第二百一話 綾香の暴走、追い込まれる理性
「私も……愛してるよ」
綾香の言葉には熱がこもっているかのように、晴翔の耳を熱くする。
彼女は潤んだ瞳でジッと最愛の人を見詰める。
「晴翔……」
囁く綾香は、ぎゅっと力を込めて晴翔を抱きしめる。
「……綾香?」
強く抱きしめられた晴翔は、ふと彼女の様子が微妙にいつもと違うことに気付く。
潤んだ瞳は瞬きが極端に少なく、一切揺れることなく真っ直ぐに晴翔を見つめている。
それは、どこか甘えるようで可愛らしく見えつつ、同時に標的をロックオンしたかのような力強さも感じる。
「好き……愛してる……」
愛の言葉を囁きながら、綾香はさらに体重を預けてくる。
なかば彼女に押されるような形になった晴翔は、そのままベッドに倒れてしまった。
「っ!?」
「晴翔……大好き」
「ちょっ!? 綾香!?」
慌てて起きあがろうとする晴翔。しかし、彼の上に覆い被さるように綾香が乗っかってきたため、起き上がれなくなってしまった。
完全に押し倒されてしまった晴翔。
綾香は、まるで熱を出しているかのように赤い顔で迫ってくる。
足を絡め、腕も絡め。
強く身体を密着させて顔を寄せてくる。
「あ、綾香さん?」
「なぁに?」
「えと……一旦、ちょっとだけ離れようか?」
「ダメ」
さらに強くぎゅっと抱きつき、言葉と行動で提案を却下する綾香。
2人の身体が強く密着する程に、晴翔には抗い難い欲望が込み上げてくる。
綾香とピッタリと密着しているせいで、バクバクと暴れている鼓動は自分のものなのか、それとも彼女のものなのかわからなくなっている。
「で、でもさ、ちょっと、その、このままだと色々問題がーーぅむっ!?」
晴翔の言葉が途切れる。
彼の口は綾香の唇で完全に塞がれてしまった。
いつもよりも長く感じる口付けを終え、2人の唇の間に僅かな隙間ができる。
「問題なんてないよ」
言葉と同時に、晴翔の唇に綾香の熱がこもった吐息が掛かる。
「だって私たち、夫婦になるんだから」
「そう、だね。でも――」
「だから、私たちは大人の恋愛をしないと」
「……大人の恋愛?」
夢うつつな表情で言う綾香。
唐突な謎ワードに余裕のない晴翔は混乱する。
「こういう時、大人の恋愛では愛を確かめ合うんだよ」
「愛を確かめ合う……?」
それはつまり……そういうことなのだろうか?
綾香の体温、体重、女の子らしい柔らかい感触。その全てが魅力的で、晴翔の思考も次第にぼんやりとしてくる。
「うん。だって、教科書にそう書いてあったもん」
「教科書?」
うまく回らなくなってきた思考に、盛大な疑問符が浮かぶ。
教科書とは? 寝る前に保健体育の教科書を熟読していたのだろうか?
