50 神子・楓 弐
三体の神の一体より、助力するとの神託が降りた。案外あっさり承知してくれたな、と思いはしたが、おかしいとは思わなかった。神の力を身に宿した神子なんてこの近隣にいたことはない。だから、何が正しくて何がおかしいかなんてわかるはずがなかった。
冬至の三日前、僕は護衛数十名を従えて禁忌の森へ出発した。
「くれぐれも、無理はなさらずに」
神官長は、出発直前まで僕に神子としてのあれこれを指導してくれた。彼が僕をどう思っているのかはわからないが、神官の仕事に真面目に取り組んでいるのだけはわかった。何も知らない僕に根気よく丁寧に祈りを教えてくれ、その真摯な態度を感じて、僕も素直に教えを受けることができた。
当日も心配を隠しきれない顔で僕を見送った。僕は彼に礼を言い、隼人の結婚式のことを頼んで町を出発した。
「隼人様が、お見送りです」
町の出口で、護衛の一人が囁いた。横目でそちらを見ると、かなり遠くに桔梗と並んで僕を見送る隼人の姿が見えた。僕の前に二度と現れるな、という命令はまだ生きている。それでもこうして見送ろうとしてくれたことは嬉しかった。
僕は、生まれて初めて輿なんてものに乘って移動した。
自分で馬に乗って行くつもりだったけど、「とんでもない」と神官一同に反対された。頼むから恥をかかせないでくれと懇願され、渋々輿に乗ることを了承した。
僕の乗り心地を考慮してか、のんびりとした歩調で一行は進んだ。禁忌の森近くの監視小屋に着いたのは日が暮れる直前。僕は輿を降り、きれいに掃除され調度も整えられた小屋で夜を過ごした。
小屋の中に天幕を張り、僕はそこで眠ったものの、人の気配を感じてなかなか寝付けなかった。こんなふうに誰かが近くにいる中で寝るのはいつ以来だろうと考え、それが隼人とこの小屋で寝たとき以来と思い至ると、甘くて苦い思いが胸いっぱいに広がった。
ああもう、寝なきゃいけないのに。
あの夜のことを鮮明に思い出し、僕の全身が火照った。あの日は隼人と一年ぶりに会えたせいで、僕は歯止めが効かなかった。その上、僕はこのまま死んでもいい、とも思っていたから、よけいに隼人が愛しかった。
今僕の頭の中を見られたら、同行しているみんながドン引きだ。
そう思うと死ぬほど恥ずかしくなり、だけどそれは甘美な思いを伴っていて、僕の体はどんどん火照っていき、完全に眠気が吹き飛んだ。
「ああもう!」
僕は思わず声をあげてしまった。天幕のそばで控えていた神官が「どうしました?」と声をかけてきて、僕は慌てて「なんでもない」と答えた。
寝ようとまた目を閉じたけど、悶々として寝られそうになかった。僕は仕方なく起き上がり、天幕を出た。
「神子様?」
「ちょっと、目が冴えちゃって……外の空気吸ってくる」
お供しようとする神官を丁重に断って、僕は小屋を出た。「ちょっとだけ一人になりたいから」と警備の兵にも声をかけ、少し離れた場所にある岩に向かった。
「さむ……」
その岩の陰に隠れ、僕はしゃがんで膝を抱えた。
隼人、何してるのかな。
冬の澄んだ空気に瞬く星を見ながら、隼人のことを考えた。二度と会わない、そう誓ったけれど、隼人が恋しくてたまらなくなるのは仕方ない。
「だって……僕、君が好きなんだよ……」
今頃桔梗と仲良くやってるのかな、ひょっとしたらあの夜みたいに、今夜は桔梗と愛し合ってるのかな。そんなことを考えたらぼろぼろと涙がこぼれた。
僕が女だったら、側女の一人としてお仕え出来たのかな、と思う。たとえ正式な妻にはなれなくても、年に数度の逢瀬しか叶わなくても、隼人を愛し、運が良ければ子供も産んで、ささやかでつつましやかな幸せを手に入れられていたかもしれない。
「桔梗が……うらやましい……」
僕は目を閉じた。言葉に出してはダメだとわかっていた。出せばどうしようもなく隼人への愛しさが募り、桔梗がうらやましくて妬ましくて、こうして泣いてしまうから。
だけど、とうとう言葉にしてしまった。
隼人のことが、好きで好きでたまらない。
この気持ちだけは、きっと、一生消えてはくれない。
二度と会わないと誓ったけれど、こうして、たまに君を想って泣くぐらいはいいよね。
「……はあ」
ひとしきり泣いて落ち着いた僕は、涙を拭って小屋に戻った。
すっかり体が冷えていたので白湯が欲しいとお願いしたら、「私物で恐縮ですが」と神官の一人がお酒を勧めてくれた。
「ありがと」
少し強めのお酒は冷えた僕の体を温めてくれた。たまには酔って寝るのも悪くないな、と思いつつ、僕は天幕に戻り、頭から毛布をかぶって眠りについた。




