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ストラスブール士官学校

 グレゴリオ歴 1790年 10月4日




 入学して一ヶ月が経った頃。

 その日、昼休み前最後の講義は戦史であった。

 鐘の音とともに、痩せ気味の教官が訛りの強いドイツ語で講義を始めていた。


「――七年戦争のなかで、フリードリヒ大王の活躍によりイングランドから財政援助を取り付け、戦役の大きな転換点となった会戦が前回の講義でもやったロスバッハの戦いである」


 1757年11月5日。

 サキソニーの都市ロスバッハにおいて、フリードリヒ大王はプロイセン軍22000名をもって、オーストリア、ザクセン(ドイツの連邦)、フランス連合軍60000名を撃破した。


(この二時間にも満たない戦闘で連合軍のおよそ半数が撃破されたのに対して、プロイセン軍の損害わずかに500という圧勝劇であった、のだったか)


 前回の講義内容を、レイは頭の片隅で振り返る。


「このロスバッハの勝利により西方における当面の安全を確保したフリードリヒ大王は、間髪入れず、南のシュレージエン(英・シレジア)にとって帰った。このときカール公子とダウン元帥が指揮するオーストリア軍主力が、シュレージエンを目指して進軍し、守備隊をオーデル河西岸に追い払って、プロイセンの主要都市であるブレスラウを占領していたので、これらの対処が急務であったのだ」


 フリードリヒ大王はこの強行軍で12日間に270キロを行軍したといわれている。


「フリードリヒ大王がオーデル河西岸でシュレージエン守備隊の敗残兵と合流し、再び進軍を開始すると、その報を受けたオーストリア軍はブレスラウの西方約6マイレン(約10キロ)に存在するロイテン村に戦陣を張って待ち構えた」


 壇上の教官が、教室の隅々まで見回す。


「これが、かの有名なロイテンの戦いだ」


 ロスバッハの戦いと並んで、フリードリヒ大王の名声を不動のものとした会戦の一つである。


「もともと七年戦争それ自体が、プロイセン王国にとって著しく不利な状況だったのは、今更言うまでもないだろう」


 七年戦争開の両陣営は、ほとんどプロイセン一国に対してフランス、ロシア、スウェーデン、神聖ローマ帝国(オーストリアとハノーヴァー以外のドイツ諸侯)いう当時のイギリス以外、ほぼすべての列強が連合国家群として合同していた。


(両陣営の人口比で表せば、400万対8000万だったのだからな)


 普通に考えれば、プロイセンの敗北以外の選択肢などあり得ないはずだった。


「このロイテンの戦いも七年戦争の多くがそうであったように、プロイセンにとって著しく不利な状況から始まった。フリードリヒ大王が指揮するプロイセン軍35000名に対しオーストリア軍70000名」


 兵力比はおよそ二倍。


「しかし、この戦力差をフリードリヒ大王は革新的な、いうなれば斜行戦術ともいうべき新戦術によってこの劣勢を跳ね返した」


 丸められた地図を取り出しながら、教官が改めて口を動かす。


「ロイテンの周辺の地形は、東南から北東に流れるシュヴァイドニッツ川に斜交するように、細長いなだらかな丘があった。オーストリア軍は、この南方に走る細長い丘を隠れ蓑にして、その東側に二段の横陣を展開し、プロイセン軍の接近を待っていたのだ」


 教官は戦場が描かれた地図を広げ、赤の兵棋(凸型の駒)を並べ始める。


 ほどなく完成したオーストリア軍の陣容は、横陣の左翼をシュヴァイドニッツ川に任せ、右翼を丘の西側に広がっている湿地に託している。他にも丘の上に前哨警戒線を張り、騎兵を両翼に配置したことから、プロイセン軍の包囲殲滅を特に警戒していたことが読み取れた。

 予備隊は中央後方に配置され、横陣の幅は約4キロと数字で示される。


「フリードリヒ大王はこの陣容のオーストリア軍に対して、少数の騎兵と歩兵を配置し自軍左翼を囮として偽装攻撃させたあと、中央の丘隆を隠れ蓑とした本隊を四個縦隊に並列し敵右翼に向かって前進させた」


