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暴動鎮圧 sideナポレオン(書籍版第11部相当)

 

 グレゴリオ暦 1789年 3月26日





 オーソンヌの中でも最も上等な宿屋の一室に呼び出されたナポレオンは、先ほどの懸念が当たったことを理解する。


「――昨日のことだ。サールの町中で二名の商人が殺されたらしい。場合によっては、このまま暴動にまで発展する可能性もある。お前たち二人はそれぞれ一個中隊を率いて鎮圧に向かってくれ」

「殺された?一体何が原因だったんですか?」

「馬鹿なことに、穀物の買占めを行ったようだ。それでパンが値上がりし、この暴挙に及んだ、と報告を受けている。三部会も間近に迫り、民衆の気が立っているこの時期に、買占めを行えばどうなるのか、殺された商人たちには分からなかったらしい……」


 三部会とは、第一身分の聖職者、第二身分の貴族、第三身分の平民という三つの身分代表が重要事項を議論する身分制議会のことである。近年の情勢を踏まえ、この5月に175年ぶりとなる三部会が開催されるのだ。


「そういうことで、お前たちは明日の早朝までにここを発ってくれ。頼んだぞ」


 その言葉で目を伏せたデ・マジに対し、ナポレオンは僅かも表情を変えぬまま、敬礼すると部屋を辞した。




 翌日。

 夜が明けきらないうちにオーソンヌを出発したナポレオンとデ・マジは、30キロ南西にあるサールへと進軍していた。

 中隊長であるナポレオンは、大きな体躯の馬に跨っている。

 後ろには、続々と兵士たちが列をなしており、(四ポンド)砲も馬によって牽引されていた。

 デ・マジは先頭を行くナポレオンと轡を並べて、声をかけた。


「なあ、ナポリオーネ」

「どうした?」

「どうして大砲を持ってきたんだ?今回の任務は、暴徒の鎮圧だし必要ないだろう?」


 今回のような遠征の場合、行軍速度を優先して大砲は従軍させないのが定石である。が、ナポレオンの強い要望があり、二門の野砲を引き連れることになったのだ。


「この機会に、体験しておこうと思ったんだ」

「体験?」

「ああ、軽量化された新式野砲の機動力が、具体的にどの程度のものか知らずには適切な運用などできんからな」


 グリボーヴァルの大砲において真骨頂といえるのは、旧式の大砲より向上した射撃速度や命中率ではない。

 ――真に革命的であったのは、行軍する歩兵部隊に全く劣らずに移動可能なその機動力であった。


「それに野砲の存在を見せつけるだけでも、暴徒には効果的だろう」

「なんだ、使用するつもりはないのか」


 デ・マジの深い安堵の声。


(大砲をもっていくなんて言い出した時は、まさか、町民たちに向けて砲撃までするつもりなのか、と疑ってしまった)


 内心で反省していたデ・マジに、ナポレオンは怪訝そうに眉を寄せた。


「何を言っているんだ?当然、必要ならば使用するぞ?」

「――ッ」

「大砲は飾りではなく武器なのだからな」

「正気かい!?相手はこの国の町民なんだよ!?」

「――民衆であると同時に暴徒でもある」


 瞳の奥に業火を宿らして、ナポレオンは鋭い声音を発した。


「弱者であることに甘えた者たちへの同情の余地などあるかッ!」

「コルシカ人である君がそう言うのかい!?」

「だからこそ言っている!動物以下に卑しめられたコルシカは、人間の品位と自由を取り戻すために断固なる決意と大志を抱いて立ち上がった。だからこそ、ジェノヴァ、オーストリア、フランスという大国を相手に40年という長きにわたり、戦い続けることができたのだ!」


 そこで怒りを押し殺し、真摯な口調で告げる。


「俺は物心がついたばかりのころ、戦争のあとも抵抗を続けた戦士たちが無法者としてアジャクシオの市内で捕まり拷問を受けていたのを見たことがある。けれども、彼らはあくまで毅然とした態度で、仲間たちのことはけっして口を割らなかった」


