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祖国 sideナポレオン(書籍版第26部相当)

 

 グレゴリオ暦 一七九三年 二月一五日




 さざめく波音と海鳥の鳴き声が聞こえる、ある日。


 フランスは二回目となるサルデーニャ島への遠征作戦を決定。

 この遠征の背景には、コルシカ同様地中海の要所であり、占領できればイタリア半島諸国を牽制しつつ、革命思想を地中海近辺の国々に広められるという名分があったのは間違いない。しかしながら、それ以上に革命以前からの深刻な食糧不足の解消という真の目的もあった。

 肥沃な農地に適したサルデーニャ島は、家畜、小麦、ぶどう酒、海産物の塩漬けなどの食糧資源に恵まれていたからだ。


 コルシカ島、アジャクシオの港には、ぞろぞろと無数の軍人が集まっていた。

 海上には軍艦旗を掲げた数多の帆船が並んでいる。

 彼らは、フランス本土から補給に立ち寄った遠征軍と援軍であるアジャクシオ国民衛兵義勇軍だ。


 その中には、初陣ということで、一際やる気に満ち溢れているナポレオンの姿もあった。

 彼も、今回のサルデーニャ遠征にボナパルト義勇軍中佐の立場として参戦するのである。


「……しかし、いきなり問題が発生とは、先が思いやられますね」


 ブオナパルテ派である部下の一人が、苦い顔を浮かべて言う。

 それは先ほど、フランス海軍の艦船に乗船しようとしたコルシカ義勇兵がフランス正規軍と諍いを起こしたことを指していた。


「本土の遠征軍がサルデーニャ島南端のカーリアリに、コルシカ義勇軍がコルシカとサルデーニャを隔てる海峡の小島、マッダレーナ島へと、それぞれ別行動を取ることにして解決したが……もとより排他的なコルシカ人と本土軍兵士たちとの混成部隊など、到底不可能だったのだ」

