拍手 167 二百六十四「引きこもり生活」の辺り
水路を行く船から、改めて帝都を見回すフローネル。彼女の目は、好奇心に輝いていた。
「改めて見ても、美しい街だな!」
エルフの特徴的な耳を帽子で隠す事で、外出が許可されたのだ。そんな彼女の笑顔を眩しい思いで見つめながら、レモは訊ねてみた。
「気に入ったか?」
「ああ! 人の作る街とは、こんなに美しくもなるんだな……」
遠い目をする彼女に、レモはかける言葉がない。彼自身、この帝国を「故国」とは言えない事情がある。
もう二度と戻るつもりのな場所だが、あの土地には親兄弟が眠っている。それを思うと、少しだけ未練が出てくるのだ。
「レモ? どうかしたか?」
「いや……ちょいと、昔の事を思い出しただけだ」
フローネルには、自分の過去の事を全て話してある。神妙な顔で聞いていた彼女の様子を、思い出した。今のフローネルは、あの時と同じ顔をしている。
「レモ、帰りたいのなら、出来るうちに帰った方がいい」
「ネル?」
「私が言えた事ではないが、望郷の念というのは、消しがたいものだ。それに、故郷には父君母君と共に、姉君も眠っているのだろう?」
「そりゃ、そうだが……」
「顔が知られているというのなら、ベル殿に借りた道具で見た目を変えられるぞ? 髪の色や目の色を変えるだけでも、大分違うそうだ」
本当に、あの嬢ちゃんは何を作っているのかと言いたくなるが、それに助けられる事も多いので、文句一つ言えやしない。
だが、そうか。己の容姿を少し変えるだけでも、当時の人間に見つかる危険性は低くなる。それに、ティザーベルの道具ならば、連中からの攻撃など簡単に弾くだろう。
危険性が低いのなら、行ってみてもいいかもしれない。
「……何にしも、ヤードが帰ってきてからだな」
彼は今、ティザーベル達と共に、ネーダロス卿の診察の為五番都市へと赴いている。
「それは当然だ。彼だって、出来れば帰りたいと思っているだろうし、母君の墓にも参りたいだろう」
果たして、あの甥がそう考えているかは謎だが、ここらで一度、けじめとしても戻るのはいい事なのではないか。
行った結果、改めて自分達の「帰る場所」が帝国であってもいい。何せ、自分はこれからここで所帯を持つつもりなのだから。
――もしかしたら、あいつも……
幸薄かった姉の忘れ形見は、なかなか大変な人生を歩む運命だったようだ。一度は記憶をなくしたりもしたけれど、それも何とか乗り越えている。
甥であるヤードにも、幸せになってほしい。月並みな言葉だが、所帯を持ち、子を持ち、当たり前の生活というものを味わってほしいと思う。
水路の両岸が低くなり始めた辺りで、再びフローネルが縁にしがみつく。この街は、彼女にとって何でも美しく映る場所らしい。
そんな背中を見てから、不意に空を仰ぐ。
「無事に帰ってこいよ」
晴れ渡った空に向けて放ったレモの言葉は、誰にも聞かれる事なく消えていった。




