第百二十一話 意外な十八番
綾香が晴翔をカラオケに誘った瞬間、教室内はざわつきで満たされる。
そんな教室の反応に、晴翔は一瞬だけ様子を探る様に辺りを見渡すとすぐに、にこやかな笑みを浮かべる。
「そうだね。それじゃあ、皆でカラオケに行こうか」
過去のトラウマから、晴翔との関係を秘密にしたいと言っていた綾香が、自ら話し掛けてくれた。
勇気をもって一歩を踏み出してくれた彼女に対して、彼氏として応えないわけにはいかない。
晴翔の快諾に綾香は「うん!」と満面の笑みを残して自分の机に戻っていった。
彼女がいなくなった瞬間に、晴翔は周りの生徒から早速質問攻めにあう。
「おいおい大槻! 東條さんとカラオケってマジか!?」
「他の人もいるけどね。友哉とか藍沢さんとか」
グワッと目を見開いて聞いてくる男子に、晴翔は苦笑を浮かべる。
「大槻君、いつの間に東條さんとそんなに仲良くなってたの? 何がきっかけ!?」
今度は女子が瞳を爛々と輝かせて、興味津々に尋ねてくる。
「きっかけというか、雫が東條さんと仲が良くて、それでかな」
「雫って、一年生の堂島さんの事だよね? 大槻君と堂島さんってどういう関係なの?」
「実は小さい頃から空手道場に通ってて、その空手道場の一人娘なんだよ雫は」
晴翔が雫との関係を説明すると、その話を聞いた男子が神妙な顔つきになる。
「俺もその道場に通えば、東條さんと接点が……」
「堂島道場は常に新入生を募集してるから、気になるなら今度見学にでも来る?」
幼い頃からお世話になっている堂島道場。
晴翔にとって第二の実家ともいえる道場が繁盛するのは、彼にとっても喜ばしい事である。
「むぅ……ちょっと考えておく。また今度相談させてくれ」
「了解」
その後も晴翔は根掘り葉掘り聞かれる。それに対して彼は、堂島道場への勧誘を交えつつ、次々と飛んでくる質問をのらりくらりとかわし続けた。
そして放課後。
ホームルームが終わると早速、綾香が咲と一緒に晴翔の席へやって来た。
「大槻君、さっき話したカラオケなんだけど、このお店でいいかな?」
そう言いながら綾香は自身のスマホの画面を晴翔に見せる。そこには駅前の有名チェーン店のホームページが映し出されていた。
「うん、このお店で大丈夫だよ」
晴翔が返事をするのと同時くらいに、友哉もやって来る。
「あ、赤城君も今日のカラオケはここでいいかな?」
「ん? おっけい!」
友哉は綾香が差し出したスマホの画面をのぞき込んだ後に、グッと親指を立てる。
「カラオケにはこのまま直行する感じ?」
「うん、そのつもり」
友哉の問い掛けに咲が頷く。そこで晴翔が雫の事を思い出す。
「あ、雫にも連絡しとかないと」
「雫ちゃんにはもう私から連絡しておいたよ。校門前で待ってるって言ってた」
「そっか、それじゃあ早く行こうか」
晴翔達がそんな会話を交わしていると、つい先程まで放課後の喧騒で満たされていた教室内が、妙に静かになっていた。
おそらく全員が、晴翔達の会話に聞き耳を立てているのだろう。
教室から出る晴翔達一行を多くの視線が後を追う。
晴翔は様々な感情が込められているように感じる視線を極力無視しながら、教室を後にした。
その後、雫と合流した晴翔達は駅前のカラオケ店に向かう。
店員に案内されて個室に入ると、雫がテーブルの上に置いてあるチラシに目をつける。
「む、山盛りフライドポテト割引キャンペーン……先輩方、これいきましょう」
「お、良いじゃん良いじゃん! 私は賛成!」
咲が雫の指差すキャンペーンのチラシを見ながら頷く。彼女に続いて他の人達も全員が頷いたのを確認して、雫は早速フライドポテトを注文する。
