第百九十七話 将来の妻
すみません、今回ちょっと短いです
「おにいちゃん、この駒はどうやって動くんだっけ?」
「それは、真後ろと横以外はどこでも一マス動けるよ」
将棋の『銀』と書かれている駒を手に持って首を傾げる涼太に、晴翔は丁寧に教えてあげる。
よく修一と晴翔が将棋をやっているのを見て、涼太が「僕も将棋やりたい!」と懇願してきたのだ。
5歳児に将棋はまだ難しいらしく、涼太は何度も手を止めて頭を悩ませている。その様子を微笑ましく眺めながら、晴翔は優しくルールや簡単な定跡を教えてあげる。
小さく体を揺らし、必死に頭を働かせている涼太。
今度、駒の動かし表でも作ろうかな、などと考えていると、キッチンにいた郁恵が声を掛けてきた。
「晴翔君、涼太、アイス食べる?」
そう言う郁恵の手には、バニラとチョコ二つのソフトクリームがあった。
「食べるっ!」
涼太は瞳を輝かせて母のもとに駆け寄る。
「僕チョコ食べたい!」
「晴翔君と相談してね」
ニッコリと笑う郁恵に、涼太は振り返って晴翔に確認する。
「おにいちゃんは何味食べる? おにいちゃんもチョコがいい?」
「いや、自分はバニラを食べたいな」
晴翔がそう答えると、涼太は満面の笑みを浮かべた。
「僕がチョコでおにいちゃんがバニラだね!」
「じゃあ涼太、これを晴翔君に渡してね」
「うん!」
涼太は郁恵からアイスクリームを受け取ると、それを両手に持って駆け戻って来た。
「はい、おにいちゃん!」
「ありがとう、涼太くん。郁恵さん、いただきます」
晴翔は涼太にお礼を言い、郁恵にも軽く頭を下げる。
「んふふ〜、美味しいね!」
「うん、美味しいね」
郁恵から貰ったアイスを二人は笑みを浮かべながら食べる。
するとそこに、お風呂から上がった綾香がリビングへやって来た。
「あ! 晴翔アイス食べてる!」
寝巻きに着替えている綾香は、晴翔が手に持っているアイスを見つけると、目を輝かせる。
「一口食べる?」
可愛い反応を見せる彼女に、晴翔がバニラソフトを差し出しながら言うと、綾香は「食べる!」と食い気味に返事をして一瞬で駆け寄って来た。
そして、リビングの床に座っている晴翔の隣まで来ると、四つん這いの姿勢から少し首を伸ばし、晴翔の手にあるソフトクリームをペロッと一口舐めた。
「っ!?」
「んんぅ! お風呂上がりのアイス美味しぃ」
幸せそうな表情を浮かべる綾香。しかし、晴翔は変に心拍数が上がって余裕がなくなっていた。
彼女が着ている寝巻きは、ゆったりとした着心地にするためなのか、首周りが緩くなっている。
そんな服で四つん這いになったせいで、首元の襟ぐりが垂れて大きく開いてしまっていた。
そこから覗く光景。
男の視線を引き寄せる深い谷。
晴翔は慌てて目を逸らした。
そんな彼の動揺に気付いていない綾香は、再び同じ姿勢でソフトクリームを狙ってくる。
「もう一口ちょうだい」
「あ、ちょっ、ちょっと待って!」
彼は視線を逸らしたまま、綾香の口元からソフトクリームを離した。
途端、彼女の表情がしゅんと曇る。
「ごめんね。晴翔のアイスだもんね……」
「いや、違くて。その、ちゃんと座って食べないと行儀が悪いよ? 涼太君もいるんだしさ」
四つん這いで迫ってくる綾香に、晴翔は頬を赤くしながらやんわり注意する。
すると、彼女は首を捻って弟を見る。
涼太は一心不乱にアイスクリームを食べていた。
「……確かにそうだね。ちゃんと座って食べます」
綾香は一度頷くと、今度は晴翔に密着するように、すぐ隣にちょこんと座った。
「一口ちょうだい?」
彼女はそう言って、ソフトクリームを持つ晴翔の手に腕を絡め、上目遣いにおねだりしてくる。
先程目にしてしまった光景、隣から伝わる温もり、お風呂上がりの石鹸の香りが重なり合い、晴翔の鼓動は否応なしに早まってしまう。
「う、うん。どうぞ……」
「やった」
晴翔の手にあるソフトクリームを綾香はペロペロと舐める。
全然一口ではないのだが、それを指摘することが晴翔にはできなかった。
「こーら綾香、それは晴翔君のアイスよ。ちゃんとあなたの分もあるんだから」
晴翔にくっついて彼のアイスを奪っている娘を見かねて、郁恵がもう一つソフトクリームを冷凍庫から出した。
「お風呂上がりのアイスが美味しすぎて」
母親の注意に綾香はほんのりと恥ずかしそうにしながら、晴翔の隣から離れてソフトクリームを受け取りに行く。
隣から伝わる温もりがなくなり、晴翔は「ふぅ〜」と溜めていた息を吐き出した。
綾香と婚約してから、彼女の距離感がさらに近くなったと感じる晴翔。
恋人だった頃から時折積極的な場面はあったが、それでも涼太や郁恵、修一がいる場ではそこまで甘える姿を見せることはなかった。
しかし、婚約者となった今は、家族が近くにいても、先程のようにくっついてくる。さらに、完全に心を開いているようで、身を預けるように密着してきたり、無防備な姿を見せたりもする。
「綾香はチョコとバニラどっちがいい?」
「う〜ん、チョコ。ありがとうママ」
彼女は郁恵からチョコのソフトクリームを受け取ると、当然のように晴翔の隣に戻ってきて、くっついて座る。
「さっきはたくさん食べちゃってごめんね。はい、私の食べていいよ」
そう言って綾香は晴翔の口元にチョコソフトクリームを持ってくる。
「ありがとう。じゃあ一口もらうよ」
「どうぞ」
晴翔は一言断ってから、ソフトクリームの先端を少し舐めとる。
「おいし?」
「うん」
頷くと綾香はとても嬉しそうに微笑んでから、自分もソフトクリームを食べ始めた。
晴翔が口を付けた箇所から、何も躊躇うことなく美味しそうにソフトクリームを食べる彼女。
恋人の練習をしていた頃は『あーん』や間接キスだけでドギマギしてしまっていたのに、いまではそれが当然のことのようになっている。
これが、恋人と嫁との違いなのか……。
幸せそうにソフトクリームを舐めている綾香をぼんやりと眺めていると、不意に涼太が叫ぶ。
「あ! おにいちゃんのアイス溶けちゃうよ!」
「え? あ、あぁ、本当だ。教えてくれてありがとう」
綾香に見惚れていてソフトクリームが溶け始めてしまっていた。
晴翔は慌てて溶けかけていたソフトクリームを食べ始める。
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