74 お屋敷の怪
公園を出てすぐ私はよろめき、崩れ落ちた。
「なんか疲れることしたのかぁ?」
ミトと名乗った大男は、「ケケケ」とさも可笑しそうに笑った。私が「ちょっとね」と答えると、「そりゃ仕方ねえな」と私を軽々と背負い、軽快な足取りで夜道を歩いた。
ユラユラと揺れながら、ミトの大きな背中で目を閉じた。
あの日、空港で見たときに背負っていたのはあの美少女。その位置に自分がいる、というのはなんだか気分がいい。
目を閉じていると、ココココッ、と音が聞こえてくる。この音はなんなのだろう。普段は気にならないのに、時折ひどく大きく聞こえる時があった。
「おうい、着いたぜ」
いつの間にか眠っていた私は、ミトの声で目を覚ました。
「あ、ごめんなさい……つい……」
謝りつつ正面を見て、私は息を呑んだ。
まさに「お屋敷」だった。私が住んでいるような、二階建ての一般的なアパートなら五、六軒は建つんじゃないかという敷地に、白い壁の大きなお屋敷が建っていた。門から玄関までは石畳で舗装された道があり、左右には玄関まで続く薔薇の花壇。並大抵の稼ぎじゃ、こんな家は建てられない。
「す、すごい家なのね」
「ああ。ま、俺の家じゃないけどな」
ではあの美少女の家なのだろうか。あの若さで、こんな家を建てられるような財産があるのだろうか。いや、財産があるのはきっと彼女の両親だろう。
あんな小娘に、自分で稼ぐ力などあるものか。
「わり、降りてくれるか?」
私はミトの背中から降ろされた。
ミトが鍵を開け、私を家に招き入れた。扉をくぐると薄暗い玄関ホールだった。闇が満ちていてよく見えないが、かなり広いようだ。
「お?」
パチリ、とミトが電気をつけたようだけど、玄関ホールは暗いままだった。ミトが不思議そうに何度かスイッチを入れたり切ったりした。
「壊れたか?」
おかしいな、とミトが首をかしげて天井を見た。私もミトにつられて天井へ視線を向けた。
ぞわり、と背中に寒気を感じた。
闇に紛れて何も見えない。だけど、そこに何かいると感じた。
「え?」
ドロリ、と天井から何かが垂れてきた。真っ黒で、深い闇の塊のようなものだ。その闇の中にある目が私をとらえ、ニタリと笑ったように思えた。
「ひっ……」
ボタッ、ボタッ、と床に落ちた闇の塊が、ゾロリゾロリと這いよってくる。私は恐怖のあまり身をすくませ、その場で金縛りになった。
身動きできない。闇に魅入られ、指ひとつ動かすことができない。
闇の目が細くなり、私の足元へやってくる。嫌だ、来ないで、と叫びたいのに声が出ない。
闇が鎌首をもたげ、私の足へ喰らいつこうとした。
その矢先に、パァンッ、とミトが思い切り両手を叩いた。
音が響いたと同時に、闇がザァッと引き下がっていく。あっという間に闇が晴れ、柔らかい暖色の光が玄関ホールを満たした。
「な……な……」
私は腰が抜けてへたり込んだ。冷たい床の感触と恐怖で身震いがする。
「ダイジョブ?」
「な、なんなの、あれ、なんなの!?」
「んー? あれか? あれは……」
ミトが腕組みをし、数秒後にポンと手を叩いた。
「マックロケイスケだ」
「……は?」
「あれ、コロスケ? クロスケ?」
あのね、と文句を言いたくなる。アニメなんて見ない私でも知ってるキャラクターだ。確かあれは、もっと可愛い、黒くて丸い妖怪だったはず。
「ま、気にするな。気にしたら負けだ」
「ふざけないで!」
冗談じゃない、と思った。あの闇の視線を思い出すと悪寒が走る。間違いなく私を狙っていた。一体何が目的かはわからないけど、ここにいてはいけないと思った。
すぐにここを出ようと思った。だけど、腰が抜けていて立ち上がれない。
「ミト、どうしたの?」
鈴の音が鳴るような、美しい声が聞こえた。
その声に、私の心臓がドクンと跳ねた。
「こんな夜中に……お客様?」
玄関ホール奥の階段の上。ネグリジェにナイトガウンを羽織った美少女が、静かな眼差しで私を見下ろしていた。




