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ファマールの戦い 下

 グレゴリオ暦 1793年 5月28日





「背嚢や荷物になる物は全て捨てろ!」


 レイが声を上げたのは、二度目の突撃が始まろうとしている時だった。


「中隊長!どうするつもりですか!?」

「説明している暇はない!来るぞ!」


 中隊の位置とは反対側から突撃を敢行してきた重騎兵部隊が、連隊の陣内で殺戮の限りを尽くす。

 連隊はすでに陣形としての体を保てなくなる一歩手前。


 早ければ、次の突撃で敗走に追い込まれるだろう――。


 幾度目かの悲劇が目の前で繰り返され、中隊から少し離れた場所を通り過ぎて行った。


「今だ、奴らが反転する場所まで先回りするぞ!」


 号令を飛ばし、レイは中隊を引き連れて走り出す。


 重騎兵部隊は、全力疾走ギャロップで突撃したあと、馬の足を速足トロットか常足まで落とし、足並みを揃え、もう一度集まり直す必要がある。

 乱れた隊列を整えなければ、突撃の破壊力が生まれないからだ。

 ただし、騎兵の機動性が落ちる、そのタイミングは自然と隙が生まれる。

 当然、騎兵らもそれが分かっているからこそ、反転の折には敵勢力から半マイルほどの安全マージンを取るのが普通だった。

 だが、眼前の重騎兵部隊は、勝利を確信して油断したのか。それとも勾配や障害物など地形的要因かは定かではないが、軽歩兵中隊から500ヤード弱の距離で集結して始めていた。


 千載一遇の機会を前に、レイの足が自然と速まる。


 相対距離300ヤード。

 両軍の距離は少しずつ縮まっていた。

 ここまで来ると、少なくない騎兵が中隊の存在に気づいたような動きを見せる。

 ほぼ同時に、戦場にラッパが鳴らされた。


 突撃準備を整えた重騎兵部隊が反転するため右旋回を開始したのだ。

 中隊は、すでに250ヤードの距離まで迫っている。


(少し離れているが、仕方ない)


 内心で腹を決めたレイは、その場で足を止めた。


「構えろ」


 その号令を皮切りに、部下たちが片膝をつく。

 視界には、大きな旋回運動に入った騎馬の群れが映っている。


「敵騎兵部隊の支点である左翼を狙え!」


 重騎兵部隊が方向転換する際には、一時的に旋回の内側が停止する。

 そのタイミングは重騎兵部隊にとって致命的な弱点となりえた。


 何故なら――。


「――ッ、撃てぇ!」


 ライフル銃の発砲音が数知れず響く。


 目標は離れていたが的も大きかったことで、多くの馬が次々と横倒れ、乗り手たちが地面に放り出される。

 そして、いくばくの時間もかからずに、重騎兵部隊全体が一瞬にして崩れ去った。


 ――右旋回の支点である左翼を蹴飛ばされたことで、旋回運動そのものがバラバラになってしまったのだ。

 一度、散り散りになってしまえば、再びまとまって突撃するのは至難の業。


 こうして、彼らが再び隊列を整えるのに必要な時間は、連隊が完全な方陣を組みなおすのに十分な時間であった。




「――見事な戦いぶりだったな。大尉」


 レイに声をかけてきたのは、先ほどまで殺し合いを繰り広げていたフランス重騎兵部隊の隊長その人である。

 あれから、第53歩兵連隊が方陣を完成させると、戦場は膠着状態に陥った。

 フランス重騎兵部隊はしっかりとした方陣に容易に近づくことが出来ず、連隊からしても迅速な移動ができない受け身の陣形では騎兵隊を捉えることができない。

 両軍手詰まりな状況の中、フランス軍の方から一騎の騎兵が進み出ると、お互いの支配する戦域の負傷者を回収するために一時的な休戦を提案してきたのだ。


「そちらこそ、お見事でした。大佐」


 レイは、相手の階級章を一瞥して、そう言った。

 休戦の提案は連隊長に了承され、すでに休戦は成立している。


(とはいえ、転生したばかりのころであれば、先程まで殺し合っていた相手と健闘を称え合うなど受け入れ難かったはず)


 周囲に視線を移せば、負傷者や戦死者を回収しながら、フランス兵と話しているイギリス兵の姿が見られ、この時代の価値観に染まってしまったのだと実感する。


 そこで、ふと四旒の連隊旗が目に留まった。


(……何か、おかしくないか?)


 そのことに、言いようのない違和感を覚えていると、


「ん? どうかしたのか?」

「ああ、無視する形になってしまい、申し訳ありません――」


 大佐、と続けようとした瞬間、レイは違和感の正体に辿り着いた。


 ――そうだ。なぜ大隊規模の騎兵隊長が大佐なのだ!


 大佐ということは、最低でも連隊長ということ。


 そのことは四旒(大隊ごとに一旒)の連隊旗からも察せられる。

 しかし、率いている兵は約400名――どちらかといえば大隊長、少佐クラスだ。

 この期に及んで戦力の逐次投入など愚策でしかないのは、相手も理解しているはずである。

 ならば、残りの大隊はどこに行ったのか。


 度重なる戦闘で損耗した?