「……確かに、心情的な違いは大きいでしょう。サルデーニャ島は先のコルシカ独立戦争でも、食糧や弾薬など救援の手をつねに差し伸べてくれましたから」


 複雑な気持ちを隠しきれない部下の呟きが、隣に立つナポレオンの耳にもしっかりと届いた。


「もちろん私も、コルシカ人として思うところは――」

「おい、それ以上言うな」


 鋭利に眇められたナポレオンの瞳。


「フランスとの協調を主張する立場の俺たちが、そんなことを言っていたとパオリ派の奴らに知られたらどうする?」


 周囲に聞こえないように、怒りを押し殺した声で告げる。


「ただでさえ、国王処刑の一件で対立が激化している最中なのだぞ!?」


 変わらず非協力的な国王の態度に対して、我慢の限界に達した民衆は、八月一〇日テュイルリー宮殿に攻め寄せると守備に就いていたスイス人傭兵と交戦の末に宮殿を制圧。

 そうして、王権を剥奪された上でタンプル塔に幽閉されていたルイ一六世が、一七九三年一月二一日、裁判の末に革命広場でギロチンにかけられ処刑された。


「俺たちが最近なんて言われているか知っているか?」

「……国王弑逆派、でしたか」


 その言葉に軽く頷きつつ、ナポレオンはちらりと視線を辺りに巡らせる。

 遠巻きにだが、こちらを睨んでいる者たちが存在した。


 ――もはや憎悪といえるほど、ぎらつく瞳。


 彼らは、ルイ一六世が処刑されて以降も、フランスと共にあるべきだと主張するボナパルト派に、嫌悪の視線を向けているパオリ派の者たちだ。


「……この戦いは俺にとって初陣であることはもとより、ブオナパルテ家の名誉と支持を取り戻す重要な戦いでもある。必ずや軍人としての責務を果たさねばならん」


 自らに言い聞かせるように呟いたあと、ボナパルト義勇軍中佐は覚悟を決めたように足を動かした。





 それから、数ヶ月が経ち、グレゴリオ暦一七九三年五月二九日。



「――もっとスピードは出ないのか! 急いでくれ!」


 雲一つない快晴と、空の青色を映した美しい海。

 地中海らしい天候の下を航海しているフリゲート艦の甲板で、ナポレオンは青ざめた顔のまま傍らの海兵に詰め寄る。


 南国の太陽とは対照的に、彼の心には暗雲が漂っていた。

 日頃から物おじしないナポレオンがここまで取り乱しているのには、当然ながら理由があった。


 時間を遡りサルデーニャ遠征から一ヶ月が過ぎた、三月の末の一幕。


「ルチアーノの馬鹿者めッ! 愚かなことに早まったことをしよって!」


 玄関口に立っていたにナポレオンは、三男であるリュシアン――ルチアーノからの手紙を握り締め、思わず吐き捨てた。


「ん? ルチアーノから何だって?」

「兄さん、聞いてくれ! ルチアーノがトゥーロンの政治クラブ『共和国協会』でパオリの弾劾演説を行ったとのことだ!」

「それの何が問題なんだ? 僕たちとパオリの対立関係なんて今更な話じゃないか……」

「話はここで終わらないんだ! ルチアーノの演説を聞いた『共和国協会』の者たちが、その内容を纏めたパオリ罷免の請願書を国民公会の議員に送り付けたらしい!」


 国民公会とは、ルイ一六世の王権が停止したことで立法議会から改まった議会の名称である。


 そこまで言うと、初めてジョゼフの顔が青ざめた。


「おいおい、まさか……そのパオリ罷免の請願書が公会の議題に取り上げられたか!?」

「ああ、サルデーニャ遠征失敗の件もあって、本土でもパオリ不信は高まっていたこともある」


 ――二月にあったサルデーニャ遠征は、失敗に終わっていた。


 その原因は、コルシカ義勇軍司令官のパオリが、マッダレーナ島に上陸をする直前、サルデーニャに対する恩義と反仏感情から、突如として兵力不足を名目に撤退を命じたからだ。


