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政治の修羅場 sideナポレオン(書籍版第18部相当)

 

 グレゴリオ暦 1792年 3月1日





 ナポレオンが強い意気込みで臨んだコルシカの立法議会選挙では、パオリがさらにその勢力を確かなものとした。


 しかし、ナポレオンの辞書に諦めるという言葉はない。


 去年8月はじめの法令で、各県に義勇軍大隊が編成されることになり、コルシカにも一県として四個大隊編成され参謀部に副官一名がつくことになった。


 そこで10月の半ば、コルシカに帰省していたナポレオンは、参謀部の副官になろうと働きかける。


 ――副官としての棒給とボナパルト派の影響力拡大は無論のこと、休暇でなくとも正規軍将校のままコルシカ島に留まれる名目が欲しかったからだ。


 ところが、副官職を得ようと躍起になっていた矢先、今年2月の法令により義勇軍大隊に加わった正規軍将校は、中佐に選ばれた場合を除き4月までに原隊復帰しなければならないこととなった。


 ピリニッツ宣言で、フランス国内での戦争熱がにわかに高まっていたためである。





 かくして、春先の日差しが射しこむ、その日の午後。

 客間の一室に、ナポレオンとレティチアが向かい合って座っていた。


「私は目標を改め参謀部の副官ではなく義勇軍の中佐を目指します。私がコルシカに留まるには、今回の選挙に勝つしかありません」


 義勇軍大隊の中佐は、現役将校の資格さえあれば任命される参謀部の副官と異なり、各大隊が属する地区の選挙によってのみ任命される制度であった。


「それに、この選挙に勝てば一個大隊の軍事力を背景に、アジャクシオにおいても最低限の影響力は残せるでしょう。ブオナパルテ家の生き残りをかけて、どうしても今回の選挙には勝ちたいのです。ですから、先日亡くなった大伯父さんが遺したお金を、どうか選挙資金として使わせて下さい」

「あんたがそこまで言うなら使うといいけど、勝算はあるのかい?」


 レティチアが心配そうに問いかけるのも無理はない。


 コルシカ義勇軍中佐は、一個大隊に2名だけで全体でも8名のみ。

 しかも、アジャクシオ・タラノ地区では、一個大隊の二枠に対し、パオリの側近が推す二人のパオリ派を含め、すでに6名の候補者が存在していた。


「去年の9月にあった立法議会選挙以降、パオリはコルシカ全土に盤石な地盤を築きましたが、だからこそ本土政府にとっては面白くないはずです。立法議会でのコルシカ代表6議席中5議席がパオリ派だったという結果も、見方を変えればパオリによる独裁政権と受け取れますから……。ヴァランスで築いた伝え手を使い、本土からの助力を得られれば、この盤上をひっくり返すことも不可能ではないでしょう」

「……そう」


 重々しく吐き出すナポレオンの言葉に、レティチアは短くそう返した。


 こういった経緯からナポレオンは、リュシアン副司教の遺産やヴァランスで培った共和派とのコネなど、持ち得る全てを費やして選挙に臨んだ。


 ――が、才能より経験が重要視される政治の世界。


 連日連夜の支持者たちを集めた大盤振る舞いも虚しく、老獪なパオリの選挙戦術の前に、ナポレオンは日に日に劣勢を強いられるようになっていた。





 そうして、選挙が迫った3月下旬。


 フランス本土の選挙管理委員会が、いよいよアジャクシオに上陸するとの知らせが届く。

 選挙の行く末のカギを握っているのは、選挙管理委員がどこの家に宿泊するのか、という点である。


 なぜなら、彼らの滞在先がそのまま選挙の戦況を現しているといえるからだ。


 そして、それは旅装を解いた先――いわゆる優勢な派閥の勝ち馬に乗ろうと、同地区で旗幟を鮮明にしていない有力有権者の支持者票が流れることも意味している。



 三人のうち二人は、これまでの選挙活動の甲斐あって、ボナパルト陣営の邸宅に宿泊することになったが、残り一人がパオリの代弁者といわれている人物であったのだ。


 2対1と数的にはボナパルト陣営に優位であるが、それでは地力の差で戦況をひっくり返される可能性は少なくない。


 選挙で確実に勝つには、すべての選挙管理委員の確保が絶対条件――。


 月と星明りのみで照らされた自室の中で、その結論に至ったナポレオンは両手を顎に当て腰かけていたベッドから立ち上がった。


「リュシアン大伯父の遺産は底をついた。ここまでした以上、今回の選挙はどうしても勝たなければならん」


 視線の先には、デスクの上に置かれた一丁の拳銃(ピストル)