 ――否、あり得ない。


 正式に師団編成が採用される以前、通常フランスの騎兵連隊は800名前後。


 ――ただでさえ貴族将校が逃亡している中、半分以上の損耗率で、あれほど連携の取れた突撃など不可能だ。


 改めてフランス重騎兵たちの顔を見回せば、実質的に敗北したにも関わらずそれほど焦りや悲壮感が感じられない。

 この作戦が、決戦兵器の重騎兵部隊まで投入する乾坤一擲の大博打であることは騎兵たちも理解しているはずなのに、である。


 ――そうか! 彼らの目的は、撃滅ではなく拘束か!


 そこまで思考を巡らせたところで、別動隊の存在に気が付く。

 レイはすぐさまフランス重騎兵部隊の隊長と別れ、軽歩兵中隊を呼び出した。


「この場で馬に乗れるものと、それと同数の射撃訓練成績優秀者は二人乗りで乗馬し何も言わずに私についてこい!説明は走りながらする!」


 そう言って、レイは鹵獲した馬に跨った。



 別動隊が存在するとして、その目的は主に二つ。

 大将首か、砲兵陣地の無力化か、である。

 大将首狙いはあまりに不確定すぎる。

 この時代の将軍は常に本陣に留まり命令を出すというものではなく、頻繁に陣頭指揮を行うため戦場の混乱の中で見分け、しかも仕留めるとなると確実性が無さすぎる。


 となれば、残る可能性は――。


「残りの騎兵部隊は、味方の砲兵陣地に襲撃をしかけるはずだ」

「はあ、ですが中隊長。上層部も馬鹿ではありませんし、数百程度の騎兵部隊なら蹴散らせる程度の護衛は置いているでしょう」


 レイの右隣に並んで馬を引いているクロネリー中尉が、訝しげに言葉を返した。


「今の時代、野砲が野戦の生命線であることは誰もが理解しているのですから」

「ああ、そうだろうな」


 と、微かに頷いて肯定を示す。


「だが、襲撃を仕掛けるのが騎兵だけでない、としたら?」

「多少の歩兵がいても結果は――」

「歩兵じゃない――砲兵だ。奴らは護衛兼野砲を牽引する馬の予備として騎兵部隊を連れて行っているんだ」


 巧みに馬を操るハーネス中尉の言葉を遮るようにレイは言う。

 従来なら、そのような使い走りなど、プライドの高い騎兵たちが認めるはずない。

 けれども革命が起きたフランスでは、むしろ肩身の狭い立場に追いやられている。そのことを考慮すれば、十二分に考えられる可能性だった。


「敵騎兵が砲兵とともに戦況に紛れて移動していたと?しかし、先ほどまでひどい濃霧だったのですよ?大砲なんて荷物を抱えた状態で、ピンポイントな長距離移動など不可能では?」

「そう、だからこそ昨日のうちにアンザン山を遮蔽物にして移動していたのだ」


 尾根伝いにして迂回すれば、万が一にも発見されることもない。


「そんな馬鹿な……我々が集合場所であるアルトレの地にたどり着いたのが、半日前なのです。それを知ったフランス軍が半日以内にその背後を取るならば、どこかでアンザン山を越えなければなりません」


 ばかばかしいとばかりに首を振る。


「野砲を牽引しながら、山越えし半日以内に我々の背後にたどり着くなど、到底不可能でしょう」

「それが可能なのだ――奴らの軽量化された新式の大砲なら、な」


 連合側の野砲ならば、そのような強行軍は不可能だ。

 だが、技術革新により軽量化されたグリボバール・システムの大砲ともなれば話は別。


「まさか、それほど性能が違うので!?」


 そこで初めて、部下たちの顔色が変わった。

 ――性能が違うと聞き及んでいても、それほどの格差があるとは想像もしていなかったのだろう。

 人間とは、その身をもって実感するまで、どこまでも盲信的な生き物。


(俺も前世の記憶がなければ、分からなかったはずだ)


