16:双子の姉は魘される
王都の賑やかな街並み。
流行り病なんてまるで嘘みたいに、道行く人々は楽しげな表情を浮かべている。
そんな中、ディアナは一人ぽつんと取り残されていた。
どうしてこんなところに居るのか。
自分は何をしているのか。
それさえも分からない。
ただどこかへ行かなければ、何かをしなければ──そんな焦燥感に駆られて、闇雲に歩を進める。
そんな最中に、気付いてしまった。
ディアナの目の前、楽しげに道行く人々の中。
想いを通わせたはずの婚約者──王弟アランが、女騎士モニークと仲睦まじく腕を組んで歩く姿を。
心臓がキリキリと痛む。
喉がひりついて、声が出ない。
二人はディアナの存在に気付くこともなく、通りを歩いていく。
追いかけなければ。
──追いかけてどうするの?
一瞬の自問自答の間にも、彼等の姿は小さく遠くなっていく。
やめて。
行かないで。
たったそれだけの言葉が、声が、形にならない。
唇が虚しくはくはくと震えるだけ。
かろうじて伸ばした手が空を掴む。
じわりと、目頭が熱くなって──、
「お嬢様?」
──そこで、意識が覚醒した。
「あ……」
目が覚めて真っ先に見えたのは、いつもの天井。
見慣れた公爵邸の自室。
そして、不安そうにディアナを覗き込んでくる、専属侍女シェリーの姿だった。
「大丈夫ですか、お嬢様。随分とうなされていたようですが……」
「そうね……ちょっと夢見が悪かったみたい」
目覚めは最悪だ。
どうしてあんな夢を見てしまったのだろう。
アランを信じていない訳ではない。
彼は誰かを裏切るような人ではない。
そう強く思うのに、それでもなお不安を感じてしまうのは、最も近しい存在だった双子の妹に殺された痛みがいまだに強く残っているからだろうか。
「気分が優れないようでしたら、ハーブティーをお入れします」
「そうね、お願いできるかしら」
「はい」
シェリーが入れてくれたお茶に口を付けて、ディアナはようやく気分が落ち着いた気がした。
シェリーはイアンと同じ、孤児院出身の平民だ。
イアンが騎士見習いとして引き取られる際に、幼い妹分も一緒に公爵邸に引き取られた。
手先が器用だったシェリーは最初はお針子として公爵邸で働きつつ、使用人としての基本的な教育は受けてきた。
公爵邸の使用人達にも、コーデリアの影響力は大きい。
前任の専属侍女が妊娠して職を退くことが決まった後、コーデリアの息が掛かっていない専属侍女を手配したいとイアンに相談したところ、連れてきたのが彼女──シェリーだった。
イアンは不思議な男だ。
いい加減なように見えて、その実誰よりも真面目に剣に打ち込んでいる。
騎士の中では、コーデリアに魅了されていない数少ない人物と言えよう。
彼にとっては剣の持てないコーデリアより、女だてらに剣を持って自分に立ち向かってくるディアナの方が好感が持てるようだ。
対魔術師の実践訓練という点では、彼にとってディアナは得がたい存在であるらしい。
主家の娘をどう思っているんだと文句の一つでも言いたくはなるが、ディアナとしても気心の知れたイアンの態度は嫌いではない。
そんなイアンが推薦してくれたのが、このシェリーだ。
元はお針子をしていただけあって、手先の器用さは群を抜いている。
何より、他の侍女達のようにコーデリアと慣れ親しんでいないのが良い。
(もう、あんな風に裏切られるのはごめんだもの……)
ディアナの胸が、ちくりと痛む。
コーデリアに刺された時のことを思い出してか、それとも今朝見た夢のせいか──。
疼くような痛みが、温かなハーブディーで少しずつ溶けていく気がした。
そんなシェリーが困惑気味に声を掛けてきたのは、その日の午後のことだった。
「お嬢様、お客様が来られたそうですが……」
「あら、特に予定は入っていなかったと思うのだけれど。誰かしら」
「それが……」
ディアナにしては珍しく、不調法に扉を開け放つ。
応接室のソファーにどっかりと座ってディアナを待ちわびていた客人──オドノヒュー侯爵家令息マイルズは、胡乱げな目つきでディアナを見上げた。
