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22 消えない音

 その日の午後は線形代数の講義だった。

 この授業、恐ろしく退屈だった。線形代数が嫌いというわけではない。担当教授の話し方が間延びしていて眠気を誘うのだ。午後一にこの教員の授業というのは苦行以外の何物でもなく、これでは数学科の生徒といえども数学が嫌いになってしまいそうだった。


 「まったく……」


 私はあくびを噛み殺しながら窓の外を見た。まもなく師走。ここ数日妙に寒い日が続いていてめっきり冬らしくなった。さすがに雪が降るということはないだろうけど、車椅子で移動する身としてはこの寒さは少々辛かった。


 あの藁人形、どうなったかな。


 私が藁人形を打ち付けに行った神社が、遠くに小さく見えた。住宅街にこんもりと盛り上がる小さな山。その中腹にある神社は、この辺に住む人の憩いの場であり、公園があるので子供達の遊び場でもある。あまり目立たないところに打ち付けたとはいえ、お正月に向けて大掃除でもすれば見つかってしまうだろう。


 やっぱり、取りに行こうかな。


 日が経つにつれ、藁人形を打ち付けたことを後悔した。せめてもっと遠くにある神社にすればよかったと思った。打ち付けた私につながるようなものはないはずだが、万が一ということもある。もしも見つかって、私や兄に疑いの目が向けられたらと思うと、気が気ではなかった。


 「そんな弱気で人を呪うなんて、無謀ですねえ」


 講義が終わると同時に迎えに来てくれた零に相談してみると、ククッと笑われた。


 「呪いが跳ね返されたらまともに食らいそうですね」

 「呪いなんてあるわけないでしょ」

 「あるわけないものに悩んでいるのは誰ですか?」


 零の反論に私は言葉を失う。

 呪いなんて非科学的だ。だが、それに頼ったのは私だ。


 「……ねえ、お礼するから、藁人形取ってきて、て言ったら……引き受けてくれる?」

 「その場合、お礼は体で払ってもらいますからね」

 「もっと数学教えろ、て事?」

 「いえいえ。二十二歳の女性が体で払う、一般的な意味でですよ」


 ぞくっと体が震えた。


 「……あんた、私なんかに興味ないと思ってたけど」

 「奏さん、もうちょっと自己評価高くていいと思いますよ」


 零はまたククッと笑った。


 「奏さん、美人ですよ。プロポーションもいいし。僕の彼女です、て連れ回せたら自慢でしょうね」

 「あ、あんた、その顔でそんなこと言う?」

 「言ったでしょ? 僕、男も女もいけるんです」

 「……ドン引きなんですけど」

 「ここ数日寒いですしねえ。温め合うのもいいんじゃないですか?」

 「いやよ!」


 本気で悪寒がした。そして、「ああ、だめだ」と思った。

 零がメンテナンスをして音はしなくなったはずなのに、耳の多くでキリキリと音がし始めた。その耳障りな音を振り払うように私は頭を振り、耳を塞いだ。

 だけど、音は消えてくれない。キリキリ、キリキリと音がする。いやだ、いやだ、この音は嫌だ。


 「どうしました?」

 「車輪がうるさい」

 「え? 音してませんけど……」

 「するの、うるさいの! ああもう、いやっ!」

 「おかしいですねえ」


 零は首を傾げつつも車椅子を止めようとはしなかった。

 キリキリ、キリキリと音が続く。

 その音は、家に帰り、車椅子を降りるまで、ずっと鳴り続けていた。


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