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84 招待

 高松発東京行きの寝台列車。零はその列車の中で、宮田祐一に抱かれたという。


 「祐一さんの物理学のお話が楽しくて……前の晩からずっと色々聞いていて、それで、その日も、遅くまでお話ししていて……」


 大阪駅を出て、「次は静岡まで止まらないね」なんて会話をした後、抱き締められてキスをした。その後はずっと、それこそ静岡駅に着くまで、狭いベッドで愛し合っていたという。


 「私は、横浜駅で降りました。その……主人の家が、横浜にありましたので……」

 「は? 主人?」


 絶句する私に、零はおずおずと言葉を続けた。

 零はドバイに住む男の第四夫人だという。金で売られた身、第一夫人に蔑まれ、第二、第三夫人にはやっかまれ、愛されることなくただひたすら愛玩されるだけの毎日。

 そんな毎日に耐え切れず、夫に連れられて日本に来たのを機に、ミトと逃げたそうだ。

 追い詰められ、ミトとはぐれたのが京都。宮田祐一に会い二泊三日の小旅行をしたものの、これ以上は逃げられぬと観念し、宮田祐一とともに夫の家へ戻ることにした。

 その途中で、思い出として宮田祐一に抱かれた。

 その後、家に帰った零は夫に厳しく叱責され、翌日には和歌山にある別宅に連れて行かれ軟禁されたそうだ。


 この子、どれだけてんこ盛りなのか、と呆れてしまう。


 だが、零が警察に捕まらなかった理由がわかった。

 零の国籍はドバイ。あの大邸宅を見れば、夫は結構な有力者だとわかる。ひょっとしたら警察なり政治家なりに顔が効くのかもしれない。世間の耳目を集めた猟奇殺人事件の重要参考人となった妻、零を隠すため、和歌山にある別宅に軟禁し、ほとぼりが冷めるのを待ったのだろう。


 「私、どうして和歌山に閉じ込められたのか、わからなかったのですが……そういうことでしたか」


 別宅ではテレビもネットも禁じられていたそうだ。そうして軟禁されていた彼女が呼び戻されたのが一月。そのとき、私が空港で彼女に偶然会った。


 きれいにつながった。


 一体私は何に巻き込まれたのかと頭が痛くなった。興味本位で聞くんじゃなかった、本を返してそれでおしまいにすべきだった。


 「そうですか……祐一さん、お亡くなりに……」


 もう一度会いたかった、とつぶやき、涙をこぼした零。

 零が「宮田」の姓を名乗っているのは、祐一に対する未練か。

 虫唾が走る。

 たかが人形が何を悲劇のヒロインぶっているのか、と平手打ちをくらわしてやりたいと思ったが、かろうじてこらえた。


 「聞かなかったことにするから」


 私はため息と共に、ぬるくなったコーヒーを飲んだ。


 「私は何も知らない。あなたも何も話さなかった。それでいいわね?」

 「……はい。ご迷惑をおかけし……申し訳ありません」


 零は深々と頭を下げた。

 それで話は終わりと思ったが、零は「こんな状況でお渡ししにくいのですが……」と鞄から封筒を差し出した。


 「ミトが……先日、ご迷惑をおかけしたお詫びに、お食事に招待したいと……」


 今日の本来の目的はこれだったらしい。

 さて、どうしたものか。

 断るべきとわかっている。だが、この状況であえて出してくるのだ、断っても粘られそうだ。何か良い理由はないか、と考えたがすぐには思いつかない。


 「少し、考えさせていただけますか? いろいろ予定も立て込んでおりますし」


 とりあえず時間を稼ぎ、善後策を考えることにした。「三日以内に連絡する」と付け加えれば、ここで粘られる心配もないだろう。


 「はい……では、こちらに連絡をいただけますか?」


 零は鞄からメモ帳を取り出すと、一枚破り、電話番号を書いて渡した。

 私はそれを受け取り、ふうん、とうなずいて机に置く。


 腹が立つぐらい、美しい筆跡だった。


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