149 氷の女王
見惚れるという状況。
今の自分はまさしく、そうとしか表現出来なかった。
先ほどまでよりも強い、抗えないほどの恐怖――その力によって心と足が凍り付いたように動かなくなる。
意識していないのに、震え、奥歯がカチカチと嫌な音を鳴らしている。
氷の女王が優しく息を吐き出す。その氷の吐息が形となり、大きな鎌へと変わっていく。大きな刃を持った死神の鎌。凍らせた魂を刈り取る形。
動けない。
またしても動けなくなっている。
氷の女王は動かなくなった巨大な狼を優しく撫で、そして、その体に氷の鎌を突き立てた。巨大な狼が凍り付き、内部から生まれた氷柱によって砕け散る。
そうすることによって氷の女王は強大な狼のマナを取り込んでいる。
氷の女王の力が増していく――肌が凍り付くほどの恐怖が増えていく。
ただ、ただ、それを恐怖によって見ていることしか出来ない。
だから!
唇を噛み千切る。カチカチと嫌な音を立てていた自分の歯が唇を噛む。痛みが、血が、口の中に鉄の味が広がる。
そのまま強く、奥歯を噛みしめ、足を動かす。
まずは一歩だ。
負けないためにっ!
氷の女王が氷の鎌を手に持ち、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
動け、動け、動けっ!
そして、その氷の鎌を振るう。
動くっ!
倒れ込むように、ただ、攻撃から逃げるように、転がる。
その転がったすぐ上を氷の鎌が流れていく。
その『恐怖』に見惚れる。
だから……、
だから、こそだっ!
負けない。もう自分の魂は負けない。
立ち上がり、緑鋼の剣を構える。
よく見ろ、見るんだ。
氷の女王の動きは素人同然。戦いの心得がある動きじゃない。氷の鎌もただ振り回しているだけだ。巨大な狼のような追いつけない素早さがあるわけじゃ無い。
戦う覚悟さえ、あれば――勝てるっ!
心の火を、魂を、燃やせ。
緑鋼の剣を振るう。
氷の女王が氷の鎌を盾のように構え、それを受け止める。
『体の動きが鈍いから、抜けきれなかったっ!』
『ソラよ、気合いを入れるのじゃ』
でも、相手はあまり強くないっ! こんな力の入っていない一撃ですら受け止めるような――受け止めることしか出来ない相手なんだから!
『ソラよ!』
銀のイフリーダの声が頭の中に響く。
見れば、相手の氷の鎌と打ち合った緑鋼の剣が凍り付いている。そこから、こちらへの手へと氷が伸びる。
凍っていく。
氷は緑鋼の剣を握った手まで上ってくる。
だからっ!
凍り付いた手のまま、後ろへと飛び退く。そして、氷ごと緑鋼の剣を床に叩きつけた。
砕けた氷の破片が宙を舞う。氷を打ち砕き、緑鋼の剣を握り直す。
『無茶をするのじゃ。そのまま腕が砕ける可能性もあったのじゃ』
『そうだね』
でも、そうだったとしたら銀のイフリーダは無理矢理にでも止めてくれたはずだ。
自分は銀のイフリーダを信じる。
そして、自分の力を信じる。
もう一度緑鋼の剣を構える。
次は通す。
もう自分の心が凍ることはないっ!
氷の女王が氷の鎌を縦に構える。そして、氷の息を吐き出す。
氷の女王が吐き出された氷の息に包まれていく。
そして、その姿が消えた。
『消えた!』
『ふむ。氷を鏡のように反射させて姿を隠しているのじゃ。ソラよ』
『分かってる』
分かってる、こんなのはお遊びだ。
目を閉じ、耳を澄ます。
聞こえる。
足音。
何かを踏みしめながら、こちらへと迫る音。
やつが姿を消したことで恐怖が和らいでいる。
目を閉じ、緑鋼の剣を鞘に収める。そして、柄の上に手を置き、その時を待つ。
音。
少し離れたところにスコルの吐息、かなり離れたところに亡霊の呼吸音が聞こえる。その音に勇気づけられる。
そして、背後へと忍び寄る気配――音。
『後ろから攻撃しようなんて』
氷の女王は判断を間違えた。
『うむ。小者のすることなのじゃ』
こんな相手に、この程度の相手に、恐怖していたなんて――自分の心の弱さが嫌になる。
自分の背後で氷の鎌が振りかぶられているであろう音が聞こえる。
だから、一歩、大きく踏み出した。床を踏み潰すほどの力強い一歩。そして、そのまま滑るように体の向きを変える。
緑鋼の剣を振るう。
何か硬いものに当たった感触。そのまま振り抜く。
目を開けると氷の女王が吹き飛び、膝を付いていた。
その姿に、もう恐怖は感じない。
氷の女王がゆっくりと起き上がり、またも氷の息を吐き出す。そして、その氷の息に包まれ姿が消えていく。
無駄だ。
先ほどと同じように緑鋼の剣を鞘に収め、目を閉じる。
耳を澄ます。
音……。
またしても自分の背後へと迫る気配――音。
しかし、音が軽い。
こっちじゃないっ!
緑鋼の剣を引き抜く。
背後に、ではなく、前へ。
抜き放った緑鋼の剣が何かを貫く。
目を開ける。
緑鋼の鈍い刃が氷の鎌を振り上げようとしていた氷の女王を貫いていた。
「終わりだよ!」
緑鋼の剣を引き抜く。
氷の女王の力の中心を貫いた。これで終わりだ。
氷の女王の体から透明な柱が生まれ、その体を結晶へと作り替えていく。
自分の背後では氷の女王が作ったであろう氷の人形が砕け散っていた。背後に生まれていた気配は氷の女王が作った偽物だったようだ。
『勝ったね』
『うむ。良くやったのじゃ』
強敵だった。
人の心を凍らせる強敵だった。
強大なマナを持つ存在だけは……ある。
でも、それだけだった。
心が折れなければ――こんなものだ。
『では、我がいただくのじゃ』
銀のイフリーダが大きなマナ結晶に喰らいつく。そして、その体の中へと取り込んでいく。
それに合わせて、周囲の寒さが和らいでいく。
氷が溶けていく。
これで吹雪は止むだろう。
終わったんだ。
成し遂げたんだ。