ぐるぐると巡る疑問を掻き消すように、再び晴翔の唇が塞がれる。
「んぅ」
口の中に広がる熱く柔らかい感触に、晴翔は次第に抵抗力を弱めていく。
「晴翔も、ぎゅって、して?」
「……うん」
彼女のおねだりに晴翔は素直に頷く。そして、優しく、だが強く抱きしめた。
綾香も晴翔の頬に自分の頬を擦り寄せ、同じようにぎゅっと抱き締め返す。
「愛してるよ綾香」
「ぅん……私も」
彼女は再び晴翔の唇を塞いでくる。
キスをする度に、晴翔の理性はだんだんと弱くなる。そして、逆にある欲望が強くなる。
それは、独占欲。
他の男子生徒から告白されている綾香を見て、晴翔の中に小さく、だが確実に芽生えたその欲。
目の前の無防備な綾香の姿に、晴翔の心は支配されそうになっていた。
「綾香……」
晴翔はそっと手を伸ばし、彼女の頬に手を添える。
その掌を。そして自分の全てを受け入れてくれる綾香の姿に、晴翔の独占欲はどんどん強くなっていく。
自分色に染めたい。視線を釘付けにしたい。
綾香の心も身体も、全て自分のモノにしたい……。
彼女の頬に添えていた手を頭の後ろまで伸ばし、もう片方の手で綾香の細い腰を抱き締める。
「好きだ」
強く自分に引き寄せ、抱き締めながら晴翔は言う。
「うれしい」
その全てを受け入れながら、綾香はうっとりと晴翔の胸に顔を寄せる。
「晴翔の鼓動を感じる。ドキドキしてる」
「綾香が可愛いからだよ」
「ほんと?」
「うん」
彼女は嬉しそうに微笑むと、晴翔の胸に頬を擦り寄せたまま、わずかに顔を上に伸ばす。
そして、晴翔の首筋にキスを落とす。
「私の鼓動も確認してみる?」
そう言うと、綾香は晴翔の右手を掴み、それを自分の胸に押し当てる。
晴翔の右手は魅力的な柔らかさに包まれる。そして、その柔らかな感触の奥から、強く激しい鼓動が伝わってきた。
「どう? 感じる?」
「…………ドキドキしてるね」
「うん。晴翔と一緒だよ」
とろけた笑顔を見せる綾香。
幸せに包まれているような彼女の様子を見て、晴翔の胸はどんどん高鳴っていく。
「綾香……」
晴翔は再び彼女を自分の身体に引き寄せる。
素直にそれを受け入れる綾香。
彼女も晴翔の存在を確かめるかのように、両手で彼の頬を撫でたり、胸に手を添えたりしている。
自分を愛してくれて、受け入れてくれる存在。
どんな時も側にいて、これからもずっと一緒にいると誓い合っている愛しい存在。
綾香という存在が、晴翔の中で大きく膨らみ、強く独占欲を刺激する。
それはあまりにも魅力的で、甘美な誘惑であった。
「綾香、好きだ。愛してる」
晴翔は彼女を抱き締めたまま、身体の位置を入れ替えた。
「ぁ……」
見上げていた視線は、見下ろすものへと変化する。
覆い被さるように綾香の上に乗る。
そのことによって、晴翔の独占欲に支配欲も加わる。
彼は彼女の両腕を掴んでベッドに押さえつけ、キスをする。
「ん……は、ると……」
潤んだ瞳で見詰めてくる綾香と目を合わせる。
彼女の瞳に映り込む自分の姿に、晴翔は満足感を得た。
全てを支配したような全能感。
綾香の全てを手に入れたかのような優越感。
そして『もっと、もっと……』と急き立てるような独占欲と支配欲。
晴翔は自分でコントロールできなくなった欲望に突き動かされ、そのまま綾香を求める。
「綾香……綾香……」
何度も名前を呼び、愛しい存在を強く抱き締め、何度もキスをする。
しかし、綾香にキスをする度に。
強く抱き締める度に。
晴翔の欲望は満たされることなく、逆に高まっていく。
それはまるで、強い喉の渇きに似ていた。
渇きを潤したい。欲望を満たしたい。
本能のような強い欲望に従って、晴翔は綾香を抱きしめ、唇を奪う。
「ぁ……ん……はると……ちょっと……まっ、て……」
「好きだよ綾香、すごく……愛してる……」
思考がうまく働かなくなり、晴翔は単純な言葉を繰り返す。
彼の心にあるのは一つだけ。
『もっと、もっと綾香が欲しい』
高まり続けるその気持ち。
だけどこのままでは、それは満たされない。
晴翔はそんなもどかしさを振り払うように、綾香の服に手をかけた。
その時、2人の瞳が至近距離で交わる。
そして、晴翔は綾香の瞳がほんの僅かに揺れたのを感じた。
