68 神の手の平
少し考えれば分かることだ、僕が女になったのは女の脳を食ったからではない。こんなことができるのは、神だけだ。
記憶をほじくり返され、体を女にされ、ミトがガチで僕に欲情するもんだから、さすがに僕も冷静さを失っていたらしい。落ち着いて考えればすぐ分かることだ。まったく、自分が情けない。
頼んだコーヒーが運ばれてきたので、僕はそれに口をつけた。ふむ、空港のレストランにしてはなかなかおいしい。
「ん。おいし」
「うほ。なんかこう、仕草が可愛らしくなったなあ。キュンキュンきちゃうぜ」
「……お前、ぶっとばすよ?」
コノヤロウ。これまで散々誘惑しても眉ひとつ動かさなかったくせに、女の体になっただけでこれか。なんかムカつく。ミトのくせに。
にしても、大きめの白のニットにフレアのロングスカートって、ずいぶんフェミニンな格好だな。ブラジャーというのも窮屈で居心地が悪い。かといって着けないと揺れて疲れるし。ああもう、せめてスカートじゃなくてパンツならよかったのに。なんかこう、落ち着かない。
「いいじゃねえか、すっげえ似合ってるし」
「うれしくない」
十万年も男として生きてきたんだぞ、いまさら女の格好が似合うと言われて喜べるもんか。
……くそ、桔梗に女の格好させられたこと思い出したじゃないか。忌々しい。
「で、結局お前が食ったあの女は、神の罠、てことでいいのか?」
「そうだろうね」
「いやはや、あっさりひっかかったなあ、おい!」
ちくしょう、何も言い返せない。ああもう、こいつに言われると腹が立つ!
歯ぎしりする僕を横目に、ミトはウェイトレスを呼んで「ぱんだカレーもうひとつ!」と追加注文した。おい、またそれか? もう五皿目だぞ? 別に南紀白浜空港の名物ってわけじゃないと思うぞ?
「それで、どうするんだ、これから」
「どうもこうも……予定通り、東京へ行くよ」
「予定通り、ねえ」
何か言いたげな顔のミトに、僕はむくれながらコーヒーカップを手に取った。
こいつが言いたいことはわかる。
予定通りなら、僕とミトはとっくに東京についているはずだった。だけど、意気揚々と乗り込んだ新幹線の中は「敵」の巣窟で、走り出すと同時に僕とミトは乗客に扮していた神の手下に襲われた。打出の小槌を振り回して無双しているミトとは対照的に、僕はフルボッコにされてせっかく取り戻しつつあった力をまた失った。
失った力を取り戻すため、僕はミトに頼んで三段壁へ連れて行ってもらった。そこで身を投げた亡者どもの思念を取り込めば力を取り戻せるだろうとの考えだったが……結果はこの通り。
ちくしょう……我ながら情けなさすぎる。
「なあ零」
「なんだよ?」
「俺ら、最初から神の手の平の上で踊らされてたんじゃね?」
「言うな」
わかってる。みなまで言うな、ここまでくれば、どんなバカでもわかる。ちくしょう、ドバイの金持ちドラ息子だまくらかして豪勢な隠居生活してたのに。ドラ息子が「日本へ行こう」なんて言って、のこのこついてきたのが運の尽きだった。あのドラ息子、きっと神に洗脳でもされていたのだろう。
「あちらさん、お前を引きずり出してどうしたいんだ?」
「決まってる」
僕はため息をつき、コーヒーカップを置いた。
「楓機構。こいつをフル稼働させたいんだろ」
僕の体に組み込まれた、無尽蔵のエネルギーを生む仕組み。そのエネルギーは神にとって至高の逸品であると同時に、麻薬のような毒薬でもある。かつてはそれをジャブジャブ生み出して神を狂わせてきた。
だけど、ホモ・サピエンスの隆盛に伴い概念神が生まれると、そいつらがハエのようにたかってきた。あまりにもうっとおしくて、二千年前に僕は楓機構を凍結させた。以後、滅びないために最低限しか動かしていない。
「お前の力は、神にとって毒なんだろ? そんなもの、なんで欲しいんだ?」
「相手が並の神ならそうだけどね」
薬も過ぎれば毒になると言うが、逆に言えば、毒も適切に使えば薬になる。力がある神にとっては、適切に摂る分には僕の力も薬になるのだろう。
ちくしょう、まさに「生薬」じゃないか。僕を捕まえて永遠に薬の材料にでもするつもりか? 冗談じゃない。
「お待たせしました」
五皿目の「ぱんだカレー」が運ばれてきた。僕は素早くスプーンをかっさらうと、パンダの顔を崩して一口カレーを食べる。
……うん、普通のカレーだな。
「あ、てめ、俺のカレーだぞ!」
「うふふ。ほら、食べさせてあげる」
僕はカレーをひとすくいすると、とびきりの笑顔を浮かべて「はい、あーん♪」とスプーンをミトに差し出した。
「わお! あーん♪」
情けない顔になったミトが、嬉しそうに口を開ける。僕はその口にスプーンを突っ込み……そのままぐいと押し込んでミトの喉の奥に突き立てた。
「……いい加減、浮かれたふりやめて、お前が見た神のことを話せ」
でないと、このまま喉に突き刺すぞ。
僕が低い声で言うと、ミトは「降参」と言わんばかりに両手を上げてうなずいた。




