21 車輪の音
キリキリ、キリキリと音がする。
──やめて。
その音を聞くとイライラする。痛くて苦しくて泣きたくなる。
動かない。動かない。
足が思う通りに動かない。逃げたいのに、嫌なのに、この痛みを受け入れるしかない。
やめて、やめて、やめて……
「やめてよ!」
叫びながら目を覚ました。心臓がバクバクする。苦しくて息が荒れる。
「大丈夫ですか?」
ゼエハアと肩で息をしていたら声がかけられた。
顔を上げると、零が静かな目でこちらを見ていた。相変わらず可愛い顔だ。これで男なんだから、世の中何か間違っていると思う。
「零……何してるの?」
「車椅子のメンテナンスです」
零が逆さまになった車椅子の車輪を回す。車輪は、キリキリと音を立てて回る。
「その音……きらい」
「だからメンテナンスしているんですよ」
零が手にしていたスプレー缶でオイルを吹きかけると、たちまち音が消えた。私はほっとし、次いでちょっと腹が立って枕を抱きしめる。
「……てゆーか、なんで私の部屋でしてるの?」
「車椅子がここにあるからです」
「仮にも乙女が寝てるときに、入ってくる?」
「仮の乙女なら、いいじゃないですか」
こういうのを揚げ足取りという。ほんとこの子、性格がひねくれている。
そう、その可愛らしい顔とは裏腹に、零はかなりアレな性格だ。なんというか、周りの人間をバカにしているというか、見下しているというか、はるか高みから見下ろしている感じだ。ただ、やたらと可愛い顔をしているから誤魔化されてしまうだけだ。
そう指摘してやると、零はククッといつもの笑いを浮かべて、「そんな風に見える奏さんがひねくれてるんですよ」なんて言う。
あー、ほんっと、ムカつく。
「あんたなんか、家に連れてくるんじゃなかった」
「僕を引き止めたの、奏さんですからね」
「……後悔してるわ」
十日前、零を連れ帰ってそのまま泊めた。男を家に連れ帰るなんて人生で初めてのことだったけど、見た目が見た目なので変な緊張はなかった。とりあえず私の服を貸すことにしたけど、零は「何もそれを選ばなくても」という、私の服の中で一番ガーリーで可愛らしい服を選んだ。
不思議の国のアリスをモチーフにした、フリフリのワンピースだ。なんでそんなものを持っているかというと……若気の至りなので、聞かないでほしい。
「お兄さんに、男だとバレないほうがいいでしょ?」
唖然とする私に零はククッと笑った。この笑い方も気にくわないが、「クセなんですよ。見逃してください」と言われてはどうしようも無い。
ちなみに、翌朝帰ってきた兄は見事に騙されてくれた。「高校の後輩です。受験に備えて、数学を教わりにきました」と息をするように自然に嘘をつくと、そのまま居ついて家政婦の真似事をしている。
「さて、車椅子はこれでいいですね」
零は車椅子を私のベッド近くまで持ってきてくれた。
「さ、起きてください。もうお昼ですよ。午後講義ですよね?」
「着替えるから外に出てて」
「手伝いましょうか?」
「あんたね……」
私が口を尖らせると、零はククッと笑った。
「女の裸なんて見慣れてますよ。何もしませんって」
「なに、あんたその顔で女の子を抱くわけ?」
我ながら下品な質問だったなと思ったが、零はまたククッと笑ってうなずいた。
「女でも、男でも。買われた回数なんて、もう覚えてませんよ」
「は?」
「僕、男娼だったんですよ」
一万回ぐらいまでは数えていたんですけどね、なんてうそぶく零。
冗談だよね、と思ったけど、見下すような零の笑顔が怖くて、それ以上聞くことはできなかった。