雫が扉脇に設置されているインターホンで注文をしている間、友哉がエアコンのリモコンを手に取る。
「女性の皆様方、ちょっと温度下げてもよろしいですかな?」
「私は大丈夫だよ。咲と雫ちゃんは?」
綾香は頷いた後に、咲と雫に尋ねる。
「私も平気」
「これから熱い歌で室温が上がるから大丈夫」
「了解。じゃあ冷房の温度下げまーす」
女性陣の許可を得てエアコンの設定温度を下げる友哉。
そこに晴翔がデンモクをテーブルの中央に置いて口を開く。
「最初に歌う人、誰にする?」
晴翔の問い掛けに、全員が目を合わせる。
僅かな沈黙の後、咲が手を上げた。
「はいはーい! じゃあ綾香一緒に歌お!」
「うん、良いよ。なに歌う?」
「え~っとねぇ……」
咲はデンモクを操作しながら何を歌うか悩む。
綾香も咲の隣に座り、一緒にデンモクを覗き込んで曲選びをする。
「じゃあ、この曲にしようか」
「おっけ」
暫く選曲に悩んだ後、二人は曲を入力する。すると壁際に設置されている画面に、イントロと共に曲名が表示された。
「おぉ! いいね!」
友哉が場を盛り上げるように歓声を上げる。それに続いて、雫もいつの間に持って来ていたのか、パーティー用のタンバリンをジャラジャラと鳴らしながら「イェーイ」と歓声を上げた。そんな彼女の行動と、いつもの無表情があまりにも一致していなくて、晴翔はおもわず笑いを溢す。
雫は相変わらずだななどと晴翔が思っている間に、曲のイントロが終わり綾香と咲の二人が歌い出す。
重なる二人の歌声はなかなかに上手で、更に晴翔にとって綾香の歌声は、彼の耳に心地よく響く。
まだ場の雰囲気に慣れていないのか、少し恥ずかしさを含んだ表情で歌う綾香の姿はとても可愛らしく、晴翔は愛おしい彼女を抱き締めたくなってしまう。
そんな衝動を感じながら彼は綾香と咲の歌に聞き入り、歌い終えると友哉と雫と一緒に大きな拍手を送る。
三人の拍手に対して、咲は「どもども」と片手を上げて応え、綾香は「えへへ」と照れてはにかんだ笑みを見せる。
「はい、じゃあ次歌う人!」
咲が自分の持っているマイクを掲げて言う。
それに友哉が声を上げた。
「よっしゃ! 次は俺がいこうかな!」
彼は咲からマイクを譲り受けると、自分の好きなロックバンドの曲を入れる。
先程の綾香と咲が選曲した歌とは打って変わって、激しめのドラムがカラオケルームに響く。
友哉は普段からバンド活動をしている為、リズム感が良く音程も合っている。そんな彼の歌声に、咲が感心したように「おぉ」と声を上げる。
「赤城君、歌上手だね」
「友哉は小学生の頃からギターやってるし、今も他校生とバンド組んでるから、音楽センスは高いんだ」
友哉の歌に合わせて手拍子している咲に、晴翔が説明をする。
「へぇ、赤城君ってバンドマンだったんだ」
「なんか、今年は学園祭の有志ステージに出るって意気込んでるよ」
「そうなんだ。楽しみだねそれ」
友哉のバンド活動に興味を示す咲。
「友哉に学園祭のステージ楽しみにしてるって言ったら凄く喜ぶよ。あまりやり過ぎると調子に乗ってくるけど」
「あははは、確かに。調子に乗る赤城君、想像できるわ」
友哉の熱唱の陰でそんな会話を交わす晴翔と咲。
彼が歌い終わると、全員が拍手を送る。
「トモ先輩、ロックですね」
「おうよ! 歌は魂を震わせないとな!」
雫の言葉に友哉はニカッと笑みを浮かべる。
「では次は私が魂を震わせましょう」
そう言うと雫は友哉からマイクを受け取る。すでに曲は入力していたらしく、友哉が歌っていた曲が終了すると、すぐに次の曲のイントロが流れ始める。
