拍手 053 百四十九話 「実験」の辺り
ネーダロス卿の隠居所は、招かれざる客を迎えて騒然としていた。
「これはこれは……ご無沙汰いたしておりました、姫」
「よしとくれ。あんたにそんな呼び方されると、背筋が寒くなるよ」
「ですが、皇女殿下のご身分は変わりませんよ?」
「とっくにその身分は捨ててるよ。知ってるくせに、相変わらず嫌みな爺だね」
「はっはっは。苛烈姫と呼ばれた姫にそのように言われるとは、いや愉快ですなあ」
見た目はにこやかなネーダロス卿とイェーサだが、交わされる言葉は辛辣だ。ネーダロス卿側に座るのは、居心地の悪そうなクイトと、眉間の皺を隠さないメラック子爵の二人。
対するイェーサ側は、青い顔のザハーとゴーゼの二人である。その二人は、小声で言い合っていた。
「兄さん、今日、ここに私も来る必要、あったんですかね?」
「あるに決まってる。お前、ここに俺だけで来させるつもりだったのか?」
「いや、イェーサさんとは兄さんの方が付き合いが長いですし」
「たった二ヶ月かそこらの差だろうが。逃げるな」
「うう……」
胃の痛みに耐えかねたのか、ゴーゼが豊かな腹部を両手で押さえる。貴族どころか、そろそろ皇室御用達商会になるのではと言われるデロル商会、その会頭と彼の右腕は二人揃って今の状況を呪いたくなっていた。
「……懐かしい呼び名だねえ。その名を覚えているくせに、うちの店子にちょっかいかけるってなあ、どういう了見だい?」
「そういえば、彼女は姫の下宿屋にいるとか。いやはや、奇妙な縁とでも申しましょうか――」
「御託はいい。お前さん、何を考えているんだい? あの子はあんたらとは生きる世界が違う。辺境出身の孤児で、今は一介の冒険者なんだ」
「お戯れを。あの者の腕前で、一介の冒険者だなどとは片腹痛い。一体どこの誰が、ほぼ単独でシンリンオオウシなどという大物を狩ってこられるんです? ああ、そのシンリンオオウシを買い取ったのは、そちらにいるゴーゼだったとか」
ネーダロス卿の言葉に舌打ちするイェーサに対し、名指しをされたゴーゼは今にも倒れそうな顔色だ。
彼とて辣腕を振るう商人、貴族相手の仕事には慣れている。そんな彼をして、ここまで怯えさせるものがネーダロス卿にはあるのだ。
現役の頃、身分が下の庶民はおろか同じ貴族や時には皇族ですら敵にした事があると聞く。しかも、どの戦いもことごとく勝ち、ついたあだ名が常勝侯爵だ。上流階級の中でも、彼を恐れる者達は多い。
既に現役を退いたとはいえ、彼の権力は未だに衰えず、帝国の上層部に多大な影響を与えている。
翻ってイェーサはといえば、彼女は三代前の皇帝の第六皇女だった人物だ。実母の身分が低くなければ、新たな貴族家を興していただろうと言われる人物である。
皇帝直属の魔法士部隊を設立し、身分にかかわらず採用する制度を作ったのも、イェーサである。
他にも身分にこだわらない制度をいくつか作った時点で、保守派に目を付けられた為、被害を広めない為にも野に下った。
制度を作る際に、保守派を相手に相当な舌戦を繰り広げたそうで、その時に付いた呼び名が「苛烈姫」である。その性格、苛烈を極めると言われたのだ。
「どれだけ腕が良かろうと、冒険者は冒険者だ。社会の底辺と言われる職だが、それ故社会に縛られる事が少ない。社会にガチガチに縛られる貴族階級のあんたが、手を出して言い相手じゃないよ」
「お言葉ですが姫、彼女と私は姫の知らないところで深く繋がっているのですよ」
「……何だって? そりゃどういう――」
「残念ですが、これ以上は言う訳にいきません。何でしたら、もうじき帰ってくるでしょうから、その時本人に聞いてはいかがです?」
しばしにらみ合う二人。ややして、この場の勝者が決まった。
「……相変わらず嫌みな爺だよ」
「歳の事はお互い様でしょう」
「あの子に聞いて、もしあんたとの関わりを絶ちたいと言われたら、あたしゃ全力でいくからね」
「その時は、お待ちしております」
「話はこれだけ。邪魔したね。ほら、あんた達も帰るよ」
イェーサに促されたザハー達は、無言で彼女の後に続く。珍客を見送ったネーダロス卿の背後から、大きな溜息が聞こえた。
「あーーーー、怖かった……」
「本当にねえ。あのばあさん、あの歳になってもまだあんな気炎を吐くとは」
「いや、いい勝負どころかあっちを言い負かしたじいさんが言うなって」
クイトの言葉を綺麗に聞き流し、ネーダロス卿はメラック子爵に向き直る。
「それにしても、店子の為にこんなに動くものかね?」
「あの方は昔から、弱い立場の者達をかばってらしたでしょうに」
「ふむ、それもそうか。で? ギルドの伝手を使って、ラザトークスの様子を知る事は出来ないかい?」
「無理ですよ。まだネットワークどころか、通信システムすら出来上がっていないんですから」
「のろまな事だ。とっとと計画を進めたまえ」
「文句は技術屋達に言ってください。あと、一部の保守派共に」
「保守派か……一度姫に叩き潰されたと思ったのに、存外しぶとい」
「ああいった連中を駆逐する事は不可能です。せいぜい、こちらの邪魔をしないように牽制する程度ですね」
「何を気弱な事を。姫をごらんよ。女の身でありながら、保守派を追い込んだあの腕前」
「苛烈姫と一般的な人間を同列で語るのはやめていただきたい」
「君も言うねえ。クイト、いつまで呆けているんだい?」
「だって、怖い爺さんと怖い婆さんのファイトだよ? 目の前でリアルキングオブモンスターズを見せられたら、誰だって……ねえ?」
「ほほう。姫をモンスター扱いするのは構わないけれど、私を同じように扱うとは……」
「いや、本来そこは元皇族の大叔母さんをモンスター扱いするなって言うところじゃない!?」
「問題ないよ。彼女の苛烈姫という呼び名を一番使っていたのは、君の父君だからね」
「親父いいいいい!! 何やってんだあああああ!?」
ネーダロス卿の隠居所にある大広間に、クイトの叫び声が響いた。




