91 留置所にて
リィーン、と不気味なほど澄み切った鈴の音が聞こえた。
「んん?」
……ような気がしたのだが、ひょっとしたら気のせいかもしれない。
狭いベッドの上で大あくびをし、小さな窓から外を見る。うっすらと明るくなり始めた空が見えた。どうやらもうじき夜が開けるらしい。
「さて、どうしたものか」
昼過ぎに警察官がやってきて、殺人容疑で任意同行を求められた。有無を言わせぬ様子に、何が何でも連れて行く気だなと思い大人しく同行したのだが、警察に着くなり留置所に入れられた。
これ、法律的にどうなんだ?
まあいい。もはや人の範疇からはみ出た俺だ、いまさら人権なんて言うつもりはない。
ただ、留置所に入れられただけで取り調べが行われる気配がない。五人が行方不明になった事件だというのに、これはずいぶん悠長ではないだろうか?
何かの計画の一環か。
俺と零を引き離すのが目的なら、目的は達成した。ならきっと屋敷で騒ぎが起きてるだろう。問題は、これが零の計画なのか、それとも零と敵対する奴らの計画なのか、というところだ。
「わからん」
はっはっは。難しいことを考えるのはキライだ。そういうことは零に任せよう。まあ、あいつも結構行き当たりばったりだから、頭がいい奴が本気で考えたらすぐに策略にハマるだろうがな。
俺は考えるのをやめ、起き上がって背伸びをした。
ずっと寝てたから体のあちこちが固まっている。ちょいとストレッチでもして、体をほぐすとしよう。
リィーン、とまた鈴の音が聞こえた。
「気のせい……じゃねえな」
鈴の音。はて、ご先祖様から何やら大事なことを伝えられていた気がするが……なんだっけ。
うん、思い出せない。
思い出せないってことは、大したことではないということか。気にはなるが、問題が起こったときに対処すればいい。ま、なんとかなるさ。
『呑気な奴よ』
ストレッチを再開したところでそんな声が聞こえた。王子様の声、という感じのなかなかのイケボ。きっと面もイケメンに違いない。
気に食わねえ。イケメンなんざ爆発しろ。
「誰だ、テメェ?」
返事はない。ただのシカバネか?
リィーン。
また鈴の音が聞こえた。この鈴の音は……ヤバイ。全身がゾワゾワして鳥肌が立ってくる。もう三度も聞いちまった。俺、取り込まれたかな?
『ミトロビッチ。三代目一寸法師よ』
好きでなったわけじゃねえけどな。
リィーン。
また鈴の音が聞こえた。意識がぐらつく。これで四度目。そろそろマジでやばいかな?
『数多の戦いをくぐり抜けた、勇者よ』
……あ、やべえ。まじやべえ。勇者と呼ばれて喜んじまってる俺がいるぜ。
はっはぁ、俺、このままじゃ敵の手に落ちるな。
「ふんがっ!」
俺は腰を落とし気合いを入れると、右足を高々と上げた。
ズダァンッ、と全力で四股を踏む。
鈴の音に乗って押し寄せていた力が押し戻され、俺の頭が少し晴れた。だが、完全に押し戻すことはできない。
おいおい、こいつぁやべぇぞ。並の相手じゃねえ。
『ほう、やるではないか』
「誰だ、てめえ」
返事の代わりに、鈴の音がした。
リィィィィィーン!
「ぐっ……」
並の相手じゃない奴が、マジの攻撃を仕掛けてきた。
俺は全力で鈴の音に抵抗したが、脳みそをガンガン揺さぶられてあっというまにラリッちまった。
『これも耐えたか。さすがさすが』
「い……いい加減、名乗り、やがれ……」
『この半年……様子がおかしいと思っていたのではないかな?』
なんのことだ? 零のことか?
ああ、確かにおかしいと思ってたよ。この半年のあいつは、どうにかなっちまってた。まるっきり女の子になって、俺にベタベタ甘えてきて。めちゃくちゃ可愛いし、そのうえ隠れ巨乳のナイスバディなんだけど、なーんか違うんだよな。
何かを企んでいるのか、それともヤラカシたのか、俺にはわかんねえ。
リィーン。
鈴の音に意識がぶれる。心がざわつく。俺の心の一番奥の柔らかいところを、鈴の音がえぐっていく。やべえ、こいつマジでやべえ。人の心を操る術を使いやがる。俺、単純だからこういう奴はチョー苦手。
『小人族の末裔にして鬼から生まれ、人に育てられた男よ』
ああん? 勝手に人の過去を暴いてんじゃねえよ。てめえ、ぶっとばすぞ?
『使命を果たす時が来たぞ』
鈴が鳴る。俺は抗う。畳み掛けられ、よろめき、それでも抗う俺を、鈴の音が笑う。
『悪霊が、見境なしに暴れ出している』
このままでは人が食われる。
神を食らう悪霊が人に仇なす時が来た。
三代目一寸法師よ、今こそ先祖より受継ぎし力で、己の使命を果たせ。
「ぐっ……がっ……」
鈴の音とともに何者かの声が頭に響く。その声は甘い音となって心に染み込んでくる。
ちくしょうが。どうあっても俺に零を退治させたいか。
自分でやれよ。
俺が全力で邪魔してやるからよ!
リィーン。
短く、だけどひときわ強く鈴の音が響く。
そのときになって、俺はようやく思い出した。
「ミト。忘れてはいけないよ」
自身もまた、神を凌ぐ鬼だった母の言葉が蘇る。
「鈴丸。鈴の音を操る鬼の名よ。あれは次元が違う。いつかきっとお前の前に現れる。恐ろしく澄んだ鈴の音が聞こえたら、一切の油断を捨て、最初から全力で戦いなさい」
はっはっは、すまねえお袋、いまわの際の遺言だってのに、忘れてたぜ。七千年はちと長すぎたわ。
「ち……くしょうがぁっ、てめえ、後で泣かしてやるからなぁぁぁっ!」
俺の心を鈴の音が満たす。俺が消えていく。ああだめだ、もう耐えられねえ。
零……零!
てめえ、俺が正気に戻るまで、俺に殺されるんじゃねえぞ!
「ぬ……おぉぉぉぉぉっ!」
──絶叫と。
────混乱の末。
──────俺は目覚める。
ああ……なんだか、生まれ変わったようにすっきりしたぜ。
三代目一寸法師、ミトロビッチ。鬼の天敵小人族の末裔にして、鬼の母から生まれた男。
全開バリバリ、今なら神様だって倒してやるぜ。
『さあ、ゆけ。神を食らい、人を食らわんとするあの悪霊を、今こそ倒せ』
ああ、いいぜ、それが俺の使命だからな。
この打出の小槌で、悪霊をボコボコにして、この世から消し去ってやるぜ!




