83 追求
零の屋敷での騒ぎから一週間ほどたった昼下がり。
私が勤める大学で、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
「ものすごい美少女がいる」
「あれなに、アイドルか何か?」
男子学生はもちろん、女子学生も大騒ぎだ。「かわいすぎる」「お姫様みたい」と大騒ぎする学生たちの声を聞いて、私は「まさかね」と眉をひそめた。
残念ながら、そのまさかだった。
「あ、神崎先生。お客様です」
事務員の若い男に連れられた零が、私の研究室前にいた。黒いリボンに白いレースのワンピースに高いヒールの靴。肌が透けて見えるというのに、いやらしさはまったくなく上品。結婚式にでも呼ばれているのかというコーデだけど、おそらくこれが普段着なのだろう。
私を見て、零は丁寧に一礼した。
まったくめんどくさい、と思ったが、零から敵意は感じない。やむなく私は零を研究室に招き入れた。
「ごめんなさい、少し席を外してくれる?」
手伝いを頼んでいた院生二人に出て行ってもらい、私は研究室奥のソファーで零と向かい合って座った。
「先日は……失礼しました」
零が、震える声で謝罪した後、深々と頭を下げた。
「あの後、事情を聞きまして……その、ミトに、すごく怒られました」
「そう」
自発的に、ではなく、男に叱られたから来たわけね、と思ったが、もちろん口には出さなかった。
「それから……本を、お預かりいただいていたと。返していただき、本当にありがとうございました」
本? と首をかしげかけて、すぐに「ああ」と思い至った。
『物理学概論』。裏表紙に、宮田祐一の名が書かれていた古い本。そもそもはあれを返しに行ったのだった。
「とても大切な本だったので……戻ってきて、本当に嬉しかった」
零がマグカップを手に取り、インスタントコーヒーを口に含んだ。いつも飲んでいるものとは大違いだろうに、マズそうな色は微塵も見せなかった。
「ひとつ、聞いていい?」
「なんでしょう?」
「あなた、宮田くんとどういう関係?」
私の問いに、零は何度か瞬きをし、みるみる頰を赤く染めていった。
そのあまりの色っぽさに、私は絶句する。
こういうのを「メスの顔」というのだろう。まったくこの女は、と憎々しくさえ思った。
「祐一さん……あ、いえ、その……宮田さんは……」
「私は宮田くんとは一時期同僚だったの。まあ、それ以上の関係はないけど」
上目遣いに言葉を紡ぐ零にそう言うと、零は「そうだったんですか」と驚いた顔をした。
「そう、知り合いなのね」
「はい……去年の夏、京都で会いました。ミトとはぐれて、迷っていた私を助けてくださって……その、物理学のこととか、色々と教えていただきまして……」
色々ねえ、と私は心の中で毒づく。「色々」の中身はさて何か。下衆だとは思うが、勘繰りたくなってしまう。
ん、去年の……夏?
「宮田くんとは、どれぐらい一緒にいたの?」
「え? 三日、ですが」
京都で出会い、彼と共に高松へ行って一日過ごし、次の日にお別れした。
二泊三日の小旅行。ミトとはぐれ、一人心細くしていたところへ、どことなくミトに似ている宮田くんに会い、ついつい甘えてしまった、という。確かに宮田くんも大柄な人だった。根っからのお人好しだから、可憐な美少女に頼られて張り切ったのだろう。
「寝たの?」
私がズバリと聞くと、零は「あうう」と口ごもり、真っ赤な顔をしてうつむいた。
「ミ……ミトは……もう、死んでしまったと思っていて……それで、心細くて心細くて……ごめんなさい……」
ミトが死んだ。そう思うような事態に興味はあったが、あまり深入りしないほうがよさそうだと思い直し、それには触れないでおくことにした。
「別に悪いことじゃないでしょ」
「で、でも……会って、二日でなんて……その……はしたない……ですよね……」
「ちなみに、どこで抱かれたの?」
「えっ!?」
私の踏み込んだ質問に、零は驚いて声を上げた。
「そ、それは……」
「答えて」
「あ、あの、どうして……」
「宮田くん、去年の夏に死んだのよ」
私の言葉に、零は「は?」と目を丸くして絶句した。
「え……死んだ? え、うそ……」
「電車の中で、死体で見つかったの。そして、直前まで一緒に行動していたと思われる若い女性が行方不明になってる。その女性、あなたでなくて?」




