第百三十二話 堂々と
ちょっと短めです。
保健室で養護教諭が、椅子に座る綾香の右足首をそっと持ち上げて言う。
「まぁ、軽い捻挫だな。しっかりとテーピングをして安静にしてりゃ、すぐ治る」
少し乱暴な言い方をする養護教諭だが、捻挫の処置はしっかりと行う。
彼女は綾香の足首をテーピングでしっかりと固定しながら、ずっと隣に立っている晴翔のほうへ視線を向ける。
「今日一日、足首にあまり体重をかけない事。いいな? 学校じゃいろいろ不便だろうから、彼氏のお前がしっかりと介抱してやれ」
「はい。わかりました」
晴翔の返事に、養護教諭は頷き綾香のテーピングを完成させる。
「どうだ? ちゃんと固定されてる感じはあるか?」
「はい、ありがとうございます」
「次ずっこけるときは、もっと上手にずっこけるんだぞ」
養護教諭の若干的外れな注意に、綾香は苦笑を浮かべる。
「あの、次はこけないように気を付けます」
「どんなに気を付けていても、ずっこけるときはあるもんだ。それが人生というものだ」
やたらと人生の重みを感じさせるような、意味深な表情で告げる彼女に、綾香は「は、はぁ」と反応に困ったような微妙な笑みを返す。
「ま、その事を実感するのは、お前らはまだまだ先だな」
そう言うと、養護教諭は壁に掛けられている時計に目を向ける。
「この足じゃ、体育の授業は無理だな。このまま昼休みまでそこのベットで昼寝でもしていろ」
彼女は保健室内にあるベッドを親指で指しながら適当な口調で言い、椅子から立ち上がる。
「私は職員室に用事があるから一旦席を外す。何か問題が起これば、喚き散らして騒ぎを起こせ。そうすれば嫌々ながら私はここに戻ってくるからな」
冗談で言っていると思いたいような事を告げながら、養護教諭は保健室から出ていく。
「俺、初めて保健室来たんだけど……変わってる先生だね」
「うん。須崎先生っていうんだけど、結構女子の間では人気だよ? 意外と恋愛相談とかにも乗ってくれるって」
「ちゃんとアドバイスくれるの?」
晴翔は先ほどの彼女の発言を思い返しながら綾香に聞いてみる。
「たぶん。なんか新しい恋愛観に気付けるって、前に友達が言ってたよ?」
「……へぇ」
その新しい恋愛観とはいったい何なのか。
少しばかり気になる晴翔は、チラッと椅子に座る綾香を見る。
すでに恋愛観がズレている彼女には、保健室での恋愛相談は是非とも遠慮してもらいたいところである。綾香の恋愛観がこれまで以上にズレた方向に邁進してしまわないように。
直感で晴翔がそう思っていると、不意に閉まっていた保健室の扉がガラッと開く。
「おい彼氏。彼女と一緒に授業をサボるのは構わんが、ここは学校だ。常識と節度を持ってイチャイチャするように。そこのベッドは公共の物だからな。ではごゆっくり」
それだけ告げると、須崎先生は再びバタンと扉を閉め姿を消す。
保健室から遠ざかっていく足音を聞きながら、晴翔は苦笑を浮かべた。
「……ユーモアに富んだ人だね」
「だね」
須崎先生の言葉を意識してしまっているのか、綾香はほんのりと赤くなった顔で頷く。
「じゃあ、とりあえず綾香はベッドに横になる?」
「うん。そうしよっかな」
「わかったじゃあ肩を貸すよ」
「ありがとう」
晴翔はかがんで綾香に肩を差し出す。
彼女は晴翔に支えられながらベッドまで移動し、腰を下ろす。
「……晴翔はもう、授業に戻る?」
「そう、だね」
そう返事をすると、綾香はベッドに腰かけたまま晴翔を見上げる。
その表情には、寂しさが滲み出ているような気がして、晴翔は前言を撤回する。
「いや。もう少しだけ、ここにいるよ」
その言葉を聞いた瞬間、綾香の表情は面白いくらいに明るいものへと変化する。
そんな彼女の様子に、晴翔は微笑みを浮かべながら隣に腰を下ろす。
「こうして保健室で二人きりになるのって、なんだか恋愛漫画みたいでドキドキしちゃう」
少しだけ赤く染まった頬を緩めながら、綾香は嬉しそうに晴翔に体を寄せる。
「そう? ちなみにその恋愛漫画では、保健室でどんな事が起きたりするの?」
