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24 兄

 冬の朝の寒さに震えて目を覚ました。布団も毛布もめくれていて、冷たい空気にさらされた私の体はすっかり冷えていた。


 キリキリ、と音がした。


 視線を向けると、横倒しになった車椅子を兄が厳しい顔で見ていた。懐中電灯の明かりを頼りに、車輪を回しては音がする箇所をのぞき込み、手にしたオイルスプレーを吹きかけている。

 時計を見るとまだ朝の五時半。日の出まで一時間以上あった。


 「兄さん」

 「……ああ、起こしたか。すまない」

 「どうしたの? まだ夜明け前よ?」


 私は震えながら毛布と布団をかぶった。

 昨夜、兄さんは久々に家に帰ってきた。久々の兄妹水入らずで、とても楽しいひと時を過ごした。学会の準備でまだ当分は忙しいらしいけど、週に一度ぐらいは早く帰ってきて話を聞かせて欲しいとお願いしたら「わかったよ」と言ってくれた。

 まあ、難しいだろうけど、約束してくれただけでも嬉しかった。

 兄さんとはひと回りも離れているけど、小さい頃からすごく可愛がってくれた。私が理系に進んだのも兄の影響だ。物理学を学び、大学院を出て研究者となった兄。私も数学者を志す者。専攻は違えどこの若さで成果を上げている兄を尊敬していた。

 そう、心から。心から、研究者として尊敬して……いる?


 「ちょっと気になってね。奏が寝ている間に見ておこうと思ったんだ」


 兄さんの声にハッとなった。


 「車椅子……どうかした?」

 「いや、倒れた時に車軸が曲がったのか、回ると音がしてね……これは一度修理してもらわないとダメかな?」

 「そうなの? この前、零が直してくれたんだけど……」

 「零……ああ、宮田さんか……」


 兄さんが口の右端だけを上げた笑みを浮かべた。あまり機嫌のよくない時の笑顔だった。


 「あの子は、いつまで家にいるんだい?」

 「え……それは、その……年末には家に帰ると言っているけど……」

 「受験の追い込み時期に、家政婦の真似事をしながら勉強なんて、感心しないね」

 「そ、それは、ほら、駅前の予備校に通ってて、ここから通う方が時間が節約できるから……」

 「ああ、そう言っていたね。しかし家事をしていたら同じだろう?」


 もっともなことを言った兄さんは、ベッドに近づいてくると、布団にくるまっている私の顔をのぞき込んだ。


 「奏。隠していることはないね?」

 「……ないよぉ」

 「信じていいね?」


 私が無言でうなずくと、兄さんは大きくため息をついて「年末にはちゃんと帰るように言っておきなさい」と私のおでこを軽く叩いた。


 「はぁい」


 私はうなずき、兄さんに叩かれたおでこに手を当てた。なんだかニヤけてしまう。

 目覚まし時計が午前六時を知らせた。兄さんは目覚ましを止めると、脱ぎ棄てていた服を手に取り、身支度を整えた。


 「今日の講義は午後からだったね?」

 「うん。私、もうちょっと寝る」

 「それじゃ先に行くよ。遅刻しないように」

 「はい、早間准教授」


 部屋を出て行った兄さんの足音が遠ざかっていく。私は目を閉じてそれを聞きながら、安堵のため息をついてまた眠りに落ちた。


 ──夢うつつに、兄さんと零の声が聞こえた。

 何を話しているのかはわからなかったけど、兄さんは零に対して何かひどいことを言っているようだった。


 零はククッと笑って、激昂する兄を冷ややかに見ている、そんな気がした。


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