第百九十六話 彼女と嫁の違い
男女混合リレーの練習を終えた晴翔は、友哉と一緒に更衣室で着替える。
「ふぅ〜、良い汗かいたぜ」
「そんな汗をかくほどの運動でもなかっただろ」
大袈裟に清々しい顔をしている友哉の隣で晴翔はいつもの調子で返事をする。
「運動量はそこそこでも、緊張感があるだろ?」
「まだ本番じゃないぞ?」
「そういうのじゃなくて、藍沢さんとぶつかるっていう、嬉し恥ずかしハプニングに対しての緊張だよ」
「嬉し恥ずかしなのか? 普通に危ないハプニングだろ」
晴翔はシャツに着替えながら「転んでたら怪我してたぞ?」と呑気な友哉に言う。
「怪我してたかもしれないのはそうだけど、やっぱり女子を抱きしめるってドキドキじゃん?」
シャツのボタンを閉めながら友哉は表情を緩める。
「藍沢さん、めっちゃ良い香りがしたし」
「今のお前を藍沢さんが見たらドン引きだろうな」
呆れた表情で言う晴翔に、友哉はシャツの袖を捲りながら、まるで天気の話をするような気軽さで質問を投げかけてきた。
「なぁハル、お前から見て俺と藍沢さんってどんな?」
「どんな、とはどう言う意味だ?」
「う〜ん、仲良さそうに見えるかどうか?」
なぜか友哉自身も首を傾げながら聞いてくる。
そんな親友の目をチラッと見る。
そこに映るものが、晴翔にはわかるような、わからないような。
「仲は良いんじゃないのか? ぐうたらなお前と、それに呆れる藍沢さんってのは、側から見ると相性が良さそうには見える」
「なるほど、俺と藍沢さんは前世からの繋がりを感じると」
「そこまでは言ってない」
おどけた口調で言う友哉に、晴翔は冷静に返す。
そして、昔からの長い付き合いだからこそ、思い切って問い掛ける。
「というか、友哉は藍沢さんのことどう思ってんだよ?」
「……女神?」
「は?」
予想していなかった返しに、晴翔はポカンと口を開けてズボンを履き替える途中で動きを止める。
「それは……好きってことなのか?」
「好きというより崇拝?」
「マジの女神か」
「藍沢さんを拝み、手を合わせて祈りを捧げるだけで、心の安らぎを得ることができる」
その場に膝をつき、両手を握って厳かに言う友哉に、晴翔は盛大に顔を引き攣らせる。
「お前……大丈夫か?」
変な性癖に目覚めてしまった友哉を晴翔は哀れみの視線で見つめる。
「その目はやめろ。さすがに今のは冗談だ」
「冗談に聞こえない冗談はやめてくれ」
着替えを済ませた晴翔は親友にジト目を向けた。
「いや、今のどう考えても冗談にしか聞こえないだろ?」
「最近、藍沢さんに怒られると嬉しそうにしてるだろお前。だからあり得ない話でもないなと思ったんだよ」
晴翔のその言葉を聞くと、友哉は腕を組んで「う〜む」と唸った。
「なんかさ、楽なんだよなぁ藍沢さん。ノリが合うというか、居心地がいいというか」
「つまり好きってことか?」
スパッと簡潔な言葉を投げつけると、友哉はさらに首を傾げた。
「そうなると、俺はお前も好きだってことになるぞ?」
「うげぇ、それはやめろ」
恐ろしいことを言う親友に、晴翔は顔一杯に渋面を広げた。
「おいおい、その反応は酷いぞ? 俺とお前の仲だろ?」
「俺には綾香という最高の彼女がいる」
「彼女じゃなくて嫁だろ?」
すぐに訂正してきた友哉は、話題を自分から晴翔に変えるように指差す。
「つーかさ、今の時点ですでに嫁と暮らしてるって、どんな高校生だよ」
「どんなって言われてもな……特に普通――」
「いや普通じゃないだろ!」
友哉は言葉を途中で遮ると、晴翔に詰め寄る。
「彼女じゃなくて嫁だぞ? ご両家公認の嫁! つまり、お前は東條さんを好き放題にできるってことだぞ!?」
「す、好き放題ってあのなぁ……」
晴翔は暑苦しく迫ってくる友哉を押し返す。
「俺は綾香の嫌がることはしたくない」
「いやいやいや! 東條さんお前にベタ惚れだろ? 逆に『好き放題にして』って待ってるかもしれないぞ?」
鼻息荒く熱弁してくる友哉に、晴翔は「あのなぁ……」と呆れて肩をくすめる。
「願望の塊みたいな妄想を押し付けるなよ」
「妄想じゃねぇって。もし、東條さんが迫ってきたらお前は嫌か?」
「それは……嫌じゃないけど」
「嬉しいだろ?」
「……」
晴翔は素直に頷くことができず、そっと視線を外す。それを肯定と受け取った友哉は、ポンと晴翔の肩に手を置く。
「逆もまた然り、だ」
ニヤリと笑みを浮かべて言う友哉。