 教官が一つの青い兵棋を掴んでオーストリア軍右翼に進ませる。

 ――プロイセン軍本隊は両側に騎兵縦隊、その中に二個歩兵縦隊という陣容だった。


「プロイセン軍囮部隊がオーストリア軍の右翼前衛を撃破したことでカール公子はこれを本隊だと判断。予備隊も右翼に投入しカール公子とダウン元帥も右翼に急行した」


 数多くの赤い兵棋が、プロイセン軍の左翼に集まってくる。


「その間に斜めに横切る形で機動したプロイセン軍本隊は、オーストリア軍左翼側面に達すると素早く方向転換を完了させ側面攻撃を敢行する。この間にかかった時間はわずか二時間という信じられないものだ」


 四個縦隊だったプロイセン軍本隊をオーストリア軍左翼の側面で横隊に組み替える。


「又、丘に登ったプロイセン砲兵40門の大砲も猛然と砲撃を敢行し、これらの集中攻撃によってプロイセン軍右翼の精鋭突撃部隊が激戦の末オーストリア軍左翼を突破した」


 教官は青の駒を進め、オーストリア軍左翼である赤い駒の戦列を崩壊させた。


「ここにきてようやく自軍右翼に攻撃していたプロイセン軍左翼が囮だと気付いたカール公子とダウン元帥が左翼の援軍に向かおうと陣形を組み直そうとしたが、あえなく失敗に終わった」


 戦闘中の陣形変換など、傭兵が中心の時代にいち早くカントン制度(国民選抜徴兵)を導入して、厳しい訓練の末に同調行進すらを可能としたプロイセン軍ほどの規律がなければ不可能だ。


「これによりフリードリヒ大王の劇的な勝利が決定付けられたのだ」


 そうまとめると、教官の視線が生徒達に向けられる。


「このロイテンの戦いは、斜行戦術という機動力によって局地的に数的優勢な状況に持ち込み、最後には戦略的劣勢を覆すことに成功した戦史上稀有な例といえよう」


 フリードリヒ大王は戦略、戦術の両方に〝時間差による各個撃破〟という三次元の概念を持ち込んだ――これは古くはアレクサンドロス大王からハンニバル、織田信長、そして後のナポレオンという戦史に燦然と輝く名将たちも同様だった。


(何より、プロイセンの後身であるドイツ帝国が参戦した両世界大戦で基本戦略となった内線作戦もこの七年戦争の戦略を元としている)