「だからこそ公会でも賛成多数で可決され、既にもうパオリの逮捕状まで出されることが決まったらしい!」


 唖然とするジョゼフに対し、ナポレオンは一連の流れを得意げに記したリュシアンの手紙を突きつける。

 震える手で受け取ったそれを流し読みすると、彼は思わずといった様子で唸った。


「なんてこった……そんなのパオリが素直に受け入れるわけがない! コルシカを支配しているのはパオリ派なんだから!」


 ルイ一六世の処刑以降、コルシカ人の心は君主殺しへの嫌悪感から一気にパオリの主張する独立へと傾いていた。


「最悪、追い詰められたパオリが武力行使にでる可能性すらあるよ!」


 コルシカには異なった二つの軍事力がある。

 一方がパオリ将軍の統率下にある国民衛兵隊であり、もう一方がフランス共和国の議員が派遣した正規軍だ。


「それにコルシカで内乱ともなれば、火付け役となり憎まれているブオナパルテ家を、パオリがこのまま放置しておくわけがない!」





 かくして、四月二日パオリ逮捕の令状がコルシカ島全土に公布されると、ボナパルト兄弟の予想に違わず、パオリ派と、ボナパルト派を含めた国民公会派の内乱へと発展した。


 コルシカにおいて優位を誇るのはパオリの軍勢。

 戦況は戦力比の通りに推移し、四月末までに各地の要塞を占領されフランス軍はコルシカ島の北部西岸まで押しやられる。


 その中でアジャクシオの外れにある要塞も、パオリの軍隊に襲撃を受けて陥落。

 ナポレオン自身は混乱の中、どうにかコルシカからフランス本土へと脱出したものの家族とは途中ではぐれており、未だ島に取り残されている。


 そこで、アジャクシオの奪還を名目に編成されたフランス海軍の遠征艦隊に乗り込み、ナポレオンは家族を救出するため再びコルシカの地を目指していた。



「頼む……無事でいてくれッ!」


 祈ることしかできない現実に苛まれる中、生きた心地のしない時間が過ぎていく。


 やがて日が暮れて翌朝になると、アジャクシオ遠征艦隊はコルシカ島に到着し、さっそくパオリ軍の占領するアジャクシオの要塞に砲弾を撃ち込んだ。

 しかし、パオリ派の粘り強い抵抗に、遠征艦隊は戦力の見直しを強いられ、もう一度出直すことになる。


 そして、日が沈み翌日。

 予定を変更した艦隊は、パオリ派に追われている人々を収容する目的でアジャクシオ湾を海岸沿いに巡り始める。


 するとまもなく、船員たちが動く人影を捉えた。

 海岸に接近するためナポレオンも小型(カッ)帆船(ター)に乗り込むと、近づくにつれて見慣れた顔が見えてくる。


「母さんだ! 兄弟たちもいる!」


 それから、彼らを救出したナポレオンはアジャクシオ遠征艦隊から降りると、コルシカにある隠れ家に向かう。

 救出できた家族以外にも、バスティアにはジョゼフと一番末の弟妹がいたからだ。


 そうして、彼らとも無事に合流できた六月一一日、トゥーロンに弾薬補給に向かう予定のフリゲート艦に乗船して帰還の途に就いた。


 ナポレオンは一度だけ遠く離れたコルシカ島を振り返る。


「野心があったのは否定しないが、それでもコルシカの未来を想い尽くしてきた。その俺を捨てるというなら、俺もコルシカを捨ててやるッ!」


 コルシカ最高峰のモンテ・ドーロを潤んだ双眸で見据えながら、それでもしっかりとした口調で言い切った。


「道を見失った羊飼い(パオリ)と羊(コルシカ人)たちよ――そんなに外の世界を見たくないならば、小さな柵の中に囚われているがいいッ! そんな無様な生涯など、俺はお断りだ! 命尽きるそのときまで、歩みを止めず進み続けてやる! これからはナブリオーネ・ブオナパルテというコルシカ人ではなく、ナポレオン・ボナパルトというフランス人として!」


 ――さよならだ、祖国だった島国よ。


 彼は胸に込み上げてくる感情を押し殺し、もう二度と後ろを振り返ることはなかった。




 そうして、真夏の熱気に満ちた八月のある日。

 どこか物憂げなナポレオンがパリの街中を歩いていた。


「――お、そこにいるのは、ボナパルトじゃないか!」


 ぽんと背後から肩を叩かれ、振り返る。

 そこには将軍の階級章を付けた初老の共和国軍人の姿があった。


「これはジャン・デュ・テイユ将軍、お久しぶりです」


 彼は、オーソンヌ時代に砲術学校で世話になったジャン=ピエール・デュ・テイユ将軍の弟であり、その縁からナポレオンとも旧知の仲であった。


「最近どうしていたんだ?」

「パオリの反乱でコルシカを追われ、六月中旬に家族ともどもトゥーロンへと上陸しました。今は拠点をマルセイユに移し生活しています」

「そうか、生活は大丈夫なのか?」

「……政府はコルシカからの亡命者たちに補助金を出すらしいのですが、これだけでは暮らしていけません。私も原隊の分遣隊に復帰したものの、現在の新兵訓練や補給担当では、裸一貫で飛び出した家族たちを養うとなると厳しいというのが、正直な感想ですね」


 苦しい現状を噛み締めるように、ボナパルト大尉は呟いた。


「ですから、イタリアかライン方面にでも役職を貰えないか、知人の伝手を使って軍務省にかけ合ってみようと、こうしてパリに訪れている次第です」

「そうか、それはちょうどよかった」

「ちょうどいい?」


 彼は一旦頷いたあと、ご機嫌な声音でそう言った。


「イタリアやライン方面ではないが、フランドルはどうだ?」

「フランドル、ですか?」

「説明すると少し長くなるが聞いてくれ。三月にフランドル方面であったネールウィンデンの戦いは知っているか?」


 オーストリア軍四〇〇〇〇名に対し、フランス革命軍四五〇〇〇名と両軍四万を超える軍勢がベルギーのネールウィンデンで対峙し、フランドル方面の戦局を左右する重要な一戦が起きていた。


