拍手 054 百五十一話 「昔話」の辺り
鳥の鳴き声は、朝の目覚まし時計だ。愛らしいその声を聞きながら、彼は目覚めた。
「オハヨウゴザイマス」
「おはよう、ハル」
無機質なメイドロボットに挨拶し、彼はベッドから飛び降りる。今の彼を両親が見たら、きっと驚くだろう。
記憶にすらない、彼の両親。離ればなれになっても、彼が生きていてくれるのならと、十枚以上の契約書にサインをしたという。
彼がこの研究実験都市に来たのは、生後半年の事だそうだ。さすがにその時の記憶はない。
生まれてすぐに病気が見つかり、一年もたないだろうと言われていたところに、この都市からの勧誘があった。
お子さんには二度と会えなくなりますが、命だけは助かります。そんな誘い文句に、両親は都市に子供の未来を託す事を決めたという。
今でも、彼の成長記録が両親の元へ送られている。年数回、映像での近況報告もしていた。とはいっても、こちらからの一方通行だけれど。
そんな彼は、この都市で実験的魔法手術を受けて無事成長している。もうじき二十歳。前世で言えば成人だ。
でも、この都市で命を長らえた彼に、今後の選択肢は多くない。手術の後遺症として、耳の形が普通のそれとは大きく異なる事からも、一般社会には戻れないだろうと言われている。
それでもいい。彼にとってこの都市は居心地が良く、わざわざ地上に出る必要性を感じないから。
彼は今でも手術の経過観察として、半日を研究所で過ごす。彼の手術の中心的役割を果たした人物は、現在四十五歳。彼の手術を担当した時には、若干二十五歳という若さだった。
「先生の年齢はおじさんだけど、その立場としては若い方なんだよね?」
「言葉に気をつけろ。恩人を捕まえておじさんなどとは」
「事実じゃない」
「ケツの青いガキが、生意気言って」
研究者の中でも、彼は柄が悪い事で通っている。古参の研究者達は眉をひそめるけれど、若い研究者達には絶大な人気があるんだとか。
「今日は何の検査?」
「血液検査。ちゃんと、体内の細胞が活性化しているかどうかを見るんだ」
「ふうん」
採血も、慣れたものだ。ここの助手的な仕事をしているのも、全てナース技術をインストールされたロボットである。寸分違わぬ腕前は、毎日のように採血される彼にとって助かるものだ。
「前に、先生の後輩が採血した事があったでしょ? あれ、酷かったなあ」
「研究者は採血の技術なんぞいらないんだよ。なのに、あのじじい共が……」
「今はロボットがあるもんね」
あっという間に終わった採血後の腕を、圧迫止血しながら彼はロボットの背中を見る。採ったばかりの血液を、既に体内の検査パーツを使って検査し終えていた。
「うーん……狙ったような数値じゃないなあ」
「それって、失敗って事?」
「いや、活性化はしているけれど、狙った程のものではないってだけだよ」
「ふーん」
無精髭の生えた顎をなでながら、研究者は検査結果を睨む。彼が望むのがどんなものなのかは知らないけれど、今日の結果は満足のいくものではなかったようだ。
「今日は他に何かやるの?」
「ああ、向こうで睡眠の検査をするってよ」
「あれかー。寝てるだけだから、楽なんだよねー」
「それと……」
「何?」
「お前、近いうちにここから出る事になるそうだ」
「え?」
いつも通りの他愛ない会話。そう思っていたのに、最後に研究者からもたらされた一言は、彼自身が思ってもみなかった衝撃をもたらした。
「出る……って、え?」
「何でも、この近くの地上に、都市外の実験施設を作るらしい。そっちのリーダーとして、お前が選出されたんだ」
「ど……して?」
「手術、お前が一番最先端のものを受けてるからだよ。他の耳長連中より、活性化が著しいしな」
「だって……数値が思わしくないって……」
「だから、それは理想だって。今の数値でも十分なんだが、上があるなら目指すのは当然だろ?」
研究者は、いつもと変わらない様子だ。こんなにも不可解な感情を胸に抱くのは、彼だけらしい。
「……地上の施設に移ったら、もうこっちには帰ってこれない?」
「多分な。大分長い実験を行うってよ。まあ、そろそろ将来を決めなきゃならない時期だし、いい頃合いなんじゃね?」
「……ここでの、検査は?」
「向こうにいっても、検査結果は送ってもらえるみたいだしな」
窓から外を見る研究者に対し、彼はもう何も言えなかった。
◆◆◆
そのまま肩を落として立ち去る彼の後ろ姿を見送りながら、研究者はぽつりともらす。
「さすがに、都市内にいなけりゃ、襲撃も受けないだろう」
近々、よくない連中が何かやらかすらしい。この研究都市で行われている事に反対している連中がいる事も知っている。
体のいい人体実験。そう言われているのも知っているけれど、この都市からのフィードバックは確実に地上の連中の病気治療に役立っているではないか。先程の彼だって、ここでの実験的治療がなければ、生後一年以内に命を落としていた。
何事も、些細であったり尊かったり、犠牲は付き物だ。だからこそ、自分がここで研究に殉じるのも、また犠牲の一つだろう。
研究者に情報を渡した人物は、だから早く都市から逃げろと忠告してくれた。彼女は昨日から長期休暇で都市を留守にしている。
研究室の大きな窓からは、天井がよく見える。思い返せば、本物の空を見なくなってから、どれくらい経っただろうか。
「ま、いいか」
今の人生もまがい物のようなものなのだ。ここで死んだら、今度は日本に逆転生するかもしれない。
そうなったら、少しは面白いのに。そしてこちらの記憶を持って生まれ変わったのなら、きっとこの事を小説か何かにしようと思う。
もっとも、無事生まれ変われれば、の話だが。




