62 人形・楓 六
「悪霊だ!」
神域の端、人の世界と隔てる柵をよじ登った時、そんな声が聞こえた。
監視小屋の中から兵と神官が飛び出してくると、弓を構え、柵にしがみついている僕に向かって一斉に矢を放ってきた。
「違う、僕は悪霊じゃない! 話を聞いてくれ!」
僕の声は、無数の矢の音でかき消された。いくつもの矢を体に受け、それでも柵を乗り越えたけれど、槍を構えた兵に取り囲まれ、あっけなく取り押さえられた。
「違う、僕は神子だ。神子の楓だ。話を聞いてくれ」
「何を戯言を」
年配の兵が僕の言葉を鼻で笑い、手にした槍でしたたかに僕を打った。
「神子様は町にいらっしゃる。すぐバレるような嘘を口にするな」
「二十年前、神子様の姿をした悪霊が出たと聞いています」
兵の後ろから若い神官が現れた。
「その悪霊、神子様によく似ておられます。きっと生き残りの悪霊でしょう」
「違う、そうじゃない! 僕が本物で、町にいるのが偽物だ!」
僕は必死で訴えた。本当のことだ。だけど兵も神官も「戯言を」と嘲笑うだけで、聞く耳を持ってくれなかった。
捕らえられ、何重にも縄で縛られ、さるぐつわまで咬まされ、監視小屋の一室に閉じ込められた。
「ちくしょう……ちくしょう……」
体から矢は抜かれていたけれど、手当はぞんざいで血が止まらなかった。ズクズクとした痛みに眠ることもできず、やがて体が震え出し寒くてたまらなくなった。
隼人に会いたい。
一目でいいから会いたい。
死ねというのなら死ぬから、だからせめて一目だけでも、隼人に会いたい。
ガタガタと体の震えが止まらない。いつもなら始まるあの鼓動が聞こえず、僕の体は傷ついたまま直る気配がない。
楓機構は止まった。
僕はそれを実感した。このまま僕は死ぬのか、そんなの嫌だ、と思った。
「隼人……」
あんなにも死を望んでいたのに、隼人のことを思うだけで僕は死にたくなくなった。
隼人、隼人、隼人。
僕を愛してくれた人。僕が愛した人。僕に生きる理由と意味を与えてくれた人。
だけどもう、隼人は彼女のものだ。わかってる、二十年も見続けてきたのだ、もうわかっている。会えばわかってくれる、そんなのは僕の願望でしかない。
隼人は彼女を愛し、子まで成した。彼女と共に過ごした時間は、もう僕より長い。たとえ僕が本物だとわかってくれても、僕をかつてのように愛してはくれない。
だけど僕は、隼人に会いたい。
隼人がいたから、僕は生きてこられた。だからもう一度だけ会いたい。それが最期で、僕を悪霊として断罪するのが隼人でもいい。だからもう一度だけ。もう一度だけでいいから、隼人に会わせてほしい。
それで全部あきらめて、僕は土塊に還るから。
──そんな僕の願いは、叶えられることはなかった。
翌朝、全身を縄で縛られたまま、僕は神域の柵の中に投げ込まれ、打ち捨てられた。
「神の裁きを受け、滅びるがいい」
神が滅んだことを知らない神官は、高らかにそう告げると立ち去った。
お願い……最期に、隼人に一目……
消えていく意識の中、僕は、ただそれだけを願った。
だけど、僕の祈りを聞き届けてくれる者は、ついに現れなかった。