「――もはや、手段は選んでいられない」




 その日の夕暮れ。

 紅く染まった林道を進んでいる4人の人影があった。


 外套をかぶった選挙管理委員ムーラティと道案内を兼ねたパオリ派の護衛たち。

 彼らは郊外の森の奥に、ひっそりと建つパオリ陣営の邸宅に向かっている途中である。


 そして、もうすぐ目的地というところで、ざわざわと近くの茂みが揺れた。


「……ん?」


 刹那、茂みの中から黒い影が舞い踊る。

 彼らの前に躍り出たのは、目から下を布で隠した不審な人物であった。


「――動くな」

「な――」


 眼前に突き付けられた拳銃。

 パリオ陣営の者たちは、一同に絶句して固まった。


「選挙管理委員をこちらに渡してもらおうか」

「き、貴様! ブオナパルテ派の――」

「誰が喋っていいといった?早くこちらに引き渡せ」


 恐怖心を払おうとしたその言葉を、不審者はあえて遮り脅しをかけた。


「さあ、早くしろ」

「ッ、くそ」


 おずおずとムーラティを差し出してくる護衛たち。


 護衛という名目ではあるものの、彼らは、まさか本当にブオナパルテ派の襲撃があるとは夢にも思わず、拳銃に抵抗できるだけの武装をしていなかったのだ。


 選挙管理委員の身柄を無事手に入れた不審な人物――ナポレオンは護衛たちに拳銃を突きつけたまま慇懃な態度でこういった。


「あなたの身柄が不当に拘束されているとの知らせを聞きつけ、些か乱暴な手段を取ってしましました。お許しください」

「あ、ああ」

「しかし、今日からは安全が保証された家にお送りしますので、どうかご安心を」

「……お、お願いしよう」


 ムーラティにも、それがただの建前でしかないことは察せられる。

 しかし、断れば拳銃がこちらに向けられるのは明らかで、ただ黙って受け入れるしかなかった。


 物分かりのいいその様子に満足げな笑みを見せたナポレオンは、パリオ派の人間を一瞥するなり、ムーラティを伴って森林の奥へと走り出す。


 その遠ざかっていったナポレオンの背中に、護衛の一人が唇を噛んで叫んだ。


「貴様!このままで終わると思うなよ!こうなれば親父パオリもブオナパルテ家を許さんだろうからな!」


 こうして、三人すべての選挙管理委員を獲得したナポレオンは、選挙に勝つことに成功した。

 だが、同時にその代償は小さいものとは言えず、パオリ派とボナパルト派の対立は修復不可能なまでに深まったのだ。




 透き通った青空の4月中旬。

 居間の窓から射す暖かな春の光とは対照的に、暗い表情で項垂れるナポレオンの姿があった。


「――ねえ、ナブリオ」


 その対面に座っていたレティチアは、優しげな声で語りかける。


「そろそろ、フランスに戻ったらどうだい?」

「フランスに……」

「このままじゃ、全部お前が悪かったことにされてしまうよ」


 レティチアはそう言って、一週間前のことを思い出した。




 4月上旬のある日。


 アジャクシオの路上で、パオリの支持者たちと義勇軍兵士たちによる流血沙汰が起きていた。


 義勇軍兵士たちは、先日コルシカ義勇軍第二大隊の中佐に選出されたボナパルト中佐の部下であり、最初は些細な口論だったはずが、時間とともに激しさを増すと、最終的には死傷者を出すほどの乱闘に発展してしまう。


 それを知ったパオリ派の幹部は、ナポレオンを念頭において騒動の責任者を処罰するように訴えだしていた。



「……そうですね」


 ナポレオンもその経緯を把握しているからこそ、母の提案に否定の言葉は吐けなかった。


「パオリが深く根を張るコルシカに、このまま留まっていても活路は見出せないでしょう。パオリ派の追及を逃れるためにも、フランスに戻るのは悪くありません」

「それに聞いたよ?フランスじゃ、お前は亡命貴族の一人として見られているのでしょう?」

「ええ、つい先日、陸軍省から手紙が届きましたよ。どうやら私を職務放棄との名目で、将校名簿から抹消したとのことです。もともと多すぎる休暇で睨まれていましたが、年初めの閲兵式に無断欠席したのが、止めになったようですね」