「随分な態度だな」
「何の用?」
応接室のソファーに向かい合うように座りながらも、ディアナの言葉には、どこか棘が感じられた。
それを分かっているのだろう、マイルズが眉間に皺を寄せる。
「用がなければ、来てはいけないのか? 俺達は友人ではなかったのか」
「友人なら友人らしく、祝いの言葉の一つでも掛けてくれたらどう?」
ガザード公爵家の長女ディアナは、王弟アランとの婚約を正式に発表した。
報せを聞いた貴族達からは、祝いの品や文が多く届けられている。
その中に、マイルズの名は記されてはいなかった。
「自分の親ほどの年の相手と結婚する友人を、どう祝えと」
「文句があるの?」
どこまでも挑発的なディアナの言葉に、マイルズの眉が跳ね上がる。
「あの男はやめておけと言っただろう!」
「母方の血が何よ、くだらない」
前に話した時と同じく、二人の会話は平行線だ。
互いに歩み寄ろうという意思も、妥協点もない。
「半分は同じ王家の血が流れているというのに、どうしてアラン様だけを目の敵にするのかしら。馬鹿馬鹿しい」
ディアナの吐き捨てるような言葉に、マイルズが拳を握りしめる。
「そのもう半分の血が問題なんだ。あの男には、五大貴族の血が流れているからな」
建国の名門、五大貴族。五つの公爵家。
既にその半数が没落し、今は二つの公爵家と、一つの子爵家を残すのみだ。
「我が家も、その五大貴族なのだけれど」
「だから、王家を刺激するなと言っている!!」
ディアナの言葉に、マイルズが声を荒らげる。
その必死な形相に、さしものディアナも、少しだけたじろいだ表情を見せた。
「前に殿下が言っていた。五大貴族は全て潰えた方が良いのだと……」
「どういう意味? まさか、血筋だけで家を取り潰そうというの?」
食って掛かったディアナに、マイルズがハッと我に返る。
彼にとっては、明らかに失言だったのだろう。
慌てて口を押さえるが、放ってしまった言葉は、取り返しようがない。
「詳しい話は、分からない。ただ、その存在がいずれ王家に仇をなすかもしれないと……」
「おかしな話ね」
ディアナがため息を吐く。
王太子の婚約者であるケイリー嬢の家も、五大貴族の一つエルドレッド公爵家なのだ。
五大貴族を取り潰そうとする一方で、その血を取り込もうとしているではないか。
王家のやっていることは、矛盾している。
「殿下がどう考えているにせよ、俺なら殿下を止められる」
マイルズの瞳が、じっとディアナを見据える。
「俺なら、お前を守れる」
震えた声で告げられた言葉は、プロポーズというにはあまりに低く淀んでいた。
「何よ、それ。脅しのつもり?」
「違う、俺はお前の為を思って──」
ソファーから腰を浮かしかけたマイルズを、片手を上げてディアナが制する。
「それならば結構よ。私は身を守りたいんじゃない、幸せになりたいの」
そう。
一度目の人生、マイルズとの結婚でどれだけ傷付き、涙したことか。
マイルズとの結婚を回避することが自分を守ることにも繋がると、ディアナは知っていた。
「俺がお前を幸せに出来ないと……そう言っているのか、ディアナ」
「そうよ」
マイルズの言葉に、躊躇なく頷く。
(貴方と一緒になったところで、幸せになんてなれないもの……)
ズキリと、過去の痛みがぶり返してくる。
じくじくと、腹の底を焦がすような嫌悪感。
『子供を産めぬ女と、結婚などするのではなかった』
前世でそう言い放ったマイルズの姿が、目の前の姿と重なる。
(貴方は私が好きなんじゃない。ただ自分の子供を産んでくれる女性が必要だっただけ……)
「貴方との間に、愛情なんてないもの」
「どうしてそう言い切れる」
「だって、そうでしょう?」
自分達の関係は、いつだって友情止まり。
夫婦になった後だって、パートナーとしての域を超えるものではなかった。
そう──だったはずなのに。
「……どうして、俺の気持ちをお前が決め付けられる?」
いつになく低く響くマイルズの声音に、ディアナはゾクリと背筋を震わせた。









