして、ピタリとアランの足が止まる。
モニークの表情が、いつもと違うことに気付いたからだ。
──それは、アランがモニークを発見する少し前のこと。
「はぁ……」
公園のベンチに座り、指輪の入った小箱を膝に置いたままで、モニークは一人頭を抱えてため息を吐いた。
こんなことをするつもりじゃなかった。
こんなことをしてどうにかなる訳でもない。
それでも、勝手に身体が動いていた。
いつも見回りで訪れる馴染みの宝飾店で、アランから頼まれたと嘘を吐き、受け取った指輪。
理性では、今すぐこれをアランに届けるべきだと理解している。
しかし、モニークの感情がそれを拒んでいた。
ガサリと、包装を解いて、小箱を開ける。
そこに収められた、二つの指輪。
お揃いのデザインで、一つは男物としてもかなり大きめで、もう一つは女性用のサイズだ。
小さい方の指輪を手に取り、自分の指に嵌めようとしてみる。
……幼い頃から剣を手にしてきた、無骨な指だ。
とても、こんな細いリングは入りそうにない。
ガザード公爵令嬢も、剣を使うとは聞いていた。
だが、所詮はアカデミーで学生が習う剣ではないか。
騎士のように、本職として腕を磨いてきた訳ではない。
そもそも、彼女の本分は魔法だと聞いている。
公爵家の令嬢として何不自由なく暮らし、無骨さを微塵も感じさせないであろう細く華奢な手指をしながら、事もあろうに王弟殿下の心まで射止めるとは。
どうして、あんな小娘が選ばれた?
考えれば考えるほどに、心にどす黒い物が渦巻いてくる。
昼下がりの公園。
子供達が楽しげに走り回る声すらも、心を癒やすには及ばない。
それどころか、このまま──この指輪が無くなってしまえば良いのにとさえ、思えてくる。
そうだ。
結婚式は、月が明けてすぐだったはず。
今この指輪がどこかに行ってしまえば、結婚式当日に指輪は間に合わず、二人は式を挙げることが出来なくなるのでは──そんな悪魔のような囁きが、モニークの脳裏に甘く響いてしまった。
「ねぇ、貴方たち」
モニークが声を掛けたのは、公園で追いかけっこをしていた二人の子供だった。
一人は男の子で、もう一人は女の子。
幼馴染みだろうか、モニークが声を掛けたなら、男の子は女の子を守るようにその前に立ち塞がった。
「なんだよ」
知らない相手を警戒しているのだろう。
賢い様子に、自然と笑みが零れる。
「随分と仲が良いのね……そんな二人に、これをプレゼントしてあげる」
モニークが二人に手渡したのは、一対のペアリング。
お揃いのデザインで造られた指輪に、幼い恋人達が表情を輝かせる。
「今はまだぶかぶかだろうけど、大人になればきっと丁度良いサイズになるわ。それまで……二人で仲良くね」
「はい!」
「ありがとう!!」
指輪を受け取った二人は誰かに見せに行くのか、それともすぐさま家に持って帰るのか、公園を走って出て行ってしまった。
指輪を渡した子供は、住むところは勿論、名前も知らない。
ゾクゾクと、奇妙な感覚がモニークの胸にこみ上げてくる。
これは後悔? それともあの女を出し抜いたことに対する優越感?
気付けば、やけに鼓動が速くなっていた。
今更ながらに、やってしまった──という思いが芽生えてくる。
宝飾店の店主に聞けば、モニークが指輪を受け取ったという事実はすぐに伝わるだろう。
アランに問われたら、何と答えれば良い?
任務中に紛失してしまったとでも言うべきだろうか。
果たして、それで誤魔化せるのか?
分からない。
分からないが、このままここに居るよりは、市中の見回りに戻って少しでも身体を動かした方が良い。
そう思って、立ち上がりかけた時だった。
「モニーク……」
アランが、ブルーグレーの瞳を眇めて、モニークを見据えていた。









