九十 、しるこ地獄
母が箸を置く。その姿を認め、僕は母の向かいに正座して座った。
「お母さん、一緒に海沿い公園に行こう」
そう声を掛けると、母は表情も変えずに呟いた。
「……あなたが勝ったのね。物語は神の封印で終わるのね」
「そうだよ。ずっと僕達の間にあったわだかまりは、きっとこれで解消する。お母さんの中で小次郎の存在は大きくなり過ぎていたんだ。それが妨げになって僕達はちゃんと話しをすることがなかった」
「何を言っているの。お母さんは、小次郎のことを心に閉まって、あなたのことを十年以上、ちゃんと愛していたでしょう。あなたもお婆ちゃんも笑顔で受け入れていた。それを壊したのはあなたじゃないの。しるこをお母さんに浴びせて、お母さんの中の黒い感情の蓋を開けたのはあなた」
僕は首を大きく横に振った。
「そんなの嘘だよ。お母さんは僕のことずっと嫌いだったでしょ。分かっているんだ。だって、お母さんは、僕が小次郎を死なせてしまった日から、ずっと、一日も欠かさず、僕の目の前で不味そうにしるこを食べ続けたじゃないか。食べたくもないしるこを、僕に見せ付けるように。僕は耐えられなかったんだ。もう限界だったんだ。あれこそ、僕にとって本当の、『しるこ地獄』だった」
「……そう……あなたも、とても苦しんでいたのね……」
母は、僕の頭を撫でた。
「お母さん、ごめんなさい……ずっと直接言いたかった。やっと言えた……」
「うん。でもね、だからと言って、あなたのしたことは許されないの!」
そう言うと母は立ち上がり、奥の襖へ歩きながら話を続けた。
「そうね。海へ行きましょうか。物語の終わりと言えば、海に面した崖よね」
母は襖を開けた。そこは祖母の部屋のはずだ。
ところが、海が見えた。隣の部屋が崖の淵に通じていたのだ。
母がそこから外に出る。僕は急いで後を追い、周りを見渡した。
そこは、海沿い公園だった。状況を確認するため後ろを向くと、僕らがいたはずの居間はどこにもなかった。
「ドラマのラストらしいでしょ? ここに主人公の名探偵がいれば完璧かしら」
母がそう言うと、すぐそこに二時間サスペンスに頻繁に出演している俳優が現われた。
僕は何が起きているのか理解が出来ず、ただただ混乱した。
「何を驚いているの? ここは夢の世界よ。何だってありなの。好きな所に行けるし、好きな人にも会える。例えば死んだ人にもね」
どこからか、人が集まってくる。
なぜか全員指をパチン、パチンと鳴らしている。
そこには、あず美がいた。しるこババアがいた。シルコやしるこレンジャーもいる。こるし屋達、白玉総一郎、禅在、ドジョウ盛夫、今まで出会ってきた人達が大勢いる。
「そうね。しるこ伝説という物語は私の負けだったわ。でも、世界は何度でもいくらでも生まれ変わる。次はどんな物語が良いかしら。あら、いけない。その前に、ちゃんとグランドフィナーレをしないとね」
集まってきた人達は指を鳴らしながら海を背にして綺麗に並び始めた。




