34 一撃
少彦名命の狂喜の声は、まもなくうめき声になり、苦悶に満ちたものになった。
「ほい、もういいぞ」
大男が私の目から手をどけた。恐る恐る目を開けると、少彦名命が、零の上にまたがったままガタガタと震えていた。
零のお腹には、まだ杖が刺さったままだった。死んだのだろうかと思っていたら、零の両手が動いて杖を握り杖を腹から抜こうとし始めた。
ハラハラしながらしばらく見ていたが、杖は一向に抜けなかった。
「……見てないで手伝ってよ、ミト」
「黙って見てろ、て言われたしぃ」
「君は子供か! いいからこれ抜いてよ!」
へいへい、と大男はめんどくさそうに零へ近づくと、力任せに零の腹から杖を抜いた。
「うぐっ……もうちょっと優しくしてよ! 痛いじゃないか!」
「わがままなやっちゃなぁ」
「あーもう、セーター大穴あいちゃったよ」
「いや、杖刺される前にボロボロだったろ? 主にお前が弱いせいで」
「いちいち突っ込むな」
零は大男にむくれた顔を向けたのち、すぐそばでガタガタ震えている少彦名命を見てククッと笑った。
「だから言ったのに。君ごときに僕を食らうのは無理だよ」
「あ……あが……うがあ……」
「しかも欲深にがっついて……別天津神の五柱ですら、一日一掬いで酩酊してたんだよ?」
「あー、こいつもうダメだな、聞こえてない」
少彦名命の目はもう焦点が合っていなかった。大男が目の前で手を振って呼びかけても、何の反応も示さない。
「さてと。いいことを教えてあげる。僕が君たち神にとって極上の珍味なのと同様に……」
零が、ゾッとする顔になった。その手が静かに動き、震えている少彦名命の頭をつかむ。
「君のような新参者の神……概念神は、僕にとってとびきりのご馳走なんだよ」
その言葉が終わるや否や、大男が「零!」と叫び、杖を投げ捨てて身をかがめた。
「ぬぅぅぅんっ!」
どこから出したのか、瞬きした次の瞬間に大男は巨大な木槌を手にしていた。そして全身をばねのように跳ね上げ、巨大な木槌を下から上へ打ち上げるように振り抜いた。
「きゃっ!」
ドゴォォォンッ、と何か巨大なものを叩きつける音が響いた。その轟音に撃ち抜かれて私はよろめき、車椅子ごと倒れてしまった。
「……月読か」
「ああ、撃ってきやがった」
「はん、高みの見物するなら、最後まで手を出すなってんだよ」
忌々しそうに零が空を見上げた。大男も巨大な木槌を肩に担いで空を見上げる。
空には、西の空に傾き始めた満月が輝いていた。零は月から隠れるように大男の背後に隠れた。大男は何も言わず、黙って月を睨みつけていた。
長い時間が過ぎ、大男が、ふう、と大きく息を吐いた。
「どうやら、これ以上やる気はないらしい」
大男の手から木槌が一瞬で消えた。まるで手品みたいだった。あんな大きなもの、いったいどこにどう片付けたのだろうか。
「てことは……見捨てられたね、少彦名命」
零が、惚けた顔をした少彦名命を見て、ククッと笑う。
「では、僕が美味しくいただくとしよう。ちょうど力を失っているからね、いい滋養になる」
ああそれと、と零が冷たい口調で続ける。
「僕のことを若造とか言っていたけど、こちとらもう十万年は生きてる。せいぜい一万年そこらの君に、若造呼ばわりされるいわれはないからね」
「ほい、ここからまた有料放送」
大男が倒れていた私の前に座り、目をふさいだ。その直後に、「ではいただきます」という零の楽しそうな声が聞こえ、バキリ、と何かが折れる音と、がっつくような咀嚼音がした。
──何が起こっているのかを想像してしまい、私の意識は、そこで切れた。




