90 第二の楓機構
私は、死んだ──────そう思った。
ココココッ、と音が響く。
私の中に何か不思議な力が生まれ、破裂した心臓があっという間に修復されていく。
それだけじゃない。
生まれた力が、私の中を食い潰す闇を押し返した。食われて失われたものが次々と修復される。押し入ろうとする闇を押し返し、押し出し、胸に空いた穴を塞いでいく。
ココココッ、と音が響く。
やがて全てを修復し終えた私は、体に満ちた力に押し上げられるように体を起こし、立ち上がった。
「お前……」
修復を終え、立ち上がった私を見て零が険しい顔になる。
ココココッ、と音が響く。
響くたびに、修復を終えた私の体がボロボロと崩れ、そして蘇っていく。
「ふ……ふふふ……あはははっ、何その顔。キレイな顔が台無しよ」
笑いがこみ上げてくる。零の顔が驚愕に歪む。勝ちを確信していたその顔の歪みっぷりがおかしくてたまらない。
「楓……機構?」
零が呆然とつぶやく。信じられない、という顔で目を見開く。
なんて気持ちいいのだろう。あなたのその顔が見たかった。その顔を見るために、私は十万年の時を超えたのだ。
「いい顔ね」
ボロボロと私の外側が崩れ始めた。
神崎直美。素粒子を研究する、とある地方大学の准教授。その姿が剥がれ落ちていく。四十年近くかぶってきた仮面が剥がれ落ち、本当の私がむき出しになる。
「会いたかったわ……本当に、会いたかったわ」
ココココッ、と音が響き、頭の中の霧が晴れていく。
ああ、思い出した。
神子・楓。
それが私の、本当の名前だ。
「私のこと、覚えてる?」
「……ああ」
私の問いに、零が忌々しげに答える。
ええそうでしょう、忘れようがないわよね。だって私はあなただもの。あなたのコピー、あなたの代替品。本体に何かあればすぐに取り替えられる予備の部品。
だけどかつての私は部品だった。いくらでも替えのきくもの、壊れたらまた作ればいいもの。同じ人形なのに、私と零との間には決定的な違いがあった。
楓機構。
無限の力生み出す、初代一寸法師が作り出したもの。神々ですらその原理を解明できず、まねて作ることすらできなかった。
だけど今は、私にもある。
楓機構さえあれば、私はもう部品じゃない。あの時のようにむざむざ殺されたりしない。
「……どういう、ことだ」
「簡単よ。娘の旅立ちを見送れなかった恨みを晴らすため、神が悪霊退治に力を貸した。それだけのこと」
「へえ……」
どろり、とした闇が零からあふれた。
私は手を組み、祈りを高める。
「あなたにわかる? 我が子の巣立ちを見送れなかった、親の悲しみが」
あの時、ほんの数日待ってさえくれれば、私は大人しく滅びてやったというのに。それなのにこの人形は、恨みのままに私を殺した。
どれだけ口惜しかっただろう。罪の意識など、あの時の口惜しさで吹き飛んだ。
「知るかよ」
零が忌々しそうに舌打ちし、手を振った。
あふれた闇が私に襲いかかってくる。
私はそれを、高めた祈りを周囲に張り巡らせて打ち払う。
「ちっ……神子の祈りか……」
「無駄よ。あなたと違って、私はきちんと神子の修行をしたもの」
「偉そうに」
零がさらに闇を生み出す。
「たかが二十年かそこらの修行で、僕の呪いを打ち払えるものか!」
零が生み出す闇が、次々と私に襲いかかってくる。私は祈りの力でそれを打ち払いながら、じりじりと零との間合いを詰めていく。
「打ち払って……みせるわ!」
だん、と私は床を蹴り、一気に零との距離を縮めた。
懐に飛び込んだ私をとらえようと、零の両手が左右から迫る。私はそれをすんでのところでかわすと、全体重をかけた拳を零の腹にめり込ませた。
「知ってた? 私……神崎直美は、空手の有段者よ?」
「て……てめぇっ!」
