第百二十二話 東條綾香の苦悩⑥
カラオケルームに晴翔君の歌声が響く。
耳が幸せって、今みたいな状況を言うのかな?
彼が歌う演歌はとても有名な曲で、私も何回かテレビの音楽番組で聞いた事がある。
切なくも熱く激しい恋模様を表現した歌詞。
晴翔君が、その歌詞を私に向けて歌っていると想像したら、なんだか心の奥底から熱くなるような、震えるような、上手く言葉で言い表せない感情が込み上げてくるのと同時に、胸の鼓動が自然と早くなってくる。
このままずっと、晴翔君の歌を聞いていたいな……。
そんな私の願い虚しく、晴翔君の歌は五分くらいで終わってしまう。
もっと聞いてたかったなぁって思いながら、私は盛大な拍手を彼に送った。
そこに咲が面白そうに私に話し掛けてくる。
「いやぁ、私カラオケで演歌歌う人初めて見たかも」
「私も初めてだけど、晴翔君凄く格好良かったと思うよ?」
「まぁ、結構良かったけどさ。制服を着た高校生が演歌を歌う姿って、なんか面白いなって思ったのよ……って、なんか綾香顔赤くない?」
「へ? そ、そうかな? ……ちょっと暑いのかも」
演歌の歌詞に、私と晴翔君を重ねてたなんて咲に言ったら、きっとまた揶揄われちゃう。
「ふ~ん? もう少しエアコンの温度下げる?」
「い、いや大丈夫だよ。あ、私飲み物取ってくるね」
私は咲の追及の眼差しから逃げるように、ジュースが三分の一くらいに減った自分のコップを手に持つ。
そこに、ちょうど赤城君が「次藍沢さんの番だよ」と咲にマイクを持ってくる。
「ありがと。う~ん、次は何を歌おうかなぁ……」
デンモクを見ながら悩む咲に、私は立ち上がりながら言う。
「咲は飲み物いる? ついでに持って来てあげるよ」
「いんや、私は大丈夫。歌い終わったら自分で行く」
「わかった。他に飲み物いる人は?」
私は咲以外の三人にも、飲み物がいるかどうか聞いてみる。
「いや、俺は大丈夫」
「俺も」
「あ、私は飲み物要ります。アヤ先輩一緒に取りに行きましょう」
晴翔君と赤城君は首を振る。その後に雫ちゃんが空のコップを持って立ち上がった。
「雫ちゃんの分も取ってくるよ?」
「いえいえ、先輩に飲み物を取って来てもらうなんて、恐れ多くて」
「本当にそう思ってる?」
「もちろん、微塵も思ってません」
「もう!」
当然の事の様に言い放つ雫ちゃんに、私は頬を膨らませた。けど、なんとなく、そう言われる事は予想がついていたから、私はすぐに笑みを浮かべる。
「じゃあ一緒に行くよ。雫ちゃん」
「あいあいさー」
私はやる気の無さそうな敬礼をする雫ちゃんと一緒に、カラオケルームを出てドリンクバーへと向かった。
ドリンクバーは部屋を出た廊下の突き当り、エレベーターホールの横に備え付けられている。
そこに向かって歩いていると、雫ちゃんが後ろから声を掛けてくる。
「アヤ先輩」
「ん? なに雫ちゃん」
「今日、誘ってくれてありがとうございます」
そう言って、ペコッと頭を下げる雫ちゃんに、私は少し警戒心を高める。
この子が素直に頭を下げるなんて、きっとイジッてくる前触れに違いない!
「どうしたの急に?」
私が少し身構えて尋ねると、雫ちゃんは少しだけ間を開けてから話し出した。
「今日のカラオケ、アヤ先輩からハル先輩を誘ったんですよね?」
「うん、そうだけど」
「学校でハル先輩と話せるようになったから、お邪魔虫である私はもうお役御免で捨てられるかと思ってました」
「そんな酷い事しないよ!?」
無表情のまま、自分の空のコップを見詰めながら話す雫ちゃんの言葉を私はすぐに否定する。
そんな私の反応が意外だったのか、雫ちゃんはコテンと首を傾げる。
「そうなんですか?」
「当たり前でしょ! だって雫ちゃんのお陰で、私は晴翔君と学校でも接点が出来たんだから、そんな恩人ともいえる人を『用済みです、ポイッ』なんてしないよ!」
「……アヤ先輩は義理堅いんですね」
「別に私じゃなくても、そんな酷い事する人はいないと思うよ……」
「意外と、平気で酷い事をする人はいるもんですよ?」
「雫ちゃんの過去に何があったの?」
私がそう言うと、雫ちゃんは表情乏しく不敵な笑いを漏らす。
「ふふふ、秘密です。過去に闇を感じさせる女ってカッコイイので」
「そうかな?」
私は彼女の言葉に苦笑を浮かべながら、ドリンクバーからオレンジジュースをコップに注ぐ。
「どっちにしても、雫ちゃんが私の恩人である事は変わらないから。それに……」
私は並々に注がれたコップをそっと持ち上げながら、雫ちゃんの方を見る。
「私と雫ちゃんはマブダチのズットモ、なんでしょ?」