 1月1日にあった連隊閲兵式は正当な理由なく参列しなかった場合、将校名簿から抹消されるという慣例があったのだ。


「ですので、ヴァランスの原隊に復帰しようにも、このままでは私の居場所はありません。そこで先ずはパリの陸軍省に立ち寄り、弁明して軍籍を取り戻してきます」




 時は過ぎ、6月も半ばを過ぎたころ。


 パリの中心部にある革命広場は人通りに溢れていた。

 離れた場所では、誰かが演説をしているのか街人が集まり、拳を掲げ口々に叫んでいる。


 そんな革命の熱気を感じるパリに辿り着いたナポレオンは、広場の一角で懐かしい顔と再開した。


「ブーリエンヌ、久しぶりだな!」


 大柄の躯体と短く揃えた栗色の髪に、翡翠の瞳。

 ルイ・アントワーヌ・フォヴレ・ド・ブーリエンヌ。

 ナポレオンとはブリエンヌ幼年学校の旧友であり、後に皇帝ナポレオンの秘書となる青年だ。


「ああ、全くだ。こうしてナポリオーネと顔を合わせるのも何年ぶりだ?」

「幼年学校以来だから、8年ぶりになるか」

「ナポリオーネはパリに着いたばかりのようだな。ならせっかくだし、懐かしい場所でも散策しようか」


 そう言って、二人は革命広場を抜け、広めの通りに出る。


 当時、陰険で気難しい性格であったナポレオンの数少ない親友と呼べる人物。

 それだけに、お互いの口も軽くなり道中の会話が弾む。


「――コルシカでそんなことが」


 コルシカでの経緯とパリでの目的を簡単に説明したあと、ブーリエンヌに話を振った。


「それで、そっちはどうしてたんだ?」

「俺は軍人の道を諦めて、外国で法律と外交について学んでいたよ。この春まではドイツ中部のライプチ(中部ドイツの東寄りにある街・ライプツィヒ)に滞在していたんだ」

「この春というと、宣戦布告の影響で戻ってきたのか?」


 3月、パリから逃亡を企てて以来、民衆の支持を失っていたルイ16世は、やむをえずジャコバン・クラブの主流であった穏健(ジロ)共和(ンド)派に政権を委ねた。

 政権を掌握した穏健(ジロ)共和(ンド)派は、戦争による経済効果と革命思想のヨーロッパへの波及を狙い、1792年4月20日、革命干渉工作を理由にオーストリアへ宣戦布告。


 これにより、遂にフランス革命戦争が勃発していたのだ。


「まあ、戦争で家族が心配だったから帰ってきたのは間違いない。なんでも各戦線は劣勢のようじゃないか」

「将校がいないのもあるが、それ以上に戦争方針を決定するパリがここまで混乱していては、な」


 パリの人々が戦争を勝ち抜いて、革命の火を守り抜こうと闘志に燃えているのに対し、ルイ16世は戦時体制を強化する法案に拒否権(憲法に明記された国王の権利)を行使した。