 前世の記憶を思い出しながら、レイは教官の話に耳を傾ける。


「もちろん、最終的にフリードリヒ大王が七年戦争に勝利できた理由として、いくつもの幸運に恵まれたことが大きな要因であるのは確かだ」


 いくつもの幸運とは、ブランデンブルグの奇跡(あとがきに補足)を指しているのだろう。


「それでも、フリードリヒ大王の卓越した指揮とプロイセン軍の練度と規律がなければ、七年という年月をプロイセンが戦い抜くことなど出来なかったはずだ」


 言い終えたところで、終業の鐘が鳴った。


「よし、今日はここまで」






 昼休みを終えたあと。

 パァンと甲高い銃声が野外の射撃訓練場にいくつも重なって響き渡っていた。

 午後からは希望兵科ごとに別れた実技訓練が行われている。

 歩兵科を選択した生徒は射撃訓練だ。


「……――ッ!」


 タァンっと、銃声が鳴り響く。


 息を吐いて、レイは引き金を放す。

 50ヤード(約45メートル)先にある円形の的、その中心分には穴が空いていた。


 放った弾丸は命中したようだ――。


 すると隣の生徒が英語で話しかけてくる。


「――流石だな、レイ」


 振り向いた先には、レイと同じ年ぐらいの少年。

 薄い赤毛の髪を肩口で切りそろえた背の高い美男子だった。


「フィル」


 彼はフィル・レヴィンズ。

 ハンプシャー州西部に根を下ろす地方領主ジェントリ出身の四男という立場だ。そのレイと似た境遇と人柄から、同期の中で一番仲がいい生徒であった。


「――そっちもな」


 フィルの標的に視線を向ければ、弾痕が中心部に空いている。

 しかし、彼は首を左右に振った。


「いや、俺が称賛したのは命中したことよりも、相変わらず構えてからがとにかく早かった点に関してだ」


 レイは装填から発射までに二十秒とかかっていなかった。

 他の生徒に比べて明らかに速い射撃速度だ。


「時間を掛けないのは実戦を意識しているからか?」


 左手で小銃を立てたレイが、火薬と弾丸を装填する。


「もちろん、それもある」


 フィルの疑問に応えながら、槊杖カルカを外して銃身内に押し込む。


「が、単純に早打ちでも常に中心を射抜く自信があるだけだ」


 そう言って、小銃を構えたレイは引き金に指をかけた。


「この距離で動かない標的なら――、な!」


 その言葉と共に放たれた鉛玉。


 ハッとしたように息を呑んだフィルが、慌てて弾丸の行く末を追う。


 ――その一発は先ほどの貫通痕を掠めていた。


「……呆れるほどの腕前だな」

「指導者の腕が良かったのだろう。あとはもう5年以上も実家で射撃訓練に打ち込んできたこともある」

「俺も2年前から小銃の手ほどきは受けてきたけど、その歳で5年以上になるとは驚いた」


 レイの何気ない一言に、フィルが目をぱちくりさせる。


「そんなに早くから射撃訓練に取り組んでいたようなら、その頃から陸軍志望だったのか?」

「まあ……そうだな」


 レイが曖昧に頷き返す。

 さすがに4歳の頃から既に陸軍を目指していた、などとは言えなかった。


「ふぅん。やっぱりレイは変わり者だな」

「おい、どういう意味だ?」

「いやさ、そんなころから陸軍志望のくせに、花形の騎兵科でもなければ専門的な砲兵科でもない、地味な歩兵科を選択するなんて、と思って」

「……そういうことか」


 そう呟いて、手元の小銃を見つめる。


(たしかに、周りからすればそのように思うのも無理はないか)


 実際、レイが歩兵科を選択した理由は消去法という、他者からすれば理解に苦しむものだ。


「そういうフィルこそ、どうして騎兵科を選ばなかったんだ?」

「うちの実家はアルフォード准男爵家ほど裕福じゃないからな。ただの紳士ジェントルマンのしがいない四男坊では騎兵隊で出世するのは難しい」

「……そうか」


 陸軍の花形は騎兵だが、それゆえに数少ない騎兵隊の役職は人気が高く売官制の英国陸軍では、通常の歩兵連隊で昇進する以上に多額の資金が必要とされていた。


(まあ、有力な紳士となった今のアルフォード家の財力なら、騎兵隊での出世も難しくない……)


 が、そこまでして騎兵科に拘る理由もなかった。


「……正直、出来ることなら砲兵科を選択したかった」


 ぽつりとレイが独白にも似た言葉をこぼす。


(これから先の戦争では火力の重要性がますます高くなる)


 それは火力の代名詞である大砲の知識と見識を深めておくことが損にならないことを意味していた。


「へぇ、ならなんで砲兵科に行かなかったんだ?」


 レイの呟きを、耳聡く聞きつけたフィルが疑問を呈す。


「……砲兵科の平均修学期間は3年以上にもなるらしいからな」


 専門的知識故の難解さから、砲兵科の修学期間は騎兵科や歩兵科よりも長かった。


(それでは開戦までに間に合わない)


 フランス革命戦争の開戦が1792年4月であり、フランスがイギリスに宣戦布告するのが1793年2月。

 修学期間が平均2年の歩兵科であれば、フランスの宣戦布告までにはイギリスに帰還できる目途が立つのに対して、砲兵科では色々と不都合であったのだ。


「ん?3年以内にどうしても戻らなければならない事情でもあるのか?」


「――ああ、とても大事な用があるんだ」



 そう言って、レイはさらに一発の弾丸を放った。

ブランデンブルグの奇跡の事柄は2つあります。


一つ目がフリードリヒ大王はクーネルドルフの戦いで2万近い将兵を失う惨敗を喫しましたが、オーストリアとロシア両軍の足並みが揃わなかったので追撃されなかったこと。大王はこの敗北で自殺の一歩手前まで追い詰められ、ここで追撃されていれば戦争に負けていただろうと手紙でも振り返っています。


二つ目が、1762年にロシアのエリザヴェータ女帝が崩御し、フリードリヒ大王の崇拝者であったピョートル3世が即位したこと。彼のおかげで大王はロシアと一転和睦できたどころか、スウェーデンとの和平まで仲介してくれました。


このころになるとフランスは既にプロイセンよりイギリスと本格的に争い始めていたので、フリードリヒ大王はオーストリアとの戦闘に集中することができました。


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