 だからこそ、この最悪な想像が当たっていた場合、奇襲は成功することになる。


「頼む!間に合ってくれ!」



 同時刻。

 連合軍の砲兵陣地を護衛する兵士たちの大部分は緊張を緩めつつあった。

 彼らの予想では、敵部隊がここまで到達し交戦するとは現実的に思えなかったのだ。

 そこに周辺を索敵していた偵察の一人が血相を変えて駆けつけてくる。


「て、敵襲!敵襲です!我々の背後に敵部隊が出現しました!」


 騒然とする兵士たちの中、護衛部隊の隊長はそちらに視線をやる。

 彼方の地平線には、砂埃を巻き上げて迫るフランス軍の別動隊。


「奴らを近づけさせるわけにはいかん!これより騎兵隊は出撃するぞ!」


 兵士たちは弾けるように動き出すと、瞬く間に騎兵部隊は隊列を整列させる。

 数分も経たず、軽騎兵の一個大隊が陣地を発し、眼下の敵部隊めがけて疾駆していく。

 それを捕捉したフランス別動隊は、野砲陣地から半マイル先で方陣を組み始めていた。


「少佐殿、どうしますか?」

「先ずは、奴らの間合いに入らない程度の距離まで接近し敵の出方を見るぞ」


 護衛部隊の隊長は、そう指示を飛ばし300ヤードの距離まで接近したとき、予想外のことが起こった。

 焦れたのか、素人なのか、いずれにしても全く信じられないことに、その距離でフランス別動隊の隊長は斉射の命令を下したのだ。


「愚かな!この距離で一斉射撃とは!」


 有効射程からは遥かに遠い、その斉射による被害は皆無に等しい。

 護衛部隊の隊長は迷うことなく、馬を全力疾走で駆けさせた。


「突撃だ!このまま奴らの陣形を食い破ってやれ!」


 彼の指示を受けて、疾走する騎兵の隊列が速やかに突撃準備に入る。

 だが次の瞬間、正面の戦列歩兵が後退し、かわりとばかりに(4ポンド)砲が姿を現したのだ。


「な、まずい!散か――」


 護衛部隊の隊長が命令するより早く、散弾が発射された。




「――これは」


 目の前の光景に、到着したばかりの軽歩兵中隊の面々は絶句する。

 フランスの別動隊から砲撃された砲弾により、一目でわかるほど護衛部隊の騎兵隊は壊滅的被害を出したのだ。

 後ろに騎乗していたエルマーが、おそるおそる問うた。


「……葡萄グレープ弾でしょうか?」

「いや、葡萄グレープ弾ではここまでの威力にならない……おそらく、フランスで開発された缶詰キャニスター弾の一種だろう」


 缶詰キャニスター弾とは、文字通り缶詰に小銃弾を数百発詰め込んだもので、葡萄グレープ弾以上に遠近距離で効果が発揮できるようになった対人掃討砲弾である。

 その威力は凄まじく、たった一撃で大半の騎兵を木っ端微塵に吹き飛ばし、広大な大地には累々と無残な屍が積み重なっていた。


 その惨状を遠目で確認した残りの護衛部隊は、すでに恐慌状態という有様。

 碌な抵抗もできず、次々と方陣の中から飛び出したフランス軍の砲兵や騎兵たちに追い散らされている。

 そうして盾がいなくなり、無防備となった本命の獲物である連合の砲兵陣地にフランス軍の魔の手が迫ろうとしていた。


「――ッ、急ぐぞ!砲兵陣地がやられれば、連合軍は終わりなのだ!」


 指示を受け即応した部下たちと、戦場に向かって馬を駆ける。


「とにかく、野砲を引いている奴らを優先して狙え!砲手と馬を殺し砲兵陣地に近づけさせるな!」


 缶詰キャニスター弾の威力を知ったレイは、前車に乗っている砲手や野砲を牽引している馬の優先的な無力化を命じる。

 フランス砲兵部隊に接近され散弾の砲撃を許せば、無防備な砲兵陣地が一巻の終わりなのは明白だからだ。


 率いてきた20騎にも満たない隊をさらに散開させ、多方面から敵の射程外で狙撃させる。


「撃て、撃てぇ!大砲を引いている奴らは我々と違い民間人ではない!躊躇する必要はないぞ!」


 レイは部下に激を発しつつ、背負っていたライフル銃で自らも戦闘に加わった。

 予想外の襲撃でフランス軍が混乱している今のうちに、少しでも多くの砲兵を削らなければならない。

 レイ以外の軽騎兵中隊の面々は、馬から降りて狙撃する者と乗馬したまま移動に専念する者に別れた変則的な二人一組の散兵戦を繰り広げる。

 ライフル銃を装備した即席な竜騎兵隊の前に、当初フランス軍は碌な対応が出来ない。


 さりとて、それも数分ほどのこと。

 動揺から立ち直ったフランス別動隊の指揮官は、味方の騎兵部隊に追い散らすように指示を出す。


「もうすぐ本隊から本格的な救援が来る!それまでは何としても耐えろ!」


 迫ってくるフランス騎兵を見据えながら、レイは恐怖で顔を青ざめさせる部下たちを懸命に叱咤激励する。

 ほどなくフランス騎兵から、逃げては撃ち、逃げては撃ち、を繰り返す部下たちが、一人、また一人と減っていく。

 その光景に奥歯をかみしめながらも、レイは決して撤退の指示だけは出さない。

 ここで引き砲兵陣地が無力化されれば、位置を取り直したフランス野砲の砲撃に連合軍が対抗できる手段がなくなるからだ。


 そうなれば、敗戦は必至。

 誰もが焦燥に全身をあぶられる中、じりじりと時間だけが過ぎていった。


 連れてきた部下たちも半数を切り、レイの心中に諦めが過った、その時――。


 遂に待ち焦がれていた報告が届く。


「アルフォード大尉殿!あちらの方向に援軍が見えました!」


 エルマーが指さした方角を見れば、太陽の下に輝くユニオンフラッグが靡いていた。



 戦場に駆けつけてきた大規模な救援部隊に、フランスの別動隊は撤退を開始。


 こうして、難局を乗り切ったファマールの戦いは、最終的に連合軍の勝利に終わったのだった。


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