シュッ、と呼吸と共に二撃目を打ち込み、よろけたところで膝を入れた。容赦はしなかった。殺す気で蹴りを入れないと、こちらが危ういのだから。
「こ……の!」
「あらあら、情けないこと」
倒れた零を見下ろしながら、私は心から嘲笑を浮かべた。
「て……てめえっ!」
つい先ほどまで余裕綽々だったのに、怒りを募らせ、我を忘れていく。そんな零を見て、私は逆に落ち着きを取り戻していく。
「大人しく報いを受けなさい、悪霊」
「逆恨みも……いいところだろうがぁっ!」
零が激昂し、あふれた闇が濁流となって私に襲いかかってきた。
「僕を神に売って、取って代わったのはどこのどいつだぁっ!」
零が、ぶちり、と血管が切れる音が聞こえそうな顔になった。
ああ、気持ちがいい。
本当に気持ちがいい。あの時の恨みをようやく晴らせる時がきた。
「あなたが悪いのよ」
「ああん?」
「鬼を倒す使命を果たしもせず、何をするでもなく、ただ生きていただけのくせに。だから私が有意義な人生を送ってあげたのよ」
「ふざけるなぁっ!」
私の安い挑発に、さらに冷静さを失う零。怒りのままに闇をあふれさせ、部屋の中を、屋敷の中を闇で満たしていく。
「僕が、生まれた時には! 鬼なんて、いなかっただろうが!」
「なら滅びればよかったのよ。それに抗ったのはあなた」
私の言葉に闇が荒れ狂う。私を飲み込もうと押し寄せてくるけれど、私の祈りに阻まれて押し返されていく。
「き、さ、ま……」
「だったら私も、好きにさせてもらっていいでしょ」
あと一押し。あと一押しで、零はキレる。そうなればこっちのもの。
「だから好きにさせてもらったのよ。ふふ、幸せだったわ。女になって、そして隼人の妻になれて」
「……黙れ」
「隼人、女になった私を、無我夢中で愛してくれたわ」
「……黙れ、と言ってる」
「ねえ知ってる? 愛する人の子を身ごもった時の喜び。ふふ、あなたには決して味わえないものよね」
「黙れと……言ってるだろうがぁぁぁっ!」
零の絶叫とともに、あふれた闇がついに屋敷の外に漏れ出した。
「くっ……」
「一度は死んだ……ただの部品がぁ!」
「死ぬこともできない、土人形の成れの果てが!」
私の言葉に応えるように、零の体から鉄砲水のような勢いで闇があふれた。
窓を割り、壁を突き破り、屋敷からあふれ出した闇は、そのまま庭へ流れ出す。
私は祈りで身を守りつつ、闇に流されて庭に出た。
すでに空は明るく、日が登ろうとしている。朝のジョギング、犬の散歩、そんな人たちがあふれた闇を見て悲鳴を上げた。
「逃げるなぁぁっ! 引き裂いてやるからそこにいろぉぉっ!」
零が、庭に立つ私を見下ろしながら叫ぶ。挑発したとはいえ、こうも簡単に冷静さを失うとは驚きだ。もはや悪霊を超え、怨霊と化しつつある零。私の祈りで打ち払うのは難しいかもしれない。
だけど、これでいい。
「あなた、終わりね」
「なにがだぁぁっ!」
「神様から逃げてたんでしょ? コソコソ闇を這いずってたのに、自分から光の中に出てきちゃったのよ?」
眉をひそめる零を見て、私は「ククッ」と笑う。
そう、零がいつも笑っているように。
「ジ・エンド、だよ」
口調も男の子のように、そっけなく。
だって私はアレの分身だった。もう繋がりは断たれたけれど、教えてもらえさえすれば、この程度のモノマネは簡単だ。
私は零のように笑い、祈りを高め……そして、数秒後には二十歳の頃の姿に変化した。これでもう、私と零は見分けがつかない。
「さて、そろそろ来る頃だね」
「……何がだ?」
「もちろん、悪霊退治の専門家さ」
いぶかしげな零に向かって私は笑う。
「三代目一寸法師、ミトロビッチ。悪霊を倒す使命をもって生まれた、小人族の末裔だよ」