幸せそうに蕩けた表情のなか。
潤んだ瞳の奥底で揺れたそれは、不安、または恐怖。
自分を受け入れてくれている彼女の中に見えた負の感情。
悦びに満たされている綾香の中で、それは強く強調されているように見えた。たとえそれが、彼女の心の奥底で芽生えたごく僅かなものだとしても。
幸せや嬉しさの中に包まれているからこそ、彼女の抱く小さな不安や恐怖が、晴翔には強く感じ取ることができた。
途端、晴翔を支配していた欲望が一瞬で消え去り、理性が全身を支配した。
「っ! ごめん!」
晴翔は押さえつけていた綾香の両腕をぱっと離し、彼女の上から降りる。
「? 晴翔?」
突然距離を空ける晴翔に、綾香は不思議そうに首を傾げた。
どうやら、彼が感じ取った感情を彼女自身は自覚していないようだった。
「その……ごめん。急に、こんな……」
どんな言葉にすればいいのかわからず、晴翔は視線を泳がせる。
その反応をどう受け取ったのか、綾香は離れた彼に腕を伸ばし、再度密着しようとする。
「私……晴翔なら……晴翔が、いい……」
頬を赤く染めながら、上目遣いで迫る綾香。
その姿に揺らぐ理性。
欲望が再び体を突き動かそうとする。
晴翔は自分自身の心、欲望の強さに戸惑いつつ、必死に綾香の魅力に抗う。
「俺も綾香を愛してるよ。だから……だからちょっと落ち着こう」
彼女に言いながら、自分自身にも言い聞かせる。
綾香の幸せ。それが晴翔にとって何よりも大事なことである。
愛する人として、家族として、彼女の人生における幸せを最大化させる。
そのためには、今ここで感情に流されるのは良くない。
漠然とした思いを抱き、晴翔は理性をフル稼働させる。
ぎゅっと強く抱きついてくる綾香の魅力に、必死に抗う。
「綾香、ちょっと、少しでいいから離れよう」
「やっ……」
「でもさ、このままは――」
なんとか説得しようとする晴翔。
その時、部屋の外から『ガチャッ』と扉の開く音が聞こえてきた。
その音に綾香の身体がピクッと震えて固まる。
扉の開く音に続いて、スリッパの床を擦る音、階段を降りる音が続く。
どうやら、修一か郁恵が寝室から出てリビングへと降りていったようだ。
2人の世界。その外から聞こえてきた雑音。
抱き着いたまま固まっている綾香に視線を向ける。
彼女は耳まで真っ赤に染めながら、目を見開いて固まっていた。
「……綾香?」
「…………はっ! あ、あ……あのね……その……」
言葉に詰まる綾香。ピタッと固まっていた身体は、今度はプルプルと小さく震えていた。
「わ、わたし、私は、ただ……晴翔と、その、愛を、確かめ……婚約者だし、お、大人の……恋愛……」
まるで通信が不安定な動画を見ているかのように、彼女の言葉は途切れ途切れで、文脈もめちゃくちゃだった。
特大の羞恥に襲われている綾香。
そんな彼女を晴翔はそっと優しく抱きしめた。
「ごめん。俺も……その、いろいろと、暴走してたというか、綾香が可愛過ぎたというか」
晴翔は彼女の、そして自分自身の気持ちを落ち着かせるように、ゆっくりと話す。
「えーと、俺、本当に綾香が魅力的で、その……いつかは……でも、今日は……」
「う、うん……」
綾香は晴翔の顔を直視できないのか、彼の肩に顔を埋めながらコクコクと頷く。
「じゃ、じゃあ今日は……えと、お、おやすみ」
「うん……おやすみ、なさい」
晴翔はふんわりと抱きしめていた綾香から離れる。
完全に離れる瞬間、晴翔に抱きつく彼女の腕に力が籠る。
しかし、それは一瞬で、するすると腕は晴翔から流れ落ちた。
「それじゃあ、また明日……」
「また、明日……」
晴翔は綾香に小さく声をかけてから部屋を後にした。
扉を閉めると、その奥から『あぅ〜〜……』というような小さく悶絶する声が聞こえてきたような気がした。
更新が大幅に遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。
少し告知させてください。
本作コミカライズのコミックス2巻が3月27日に発売予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
ウルア先生の描く綾香がとても魅力的です。