「そのネールウィンデンの戦い以降、フランドル方面は敗北続きで、七月中には重要拠点であるコンデとヴァランシエンヌまで陥落し、戦線の大幅な縮小を強いられた。さらに現在ではイングランド軍がダンケルクを包囲している最中とのことだ。ダンケルクを落とされれば、大陸本土にイングランドの前線基地が出来ることとなり、追い返すのは容易なことでは無くなるだろう」


 ダンケルクが落ちれば、敵であるフランダース遠征軍の補給が大きく安定するのは容易に想像がついた。


「そこで政府はダンケルクの包囲を解くため、新たに四万の軍勢をダンケルクの南に集めるように命じたのだ」

「たしかに、フランドル方面はそろそろ勝利しなければまずいですか」


 四万という莫大な戦力の増強もナポレオンには納得できるものだった。


「スペイン方面はピレーネ山脈という天然の要害があり、イタリア方面も全イタリアがまとまれば脅威ですが、それにはまだ時間がかかるでしょう」


 当時のイタリアは、ナポリ、トスカーナ、ヴェネツィア、ジェノヴァなど分裂状態であり、ドイツと同様イタリアという地域はあっても国はない。


「ライン方面も押され気味とはいえパリからはまだまだ遠い。しかし、フランドル方面はパリに最も近い戦線です。コンデとヴァランシエンヌが落とされたなら、アラスまでの戦線縮小すら視野に入れなくてはなりません。アラスともなれば、もうパリの目前といっても過言ではない」


 パリとアルスの距離はおよそ一六〇キロ。しかも、その間には他の戦線に比べ、要害になりそうな地形もなかった。


「ああ、それに今更言うまでもないが、連合の中で最も脅威なのがイングランドだ。海上ではいいようにやられており、あの経済力を背景にフランス各地の反乱軍に武器や資金も供給している」

「コルシカのパオリにも、イギリスからの支援があったようですからね」


 ボナパルト大尉は、苦々しい過去を思い出したように捕捉する。


「だからこそ、政府はここでイングランドを叩いておくことが戦略的にも最良だと判断し、わしに有能な砲兵将校を何人か従軍させるように命じられたのだ」

「兵数四万とはいえ、大半が二月にあった大規模な募兵令によるものでは訓練不足は明らかです。それを補える優秀な砲兵部隊と砲兵指揮官を求めるのは当然といえますか」

「そこで、話を戻すのだが」


 一旦、言葉を切り、改めて正面の青年将校に向き直った。


「ボナパルト、貴官が砲兵将校の一人としてダンケルクに従軍してくれんか? 貴官が素晴らしく優秀なのを知っている身としては、この戦時下に訓練と補給でその才能を活かしきれないのはあまりに惜しい」



 どうだ、という視線を送ると、ボナパルト大尉は唇の端を弧に歪める。


「――願ってもないことです」


 史実においてナポレオンは、この数日後に負傷する砲兵隊長のドマルタン少佐の代わりとして、トゥーロン攻囲戦に派遣された。

 しかし、イギリス軍の軽歩兵部隊や保存食の影響で史実以上の力を持ったフランダース遠征軍に脅威を覚えたフランス政府は、ジャン=ピエール・デュ・テイユ将軍に少しでも有能な砲兵将校を求め、彼は偶然パリで出会い条件に当て嵌まるボナパルト大尉に声をかけたのだ。


 かくして、ナポレオン・ボナパルトの不朽の名声は、トゥーロンではなくダンケルクから始まろうとしていた。


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お読みいただき有難うございます

『転生したからナポレオンを打ち倒したい ~皇帝と英国紳士とフランス革命~』がKADOKAWA様より3月5日に発売いたします。

興味がある方は、画像クリックで
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