初めて雫ちゃんに話し掛けられた時、いきなり『マブダチのズットモ』になりましょうなんて言われて戸惑っちゃった。けど、あれから雫ちゃんと何回か接してみると、癖は強いけど凄く良い子なんだなって分かった。
初めは戸惑いの気持ちが強かったけど、今は純粋に雫ちゃんとは仲良くしたいって思ってる。
そんな思いを込めて、私が雫ちゃんに笑い掛けると、彼女は唇を尖らせながら自分のコップをドリンクサーバーにセットした。
「アヤ先輩はズルいです」
「え?」
「美人なうえに性格もいいなんて、ズルいですよ。それに、デカいですし」
「デカい?」
雫ちゃんの最後の言葉の意味が分からず、私は首を傾げる。
そんな私に、彼女は肩をくすめる。
「はぁ、アヤ先輩、無意識にその凶悪なものをハル先輩に押し付けたりしてるんじゃないですか? 自分の大きさ自覚してます?」
そう言ってジト目を向けてくる雫ちゃんに、私はようやく彼女の言葉に合点がいく。
「そ、そそ、そんな事しないよ!」
「ほんとですか?」
「ほ、本当だよ!」
必死に否定する私に、雫ちゃんは暫く「ふ~ん」と疑いの目を向けてくるけど、少ししたら目を逸らして、ジンジャーエールが注がれた自分のコップを手に取る。
「アヤ先輩」
「な、なにかな?」
「……これからもマブダチのズットモで、よろしくです」
「あ……うん、よろしくね。雫ちゃん」
雫ちゃんは相変わらずの無表情だけど、なんだか少し照れている様な雰囲気もあった。もしかしたら、私は雫ちゃんの微妙な表情の変化が読み取れるようになっているのかもしれない。
その事に少し嬉しくなっていると、雫ちゃんが自分のコップを私の方に掲げてくる。
「永遠の友情に乾杯です」
「ふふ、乾杯」
私も自分のコップを掲げて、雫ちゃんのコップに軽く当てる。あいにく、コップはガラスではなくてプラスチックだったから『コツン』と少し鈍い音が鳴る。
この事に私がまた笑い声を漏らすと、雫ちゃんも笑ってくれたような気がした。
お互いに飲み物を補充した私達は、並んでカラオケルームへと戻る。
「あ、そう言えば、勉強会の時のお菓子、ありがとうね」
前にやった勉強会で、雫ちゃんたちは沢山お菓子を買って来てくれた。そして、勉強会で食べきれなかったお菓子を部屋を使わせてくれたお礼だって言って、全て置いていってくれた。
「いえいえ……あ、確かホッキーも残しておいたはずですが、私達が帰った後、ちゃんとハル先輩と濃厚なホッキーゲームをしましたか?」
「ふぇッ!? え、あ、いや、あの……」
「……え? マジで二人でホッキーゲームしてたんですか?」
雫ちゃんは冗談のつもりで言ったんだろうけど、まさかの事実を言い当てられて、私は思わず口籠ってしまう。
「そ、そそ、ソンナコト……シテナイヨ」
「……アヤ先輩、ダウトです」
「うぅッ……」
「ではハル先輩とどんなホッキーゲームをしたのか、詳しくじっくりと聞かせてもらいましょうか? むっつりアヤ先輩」
雫ちゃんは、まるで獲物をしとめる猛禽類のようなまなざしで私の事を見詰めてくる。
「む、むっつりじゃないもん!!」
「はいはい、言い訳はこの密室の中で聞きますから、どうぞ入って下さい」
雫ちゃんはそう言って、カラオケルームの扉を開く。
その中は私にとって、まるで地獄の尋問部屋の様に映る。
「咲先輩、アヤ先輩から面白い話が聞けますよ」
「え? なになに?」
ちょうど歌い終わって赤城君にマイクを渡した咲が、興味津々に雫ちゃんの方を見る。
うぅ……尋問官が二人に増えちゃったよぉ……。
「綾香? 扉の前で立ち止まってどうしたの?」
晴翔君がなかなか部屋の中に入って来ない私を不思議そうに見詰めてくる。
「……晴翔君、ごめんね」
「え? それは何の謝罪?」
いきなりの私の謝罪に、晴翔君はキョトンとした表情を向けてくる。
そこに、雫ちゃんから耳打ちをされた咲がニマァと笑みを広げた。
「綾香さ~ん、ほらほら早くこっちに来て座りなさいな」
咲はそう言って、自分の隣のソファをポンポンと叩く。
「……はい」
私は無駄な抵抗は諦めて、素直に咲の隣にストンと腰を降ろす。
「綾香さんや、なかなか攻めてますね~。あ、大槻君にも後で話を聞かせてもらうので」
「え? 何の事?」
ニヤニヤと笑みを浮かべる咲に、私は羞恥で顔が赤くなるのを感じる。晴翔君は相変わらず状況を理解できずにポカンとしてる。
その後、皆が歌う合間で、咲と雫ちゃん二人の尋問官によって、私と晴翔君のホッキーゲームの全容が暴かれてしまった。
案の定、皆からはたっぷりとイジられてしまった……。
綾香の悩み:尋問官、強すぎ……。
お読み下さり有難うございます。




