拍手 121 二百十八「地下にいるもの」の辺り
聖都ジェルーサラム。その最も高貴な者が住まう区域に、サフー主教の屋敷はあった。本来、彼の立場でこの屋敷を入手する事は不可能だが、それを可能にしたのは彼自身の手腕である。
「異常なし」
門番の交代時の申し送りに、短く答えてナゼジトは交代で来た同僚に後を託して屋敷に入る。これから短い休憩を終えたのち、敷地内の見回りだ。
「ふう……」
溜息が口から漏れる。常にこの屋敷の警護を受け持つ彼は、屋敷の噂が一部本当の事だと知っている一人だった。
曰く、夜な夜な男の苦悶の声が響くらしい。
屋敷には、特別に大聖堂から賜ったという聖魔法具が使われている。これは外敵を排除するなどのものではなく、音を外部に漏らしにくくするという効果があるのだとか。
それも、ナゼジトは身をもって知っていた。あれがなければ、きっともっと大きな声が屋敷の外に響いた事だろう。
沈鬱な思いを抱えながら歩く彼の耳に、敷地内警護を主に受け持つ傭兵の声が聞こえた。
「しっかし、敵なんざどこからもこねえじゃねえか。腕がさびるぜ」
「いいじゃねえか。報酬はいいわ、酒は飲み放題だわ、いい事だらけだぜ」
「ちげえねえ」
げはげはと笑いながら行き交う彼等は、この屋敷の当主の本当の怖さを知らない。何せサフー主教の後ろにはあのヨファザス枢機卿が控えている。
彼は教皇の第一の側近と呼ばれ、ここ聖都のみならず周辺国へも絶大な影響力を持つ。異端管理局ですら、自在に動かせるという噂だ。
そんな恐ろしい人物の、さらに恐ろしい一面が、この屋敷の地下にある。いや、地下だけではない。屋敷の奥には、立ち入り禁止の区域があり、そこにも秘密が隠されているのだとか。
ナゼジトの目に、屋敷の東側にある地下への出入り口がちらりと映った。あの場から、人だったものが運び出される現場を、彼は目撃してしまった事がある。
誰にも言えない。同じ聖都騎士団の同僚にすらも。この聖都の治安を守る立場にありながら、あのような恐ろしい事が聖都のど真ん中で行われている事を、見逃し続けているなんて。
先程の傭兵達の話ではないが、この屋敷の警護に就くと特別手当がもらえる。普通の給金の倍以上になる手当のおかげで、実家を建て直す事が出来た。
いくら聖都騎士団の給金が他よりいいとはいえ、自分のような下っ端の給金だけでは、建て直すのに十年はかかっただろう。それが、この手当をもらうようになって、わずか半年で建て直せたのだ。
何も言ってはいけない。黙って仕事に専念してさえいれば、いい思いが出来るのだ。だが、間違って余所であれこれ吹聴したら。
おそらく、近くを流れる川に、遺体が浮く事になるだろう。比喩でもなんでもなく、そうなった同僚や傭兵達をもう何人か見てきた。
今夜も、あの地下では恐ろしい宴が開かれるだろう。自分はこのまま黙って、ここに勤め続けるのだ。
何が神のお膝元だ、地獄の悪魔の間違いだ、きっと。




