14 下車
大阪を出ておよそ四時間。
夜通し走り続けた列車は、まもなく静岡駅に到着しようとしていた。
祐一さんが捧げてくれた思いを、僕はひとかけらも残さず受け取った。最後に「じゅるり」と少しはしたない音を立ててしまったが、まあ誰かに聞かれているわけではないからいいことにしよう。
「ちょっと……がっつきすぎたかな?」
僕は笑いながら体を起こした。
何もかもをあけっぴろげにして僕に晒してくれた祐一さん。僕は感謝の気持ちを込めて唇を重ね、そっと閉じてから祐一さんに毛布をかけた。
僕はベッドから降りると、水で濡らしたタオルで体を拭った。体のあちこちが汚れていた。こぼさないよう気をつけたつもりだったけど、ちょっと夢中になりすぎたみたいだ。
「さて、と」
椅子の上に畳んでおいた服を手に、取り身につけた。身支度を整え終えると、僕は椅子に座り、祐一さんに借りている物理学の本を開いた。
やはり、非常に興味深い。
ところどころ数式につまづき、意味がわからないところがあった。物理学を修めるには高度な数学の知識も必要か、と次に学ぶべきことを知り、それでもとにかく一通り読んでしまおうと決めた。
ガタゴトと電車が揺れる。
電車の中というのは本当に読書がはかどる。いくつか読み飛ばしたところはあったけど、横浜に着く少し前に読み終えた。
「ありがとう。すごく参考になったよ」
僕は大の字で横たわる祐一さんの枕元に本を置いた。言葉だけじゃ物足りないかな、と思い、お礼のキスをその額にした。もっとも、これにお礼を言ったりキスをしたって仕方ない。なにせもう抜け殻だ、中身はすべて僕が食い尽くした。
「ん、まてよ? だったら返す事ないか」
入門書とはいえ、一度読んだだけで理解できるほど薄っぺらい内容ではない。物理学を極めるのであれば、ここに書いてある事ぐらい理解して頭に入れておくぐらいでないとだめだろう。できればもう一度じっくりと読みたいものだ。
「というわけで、これ、思い出の品としてもらうね」
僕は祐一さんの枕元に置いた本を再び手に取ると、リュックに放り込んだ。その時初めて、本の裏側に名前が書いてある事に気づいた。どうやら祐一さんにとって大切な本らしい。
「ふふっ、じゃあ僕も大事にするとしよう」
列車の速度が落ちた。そろそろ横浜に着くようだ。
「さて、バカ正直に東京まで一緒に行くこともないか」
警察にでも見つかって連行されたら面倒だ。とっとと人混みに紛れて行方をくらますとしよう。横浜からなら乗り換えなしで東京に行けることだし、ちょうどいいだろう。
僕はリュックを背負うと、「じゃあね」と抜け殻にお別れを告げて部屋を出た。
「うーん、いい天気」
横浜駅のホームに降りた僕は、うんっ、と背伸びをした。小悪魔な美少女ごっこで肩が凝った。こんなの、もう当分ごめんだ。
「ええと、東海道本線か横須賀線のどっちか、だったかな?」
まだ朝の七時前だというのに、駅にはたくさんの人がいた。「ああそうか、今日は月曜日か」と思い至り、忙しく行き来する人間たちに「ごくろうさん」と頭を下げつつ、僕は次に乗る電車が到着するホームへ、のんびりとした足取りで向かった。