あまり恋愛系の漫画を読まない晴翔は、純粋な疑問の気持ちで質問をする。
しかし綾香は、先程よりも顔の赤みを強めながらも、質問には答えてくれない。
「それは……秘密です」
「え? そう言われるとますます気になるんだけど?」
「……なら今度、一緒に漫画読も?」
「いいよ」
彼女からのお誘いに、晴翔は笑みと共に了承する。
「と、そろそろ俺は授業に戻るよ。あまり長いと皆に怪しまれるし」
時計を見た晴翔がそう言うと、これまで顔を赤くしながらもニコニコしていた綾香の表情が不安で曇る。
「……みんな、私達の関係に気付いた、よね?」
「……かな」
同意するように頷く晴翔に、綾香は顔を俯かせる。
そんな彼女の様子を少しの間ジッと見つめた晴翔は、意を決して口を開く。
「綾香、ごめんね。みんなの前で抱っこなんてしちゃって」
彼が謝罪をすると、綾香は慌てて顔を上げて手をブンブンと振る。
「あ、謝らないで! 晴翔は全然悪くないんだから! 私、晴翔が来てくれてすっごく嬉しかったよ!」
必死に言葉を発する彼女。
晴翔はそんな綾香の反応に嬉しくなりながら、真剣な表情で彼女と視線を絡める。
「綾香」
「?」
決意を込めて名前を呼ぶ晴翔。
それを感じ取ったのか、綾香もまっすぐに晴翔の事を見つめ返してくる。
「俺、綾香と学校でも一緒にいたい。堂々と、君と学校生活を送りたい」
自分の願望を彼女に伝える晴翔。
綾香は黙ってその言葉を受け止める。
「綾香が過去にトラウマがあることは理解しているよ。それに、女子の人間関係がいろいろと複雑なのも、なんとなく察してる……でも、このまま綾香との関係を秘密にし続けるのは、俺は、嫌だ」
晴翔は、ベッドの上で姿勢を正し、真っ直ぐに綾香と向き合う。
「学校でも、俺は綾香の隣にいたい。学校での思い出を……残り一年半しかない貴重な思い出を君の隣で積み上げていきたい。今日みたいなことがあったら、真っ先に綾香のもとに駆け付けたい。だから……」
彼はそっと綾香の手を取り、優しく握りしめる。
「堂々としよう。もし……もしも綾香に何かあったら、俺が守るから。絶対に悲しい思いはさせない。誓うよ」
「晴翔……」
綾香は彼の言葉を噛み締めるように晴翔の名を呟く。
しばしの間、二人の間に沈黙が流れる。
やがて、綾香は晴翔に握られている自身の片手に、もう片方の手をそっと重ねる。
「うん。私も……晴翔とずっと一緒にいたい! 家でも、学校でも」
晴翔の決意に応えるように、綾香は笑みを浮かべて言う。
「晴翔と堂々と付き合いたい!」
綾香のその言葉に、晴翔は彼女への愛おしい気持ちが抑えきれなくなり、そっと優しく抱きしめる。
彼女は「んっ」と小さな吐息を漏らしながら、晴翔の背中に腕を回しギュッと抱き着いてくる。
「好きだよ。晴翔」
「俺も好きだよ」
二人はそっとお互いの身体を離すと、軽く唇を重ねた。
「……じゃあ、俺は授業に戻るよ」
「うん」
嬉し恥ずかし頷く綾香に、晴翔は軽く片手を挙げてから保健室を後にした。
グラウンドに戻る為に廊下を歩く晴翔は、先ほどの自分の発言を思い返して「うおぉ……」と羞恥に悶絶する。
「俺が守るからって、うおぉ……」
まさか、人生の中でこれほどに気障なセリフを言う機会があるとは。
先ほどの綾香とのやり取りで、心拍数を上げながら晴翔は身悶える。
しかし、恥ずかしかったのは事実だが、その言葉に嘘偽りはない。
どんな時でも、彼女のそばにいたい。そして、守りたい。幸せにしたい。
それは、晴翔の心の底からの決意である。
「波乱万丈の高校生活の幕開けかな?」
一人呟きを漏らす晴翔。
彼が通う高校で、誰もが知っている超有名人。
『学園のアイドル』こと東条綾香。
その彼氏であると公言した時の、周りの反応を想像して、晴翔は軽く身震いをする。
「まぁ、それで綾香の嬉しそうな笑顔が見れるなら、安いもんか」
彼女の笑顔はこの世のどんなものよりも価値がある。
綾香に完全ベタ惚れ状態の晴翔は、そんな事を思いながら皆が待つグラウンドへと向かう。
お読み下さり有難う御座います。