 当然、そのことに政府もパリ市民も憤りを覚えたが、国王の立場からすれば戦時体制を整えられるのは甚だ都合が悪かった。


 なぜなら、彼にとって外国の軍隊は敵ではなく、煩わしい革命家たちをパリから追い払ってくれる救世主同然であったからだ。


「国王と議員たちの政治闘争に、何かしらの決着がつかなければどうしようもならん」


 そう吐き捨てて、革命広場からテュイルリー宮殿にほど近い辺りまで来たとき、


「おい、あれを見ろ!」


 ブーリエンヌはそう言って、前方にひしめいている集団を指さした。


「なんだ、あれはデモ隊か?」

「ああ、どうもテュイルリー宮殿に向かっているようだ」


 二人が群衆に近寄っていくと、行進しながら口々に叫んでいる言葉が聞こえてきた。


「国王の拒否権を取り上げろ!」

「物価を下げろ!どれだけ民を苦しめれば気が済むんだ!」

「自由か、死か、国王は選べ!」


 さらに近づけば、怨嗟に満ちた群衆が掲げていた物に注意が惹かれる。

 それらは、プラカードや三色旗だけでなく、銃や槍、果てには焼き串などで、統一感のない武器の数々が見るものを威圧していた。


 やがて彼らは、茶色と灰色を基調とし、派手な装飾が見られないゴシック建築の宮殿――テュイルリー宮殿まで辿り着く。


「おい、軍隊はどこだ?」

「ん? 本当だな、軍隊の姿が見えない」

「このままでは――……」


 不思議に思った矢先――デモ隊が雪崩を打って宮殿の敷地内に押し入ったのだ。



 ナポレオンは唖然とした表情で、その異様な光景を眺めていた。


「馬鹿な、そこらにある場末の酒場ではないのだぞ!?一国の国王が住まう宮殿にこれほど簡単に侵入できるだと!?」


 そこまで言って、これほど簡単に宮殿内部まで侵入できた理由を察する。


「――まさか、政府はあえて対処せず黙認を選んだのか」


 政権を握った穏健共和ジロンド派と国王は法案を巡って対立していた背景から、政府は鎮圧のために軍隊を動かさなかったのだ。


「武装蜂起した群衆が国王のお膝元に雪崩れ込むようでは、立憲君主フイヤン派の復権はないか……」


 ほどなくして、庭を見下ろせる宮殿の中庭に、たった数名の近衛兵に守られたルイ16世が現れる。


 すると、瞬く間に取り囲んだデモ隊の一人が、自由の象徴であるフリジア帽子を国王に差し出した。

 その緊張の一瞬に、二人が目を奪われていると、国王は素直にそれをかぶり、宮殿には大歓声が響き渡ったのだ。


「なんて国王だ!大砲が数門もあれば、それだけで追い払える無法者どもの要求に素直に従うとはッ!」


 共和政を支持する立場であると同時に規律を重んじるナポレオンは、目の前に広がる光景に激しい嫌悪感を覚える。

 けれども、そんな内心とは裏腹に、革命が先鋭化している現実を否応なく実感してもいた。




 夏の陽射しが燦燦と輝く6月下旬。


 到着早々にパリの混乱模様を見せつけられたナポレオンは、その日にようやく陸軍省に足を運んだ。

 これほど混沌としていては、陸軍省も一個人の問題どころではないという結論に至り、多少なりとも情勢が落ち着くときを伺っていたからだ。


「とはいえ、事情を聞いてもらえたとしても、軍籍を取り戻すのは厳しいだろうな」


 そうして辿り着いたクリーム色の巨大な建物を見上げて、ナポレオンはふと不安に駆られた。


「いや、無策で来たわけじゃないんだ」


 かぶりを振ったナポレオンは、懐から二通の手紙を取り出した。


 それは遠縁であるロッシ少将――本国から派遣された正規軍最高司令官――に、義勇軍大隊ではイタリア語を話せる将校が必要だったという旨の内容が書かれた手紙と、情勢不安と悪天候でなかなか船の便がなかった、というコルシカ県発行の証明書である。


 ――正直にこれまでの事情を話せば、軍籍を取り戻せないと理解していたナポレオンはあらかじめ手を打っていたのだ。


「まあ、ここまで帰隊が遅れたのは俺自身の都合によるところも大きいが、証明書に書かれている内容が嘘というわけではないんだ。ならば軍籍を取り戻すことだって不可能ではないはず!」


 と、ナポレオンは口にして自分を鼓舞すると陸軍省の入り口に足を向けた。




 パリの宿屋で陸軍省からの通告を待っていたナポレオンの元に、通知が届いたのはそれから半月後のことだった。


「――なんだと、俺は夢でも見ているのか!?」


 受け取った通知には、砲兵第四連隊に復帰させることにとどまらず、1792年2月6付で大尉に昇進、という旨が記載されていた。


「軍人という立場ですら危うかったのに大尉に昇進とは……」


 この通知の背景には、二通の証明書があった事も間違いないが、それ以上に革命が先鋭化して将校不足が深刻になっていたという事実があった。


 現に、1793年7月までに貴族将校の亡命者は、革命以前の全将校のおよそ80パーセントに当たる、約8000人という莫大な数に及んでいたのだ。


「平時ではあり得ないことが平然とまかり通る……」


 思わずナポレオンは、周りを気にせず甲高い調子で哄笑した。



「――そうか、これが革命か」



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お読みいただき有難うございます

『転生したからナポレオンを打ち倒したい ~皇帝と英国紳士とフランス革命~』がKADOKAWA様より3月5日に発売いたします。

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