「え? 雫ちゃんこれ歌うの?」
イントロを聞いて綾香が驚いた表情を浮かべる。
雫が選曲したのは、若い世代でカリスマ的人気を誇る男性ロックバンドの曲だった。テンポが速いうえに英語の歌詞も多く、歌うのがかなり難しい曲である。
しかし、雫は驚いている綾香にグッと親指を立てると、そのまま歌い出す。
早いテンポにも難なく合わせ、英語の歌詞も歌いこなす彼女。
ただ、力の籠った歌声であるにもかかわらず、彼女の表情は相変わらずほぼ無表情である。そのギャップに、綾香はそっと晴翔に耳打ちする。
「ねぇ晴翔君、雫ちゃんてなんか……色々と凄いね」
「雫はキャラが濃いからね。そこが良い所ではあるんだけど」
一見すると無表情で無口な黒髪美少女である雫。
しかし、大和撫子と言っても過言ではないその見た目に反して、本当の彼女は、かなりひょうきんな性格をしている。
「見た目は凄く可愛いくて、表情が乏しくてクールに見えるけど話したらすぐにふざけてくるし、イジッてくるし。道場の娘さんって事は、空手もやっぱり強いの?」
「強いよ。さすがに高校生になった今は、体格や筋力の差で負けないと思うけど、中学一年くらいまでは、俺よりも雫の方が強かったよ」
「やっぱり凄いね。雫ちゃんは」
感心した様に呟く綾香は、雫が歌い終えると大きな拍手をする。
歌い終えた雫は「ナイス雫ちゃん!」と称賛する友哉とグータッチを交わす。
「じゃあ次はハル先輩どうぞ」
雫はそう言って、手に持っているマイクを晴翔に渡す。
「ありがとう。じゃあ、えっと……何を歌おうかな……」
晴翔はマイクを受け取ると、デンモクを操作して最近の流行りの歌を調べる。
そんな彼の姿を見た友哉が「おいおい何やってんだよハル!」と晴翔からデンモクを奪い取った。
「ちょ、友哉なにすんだよ」
「なにすんだよじゃないだろ? ハルには絶対に外せない十八番があるのに」
「え? なになに? 大槻君、そんな得意の曲があるの?」
友哉の言葉に咲が興味津々と言った様子で晴翔の方に視線を向ける。
「あ、いや……得意というか、なんというか……」
歯切れ悪く言葉を発する晴翔の代わりに、友哉が大きく頷く。
「ハルは歌ウマだからな! この曲を聞いたら分かるぜ」
そう言うと友哉はデンモクを操作して晴翔の十八番だという曲を勝手に入れる。
「あ、ちょ、友哉!」
「さぁハル! 東條さんと藍沢さんにお前の歌唱力を披露してやるんだ!」
友哉がそう言うのと同時に、曲が流れだす。
何とも情緒あふれるイントロに、咲は「え?」と少し困惑した表情を浮かべた。
対する晴翔は、流れだした曲に諦めたように「はぁ」と小さく溜息を吐いて肩をすくめると、口元にマイクを持って来て歌う姿勢を取る。
そして、イントロが終わって歌い出す晴翔。
友哉が『歌ウマ』というだけあり、バッチリとあった音程に完璧なリズム感、のびやかな晴翔の歌声は確かに上手であった。
さらに、深いビブラートと独特の歌唱法であるこぶしも完璧であった。
そんな晴翔の歌う姿に、咲が面白そうに言う。
「え? 大槻君の得意な曲って……まさかの演歌?」
「な? ハル、歌上手いだろ?」
「まぁ、上手だけど……なんかウケる。ね、綾香」
同意を求めようと咲が隣の綾香の方を見ると、彼女はジッと晴翔の事を見詰めている最中だった。
「……晴翔君の歌声、ステキ……」
完全に彼の歌に聞き入っている綾香を見て、咲が苦笑を浮かべた。
「ありゃりゃ、綾香にとっちゃ演歌だろうとなんだろうと、関係ないのね……」
少し呆れたように言う咲の言葉は、雫の「よ! ハル先輩日本一!」という合いの手に掻き消されたのであった。




