Epilogue.便利屋セルフィ、求婚される
それから二年の月日が経った、その年の春。
王宮の庭園にあるガゼポで、この国の第二王子――エリオス・レグリスは、深い溜め息をついていた。
(これからまた縁談か……。今月、何人目だ?)
二年前、首飾りが宝物庫に戻ってからというもの、重臣たちの"未来の王妃への執着"は、一層過熱した。
隣国の王女との縁談は、相手側に想い人がいるという理由で立ち消えになったものの、エリオスの元には、毎週のように縁談が舞い込んだ。
けれどそのたび、エリオスは適当な理由をつけて断ってきた。
その理由は、他でもない――。
(……セルフィ。君はいったい、どこへ行ってしまったんだ)
あの日を境に、『便利屋セルフィ』は姿を消した。
エリオスはセルフィからの手紙を読んで、すぐさま部下たちに後を追わせたが、どんな伝手を使っても、彼女を見つけることはできなかった。
まるで、最初から存在していなかったかのように。
(あれは幻だったのか? ――いや、違う。彼女は、確かにここにいた)
夫に愛されない苦しみの中、病で死んだ母親。
第二の彼女を生まぬ様、愛のない結婚に反対だったエリオスは、首飾りさえなくなれば――と、浅はかな考えで盗んでしまった。
けれどすぐに後悔し、数日経って戻しに行こうとしたところ、すっかり警備が厳重になり、叶わなかった。
かと言って、見つけやすい別の場所に隠し直す気にもなれず、葛藤の中、街で名探偵と評判だった便利屋セルフィに、最後の望みをかけることにしたのだ。
もし彼女が首飾りを見つけたら、自身の罪を告白し、継承権を兄に譲ってしまおう、と。
結果、その望み通り、セルフィは首飾りを見つけてくれた。
けれどどういうわけか、彼女は罪を暴くことなく、首飾りだけを残して姿を消した。
エリオスは、胸の内ポケットから小瓶を取り出す。
中には、アルビナ・セレスの花弁が五枚入っていた。
あの日、セルフィが置いていった一輪の花。
その花弁を、いつか再会するその日まで、どうしても保存しておきたかったエリオスが、庭師のバルタに頼んで乾燥してもらったものだ。
(彼女があのときの少女だったと、もっと早く気付いていれば――)
幼い日のことが脳裏を過ぎる。
それは、エリオスがまだ八つの頃。
護衛と共に降りた市井で、エリオスはうっかり迷子になり、しかも、母から譲り受けた銀の指輪を失くしてしまった。
そのため、地面ばかり見ていたエリオスは、年下の少女とぶつかり、転ばせてしまったのだ。
「あっ、……すまない」
焦りを覚えながら、エリオスは両手で少女を立ち上がらせた。
すると少女はハッとして、何も言わずに、元来た方へと駆け出していく。
少女の背中は人込みに紛れ、あっと言う間に見えなくなった。
そんな少女の行動に、幼いエリオスは少なからずショックを覚えた。
けれど、少女はしばらくたたないうちに戻ってきて、右手を差し出し、言ったのだ。
「こんな高価なもの、首からかけてたら盗んでくれと言っているようなものよ。次はちゃんと、服の中にしまっておくことね」
驚いて視線を落とすと、そこには、失くしたはずの指輪があって――。
少女はエリオスにその指輪を握らせると、それ以上何も言うことなく、再び雑踏へと紛れていった。
(あのとき俺は、指輪を失くしたことも、首から下げていたことも言わなかった。それなのに、彼女は全てを知っていた。――俺の考えが正しければ、彼女は……)
そんなときだ。
「殿下」
と、侍従の声が思考を遮る。
「セリフィーヌ様がお見えです。お通ししてもよろしいでしょうか?」
「……セリフィーヌ?」
エリオスはぴくりと眉を震わせた。
(セリフィーヌ……なら、愛称はセルフィか?)
ついそんなことを考えて、自嘲気味に唇を歪める。
(重症だな、俺も。もう二年も経っているというのに)
そんな気持ちを知る由もなく、侍従は答えた。
「本日の縁談のお相手でございます。今社交界で注目を集めております、ノアール伯爵家のご令嬢で――」
「ああ、わかったわかった。通せ」
今日はどんな理由をつけて断ろうか。
エリオスは煩わしく思いながら、庭園の入口に視線を向ける。
――すると、そこにいたのは……。
「…………セル……フィ?」
白い石畳の先、庭園の入口に佇む、美しい女性。
ドレスの裾が揺れ、淡い髪が陽を受けて透き通る。
その瞳。その微笑みは――紛れもなく。
「……っ」
エリオスは目を見張り、導かれるように立ち上がった。
「ご無沙汰しております、殿下。預けていた報酬を、受け取りに参りました」
その声も――忘れていなかった。
いや、忘れるはずがない。毎夜、夢で聞いていた、懐かしいこの声を。
「……セルフィ。まさか、本当に君なのか?」
彼女は頷いた。
「はい。ですが便利屋は廃業しましたので、本日はノアール家の令嬢、セリフィーヌとして伺いました」
エリオスは、一歩、二歩と、彼女に近づく。
「セルフィ。……いや、セリフィーヌ。二年も……何をしていた。もう、二度と会えないかと――」
言葉が、喉の奥で途切れる。
「平民のセルフィでは、殿下の隣に立てませんもの。それに、我が家には多くの借金がありましたから。それを返済するため領地改革をしていたら、時間がかかってしまいました。お待たせして、申し訳ありません」
「……っ」
“領地改革”――。
そう言えば、ノアール家の令嬢が社交界で有名になったのは、見事な経営手腕が理由だと聞いた。
(では、セリフィーヌはこの二年間、俺のために頑張ってくれていたということか? 首飾りを盗んだ……俺の罪を、知りながら?)
エリオスは、手の中の小瓶をじっと見つめる。
白く透き通った、アルビナ・セレス。
二年前に贈ったのと、同じ花だ。
「手を、貸してくれないか」
「? はい、構いませんが、でも――」
「君の秘密なら知っている。心が読めるのだろう?」
「――!」
刹那、セリフィーヌが微かに息を呑んだのがわかった。
エリオスが彼女の手のひらに小瓶を乗せると、その瞬間、胸の内で、叙情詩が湧き上がる。
『ずっと君を探していた。泡沫の夢に、何度抱きしめたかわからない。この花に込めたのは、嘘のない誓い。ようやく君の名を呼べる。愛している――セリフィーヌ』
「今度こそ、受け取ってくれるか? 俺の心を」
エリオスは、セリフィーヌを真っ直ぐに見つめる。
「セリフィーヌ。どうか、俺と結婚してほしい」
「……!」
心の声を越えた告白に、セリフィーヌは驚きに目を見開いた。
手のひらの花をしばらく見つめたのち、ゆっくりと顔を上げる。
花の様な可憐な笑みで、彼女は答えた。
「はい。わたくしでよければ、喜んで」
――温かい春風が吹き抜ける。
あの日失くしたはずの思いが、今、再び戻ってきた。
二人の物語は、まだ、始まったばかり。
《End》