 鋭い褐色な双眸が、紅蓮に染まる。


「そんなコルシカ人たちが、弱者であることに甘えていると言うのか!?」


 ナポレオンのコルシカ至上主義ともいうべき激情。

 その熱にたじろぎながらもデ・マジは、僅かな期待を込めて問うた。


「な、なら、どうして、あんなに気乗りしない様子だったんだい?」

「気が乗るはずもなかろう。暴徒の相手など獣を追い払うのと変わらんのだから」


 その言葉を最後に、二人の間には沈黙が流れた。




 春の陽射しが降り注ぐ、昼下がり。

 喧騒に包まれたサールの町に到着したナポレオンは、塀に囲まれた墓地付きの修道院とボロボロの家々が両側に並ぶ狭い通りに一個中隊を陣取らせる。


 まもなく物々しい軍隊の登場に、町民たちがぞろぞろと集まってきた。

 先ほどまで商家や食糧庫でも襲っていたのか、その手には鍬や鎌を携えている。


 それを一瞥したナポレオンの双眸が、自然と冷徹に眇められた。


「――ただちに去れ!留まった者は暴徒と判断し発砲するぞ!」


 射撃体勢に入っている軍隊に、ほとんどの群衆が足を竦ませた。

 そんな中、ある一人の青年が勇気を振り絞り、甲高い声音で叫ぶ。


「う、うるっせ!俺たち農民は毎年のような凶作で飢えてるんだ!」


 その一言を皮切りにして、暴徒たちが戦意を取り戻す。


「飯にありつくには、不当に独占している奴らから奪うしか、ないだろうがよ!」

「あんた達、軍隊や商人が俺たちのパンを奪っていくのと何が違うってんだ!」

「飢えも知らないくせに何様のつもりだい!」


 雁首揃えた町民たちの喚き声。

 ナポレオンはうんざりした顔を見せ、小さく吐き捨てる。


「……お前たちだけが、飢えていると思うなよッ」


 実際、将校である彼ですらパンを食べたのなど何ヶ月も前の話であり、ここ何日かはトウモロコシの粥だけという有様だ。


「警告はもういらん、撃てぇ!」

「うるせい!こっちこそやっちまえ!」


 こうして、ナポレオンと暴徒のそれぞれの号令が口火となり、戦いの火蓋が切られた。

 最初にナポレオン率いる一個中隊の先制攻撃。

 町中に耳をつんざぐ銃声と悲鳴が重なり合う。


「数は、こっちが上なんだ!」

「生き残るために奴らをぶっ殺せ!」


 が、軍隊に歯向かい追い詰められている暴徒の闘志は消えず、半狂乱で突撃する。


「今がチャンスだ!もう一度発砲するまでに、距離を詰めてしまえ!」


 町民の一人が言った、その言葉で暴徒たちに笑みが浮かんだ。

 直後――。突如として、群衆の側面から新たな銃声が響き渡る。


 ――馬鹿な、一体どこから!


 驚愕を隠せない顔で暴徒たちは、そちらの方向に振り向いた。


 視線の先には、修道院を囲んでいる塀から身を乗り出し、銃口を向けている兵士たち。

 傍らに、彼らの指揮をとっているデ・マジの姿もある。


 ――彼らは、あらかじめナポレオンの指示で伏せていた伏兵であった。


 驚愕と動揺が、暴徒たちの間に伝播していく。


「――よーし、よく狙え!」


 ナポレオンの不穏な声が、彼らの耳元に届いた。

 硬直していた暴徒たちは慌てて、正面を見やる。

 先ほどまで、並んでいたはずの歩兵部隊はすでに後退し、何の間にか、禍々しい二門の大砲が存在していたのだ。


「や、やめ――」

「撃てぇ!」


 その断末魔は砲身から発射された葡萄グレープ弾(2、3発の鉄球ごとに束ねられ、それぞれが鉄円盤で分離された散弾)と轟音によりかき消された。


 有効射程400メートル前後のグレープ弾による一撃。それをこれほどの至近距離で浴びた暴徒たちの末路は、もはや語るに及ばなかった。


 狭い通りの一面を埋め尽くす、鮮やかな紅の色。


 まさに地獄絵図としか表現できないそれは、人の死に慣れているはずの軍人ですら吐く者が出る始末――。


 なのに、この惨劇を生み出した張本人は、僅かに眉を顰めるだけで佇んでいた。

 そのことに気づいた瞬間、デ・マジは人知れず恐怖におののいた。




 サールの暴動から二ヵ月が過ぎた、7月のある日。

 パリの中心区画の裏路地に、数人の市民たちが集まっていた。


「――おい、聞いたか!?国王が勅命を出してパリに軍隊を集めるらしいぞ!?」

「三部会から長らくの討議の末、やっと民意を反映する国民議会が誕生したというのに、なぜ国王は水を差すような事をするのか!?」

「いや、おそらくオースト(マリー・アント)リア女(ワネット)とその取り巻きどもが、勝手にやってるんだ!奴らは三部会でも、最期まで改革に反対していたからな!」

「それで、奴らは軍隊を集めてどうするつもりなんだ?」


 恐る恐るという様子で、パリ市民の一人が口にした。


「……そういや、各地で飢えに苦しみ、上に反旗を翻した人々を軍隊が皆殺したとの噂を聞いたことがある」

「いや、そんなまさか」

「仮にだぞ?軍隊の力で、我々の意に反する暴政が行われたらどうする?」


 その呟きに、ある者が力強く言い切った。


「――決まっている、大人しく従う道理など一つもない」

「ああ、三部会でも最後に勝利したのは平民だった。この国はもう絶対王政の時代ではないんだからな」



 そして、運命の1789年7月14日。


 混沌と変革を告げる革命の狼煙がバスティーユから打ち上げられた。


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お読みいただき有難うございます

『転生したからナポレオンを打ち倒したい ~皇帝と英国紳士とフランス革命~』がKADOKAWA様より3月5日に発売いたします。

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