第6話
まるで王の死を悼むかのように、季節外れの嵐がプリンシアを襲った。王の通夜が行われた晩のことだった。翌朝には何事もなかったかのように晴れ渡ったが、多くの作物が壊滅的な被害を受けた。
せめてもの救いは、海兎の忠告を聞き入れ、穀物を中心に収穫を早めさせていたことだろうか。
しかし、その海兎が災いを運んできたのだという噂が流れた。王の急逝とも重なるだけに、噂には尾ひれが付き、『金色の魔女』に仕立てられた状態でレオルプの耳にも届けられた。そうなると、評議会も黙ってはいない。民衆の疑念に応える形で、迅速な動きを見せた。海兎は、評議会の取り調べを受けることになったのだ。
即位式の日取りは決まっていないが、レオルプには既に王の権限が与えられていた。従って、王として評議を見守ることも可能ではあった。しかし、職務の引き継ぎに忙殺され、それどころではなかった。しかも、通夜には間に合わなかった遠方の有力者たちが、ひっきりなしに訪れ、見舞いの言葉を述べていく。これが数日は続くだろう。
海兎に関して、レオルプが助力できることは少なかった。
日が暮れ、多くのことから解放されると、レオルプは屋敷に戻らず、海兎が拘束されているという牢獄塔へと向かった。
牢番には労いの言葉を掛け、レオルプは重い扉を開けた。簡素な寝台に腰掛けていた海兎が、仄かな明かりの中で顔を綻ばせた。
「済まない、海兎。君を守ってやれなかった」
「そんなこと、気になさらないでください」
海兎は気丈に笑みを浮かべるが、立場は相当危ういはずだ。
海兎がプリンシア人とは違う容姿をしているだけでも、異端者として扱われかねない。しかも、結界を破って入国しているという事実もあった。その上で、王の死と、嵐の襲来に関する嫌疑が掛けられている。
「しかし、君を弁護できるとしたら私だけだ」
「お気持ちは嬉しく思いますが、間違っても王朝の秘事を漏らすようなことがあってはなりません。王朝の権威が揺らぎます。それよりも、嵐に備えることは出来ましたか?」
「ああ。全滅は免れた。君のおかげだ、海兎」
「良かった」
良くはない。予言の成就は、却って海兎の立場を悪くするだけだ。
「どうして君は……もっと自分のことを考えないのか?」
「考えていますよ。レオルプ様が私の身を案じてくださるので、嬉しいです」
牢獄には似つかわしくない、嬉々とした笑顔だった。
「君は分かってない。どれほど自分の立場が危ういかを」
「大丈夫です。私が眠っている間にも、私を待ってくれている人がいました。その人は、二十年前の約束を忘れずに、ずっと待っていてくれたのです。本当は、少し不安でした。昔の約束など、疾うに忘れてしまっているかも知れない。でも、その人は、会うなり私を抱き締めてくれました。だから、大丈夫です」
「そんなの」
言葉が続かなかった。
「そんな顔をなさらないでください。お別れが言いにくくなります。いえ、今夜、レオルプ様がいらっしゃらなければ、言わないつもりでした。明日、評議会で私は消えます。消えると言っても、彼らが私を認識しなくなるだけですが。そうすれば、牢番に責任が及ぶこともないでしょうから」
海兎が、消える? そこまでは考えていなかった。海兎がプリンシアの退魔師と異質であることは感じていたが、レオルプが知らない力を他にも隠し持っているということか。底が、全く見えない。ああ、そうか。だから、畏れを抱くのか。
自分は、どうだろう。海兎に対し、畏れを抱いているだろうか。
金色の髪。山吹色の瞳。それが、なんだ。ただ、見慣れていないだけではないか。いや、もう見慣れた。海兎が母の遺品を身に着けていることにも抵抗はない。海兎が気に入ってくれるなら、もっと与えたいと思うほどだ。もし、畏れを抱いているなら、そんなふうに思うはずがない。畏れは、抱いていないはずだ。
「海兎、行かないで欲しい。どんなことをしても君を守る。だから――」
「簡単に仰有るのですね」
「簡単じゃない。揺らぐことのない決意だ」
「私の決意は、ピラール様の最期を見届けたら去ることです。あなたが生まれる前から決めていました」
「ならば、その決意は無効だ。私と出会ったのだから」
「それは理屈というものです」
海兎が小さな溜息をついた。
「いいや、君が感じる番だ」
レオルプは、海兎の小さな身体を抱き締めた。
言葉とは不便なものだ。想いの半分も伝わらない。それは恐らく、自分が半分も理解していないからだろう。ならば、今だけは衝動に身を委ねよう。王として、最初で最後の我が儘だ。
「私は間もなく眠りに就きます」
「目覚めるまで待つ」
「いつ目覚めるか分かりません」
「君にとっては一瞬だ」
「目覚めたら、あなたを忘れているかも知れません」
「好都合だ。私の嘘を君は見抜けない」
「なんですか、それ」
海兎が笑った。
レオルプも笑った。自分で言っておきながら妙に可笑しくて、海兎から離れても、まだ笑顔が続いた。頬が、痛い。なんだか、ずっと笑っていなかったように思えた。