晴翔は、綾香と付き合う前に彼女が恋人の練習と称してかなり積極的にアプローチしてきていたことを思い出す。
「……うるさい」
晴翔は友哉の言葉を強く否定することができず、気恥ずかしさやら照れ臭い気持ちを誤魔化すように、ぶっきらぼうに友哉の手を払いのける。
ほんのりと顔を赤くしている晴翔に、友哉は「いいなぁ」と頭の後ろで手を組む。
「自分を認めて受け入れてくれる義理の父ちゃんと母ちゃん。懐いて慕ってくれる義弟。そして『大好き愛してる』と甘えてくる可愛い嫁……」
友哉は羨ましさと呆れが混ざり合った目を晴翔に向ける。
「なにこの状況? どんな徳を積んだらこんなチート展開になるんだ? お前、前世で世界でも救ってんの?」
「偶然というか綾香と出会えたことは、もし神様がいるなら一生感謝を捧げたいくらいにありがたいことだと思ってはいるけど、出会いってものは基本的にそういうものだろ?」
達観したことを言う晴翔に、友哉は軽く肩をすくめた。
「羨ましい限りだぜ。甘える東條さんはさぞかし可愛いんだろうな」
そう言って話を切り上げ、着替えを終えた友哉は更衣室から出ようとする。
その背中に、晴翔が声を掛けた。
「なぁ、友哉」
「あん?」
「綾香は、俺と付き合ってからさらに可愛くなったのか?」
昼休みの会話の中で、晴翔と付き合ってからさらに魅力が増したという話が出た。
そのことが、彼の中でずっと気になっていた。
友哉は扉に手をかけたまま、少し上を向いて考える素振りを見せる。
「まぁ、お前と一緒にいる時のすごく幸せそうにしてる東條さんは、控えめに言って女神だな」
「そっか……」
晴翔は親友の言葉に頷いた後に「てか、また女神かよ」と笑う。
「控えめに言って女神だからな? 控えなかったら神だぜ?」
「いや、女神も神も両方同じだと思うが?」
晴翔のツッコミに友哉は「ん? 確かに」と認めた後、軽い口調で言う。
「ま、最高に可愛い東條さんの笑顔は、お前限定だから逆に気軽に見れるってのはあるな」
「気軽に?」
首を傾げる晴翔に、友哉が説明をする。
「今までは、もしかしたらっていう可能性というか希望があっただろ?」
「あった……のか?」
家事代行で出会う前の、男子を完全拒絶していた綾香を思い出す晴翔。
「何でも都合よく考えるのが男子高校生の性ってもんだろ? とにかく、前は『俺、もしかしてイケんじゃね?』みたいな可能性を感じられたけど、今はそれが皆無になったわけだ。だからこそ、芸能人を見る様な感覚で東條さんを見られるってわけだ」
「う~ん、なるほど?」
なんとなく頭では理解できるが、感覚的に納得できないという微妙な反応を見せる晴翔。
それを見て友哉は若干皮肉っぽく言う。
「チートラブコメ主人公のハルにはピンとこないだろうよ」
そう言い捨てて更衣室から出る友哉。
晴翔も後を追って出ると、廊下では綾香と咲が着替えを済ませて待っていた。
「遅かったわね。何してたの?」
不思議そうな顔で尋ねる咲に、友哉はおどけた様子で答える。
「女神について熱く語り合っていた。な、ハル」
そう言って肩を組んでくる友哉に、取り敢えず晴翔も話を合わせておく。
「女神の魅力について熱く語る友哉の話を聞いていた」
「おい! ハルだって女神の魅力について知りたがってたじゃねぇか!」
そう言った後、友哉はニッと笑って綾香を見る。
「ちなみに、ハルにとっての女神は東條さんのことね」
「え!?」
驚いて目を見開く綾香は、そのまま視線を晴翔に向ける。
「ほんと?」
嬉しそうに瞳を輝かせる綾香に、晴翔は苦笑を浮かべる。
「まぁ、綾香の可愛さの変化について、第三者的な客観的意見を知りたかったというか」
照れ隠しから、遠回しな言い方をする晴翔に、友哉がニヤッと笑みを見せる。
「素直に東條さんのことが気になってしょうがないって言えよ!」
「う、うるさいな……」
親友のイジリにぶっきらぼうな反応を見せる晴翔。
それを見て幸せそうにしている綾香。
その状況に咲がボソッと呟く。
「帰りにブラックコーヒーでも買うか」
お読み下さりありがとうございます
本作の書籍版を刊行させて頂いているGA文庫様が、来年の1月で20周年を迎えるそうです。
それにあたってGA20周年を記念した20個の大プロジェクトが開催されるようです。
そして、僭越ながら本作もいくつかのプロジェクトに参加させて頂いております。
気になる方はぜひGA20周年特設サイトを確認してみてください。
綾香がやんごとない作品達のキャラクターと並んでいる……




