第5話
朝靄の中で、レオルプは楡の木に寄り掛かっていた父を見付けた。既に事切れていた。その死に顔は穏やかで、苦悶の色は一欠片も見て取れなかった。
外傷はない。毒を盛られたならば苦悶の表情が浮かんでいるはずだ。そうなると、殺されたわけではないようだ。しかし、自然死として片付けるには不自然すぎる。なぜ寝室ではなく、庭で死んでいたのか。
考えてみれば、昨晩の父は、どこか少し変だった。なぜ急に「私が明日倒れたら」などと言い出したのだろう。或いは、そのとき既に死を予感していたのか。
次から次へと湧く疑問が、レオルプに悲しみを与えなかった。
葬儀の手配を執事に任せ、レオルプは父の書斎に足を運んだ。何か、手掛かりを残しているはずだ。遺書でも見つかれば、話は早いが。
机の上に、それらしきものはなかった。次に、箪笥の引き出しを漁る。古い訴状が、ぎっしりと詰まっていた。これを律儀というのだ。裁判記録としては、書記の手で書かれたものが残るので、訴状そのものは判決が下された時点で焼き捨てられるのが普通だ。にもかかわらず、父は下手くそな字で書かれた訴状まで個人で保管していたというのか。
扉を叩く音が、レオルプを現実に引き戻した。少し感傷的になっていたことに気付く。
「レオルプ様、いらっしゃるのでしょう?」
海兎の声だった。
「開いている」
扉が、ゆっくりと開かれた。
「お話があります」
悲しみに暮れるわけでも、取り乱すわけでもない、海兎の何かを秘めたような眼差しが、レオルプを静かに射貫いた。
「聴こう」
望むところだ。海兎が何かを知っているならば、語って貰う。レオルプは逸る気持ちを抑え、父が愛用していた椅子に浅く腰掛けた。
ゆっくりと部屋に足を踏み入れた海兎が、後ろ手に扉を閉める。嵐は、まだ来ていなかった。
「最初に、ルパルナイ王朝繁栄の秘事を、話さなければなりません。本来なら、ピラール様から直々にレオルプ様へと語り継がれるべき事柄ですが、どういうおつもりか、ピラール様はその任を私にお与えになったのです。ピラール様にとっては終わったことだったからなのかも知れません。記録に残っていないので正確な始まりはピラール様も御存じなかったようですが、ルパルナイ王朝は何代も前から、繁栄のために生け贄を捧げてきました。災厄の壺、と呼ばれる儀式です。災厄を呼び寄せる体質の者は、本来なら他に降り注ぐべき災厄をも呼び寄せてしまいます。より大きな不幸を、ひとりで背負う羽目になるのです。しかし、そのような者は滅多に現れません。現れたとしても、早死にすることでしょう。儀式を考えた人間は、人為的に災厄を呼び寄せる術を見いだしました。災厄が災厄を呼ぶならば、敢えて災厄を溜めておけばいい、と。そして、器から器へ水を移し替えるように、災厄を移し替えるというのです。災厄の壺となる人間は、なるべく器の大きい子供が選ばれました。その家族にも、事実は伝えられません。神隠しにあったと思い、諦めて貰うのです。災厄の壺とは、ひとりがプリンシア全土の災厄を引き受けることによって、プリンシアから大きな災厄を取り除くという儀式でした」
「そんなことをしたら、その子供は長生きできず、不幸なまま死ぬことになるのではないのか?」
さすがに憤った。おぞましい話だ。
「はい。大抵は、災厄を移し替える儀式のさなかに命を落とします」
「そんな馬鹿げた話が、ルパルナイ王朝の秘事だというか?」
「ですから、ピラール様は、代々受け継がれてきた儀式を御自分の代で終わらせることにしたのです。しかし、ピラール様が即位された頃のプリンシアは、まだ貧しく、等しく災厄が降り注ぐことになれば、国そのものが傾きかねませんでした。そこで、ピラール様は自らを災厄の壺とされたのです。私は、ピラール様の器を見て、二十年は持ちこたえられるだろうと判断しました。すると、ピラール様は、二十年もあるのか、と喜ばれました。私は、ピラール様の命が削られていくことを承知で、儀式を行いました。そして昨夜、災厄を浄化する儀式のさなか、ピラール様は命を落とされました」
話し終えると、海兎は大きく息をついた。
「何を信じていいか、分からなくなってきた。私たちが享受してきた幸せは、報われることのない犠牲者の上に成り立っているというのか。この目で見てきた世界は、本来の姿ではなく、人為的に歪められたものだったというのか。何を得て、何を失ったのか。私は、どうすればいい?」
「すぐに答えを出す必要はありません。ただ、王として生きることだけはお選びください。ピラール様はそれをお望みになりました。レオルプ様、どうか王道を――」
「しばらく、ひとりになりたい」
全身が重くなるような疲労感に襲われていた。自分が、何を背負っているのかも分からない。しかし、重みで押し潰されそうになる。なんだ、この重みは。
レオルプは右手で顔を覆い、ゆらりと立ち上がった。覚束ない足取りで、自室まで戻ったことは覚えている。それから夕刻までの記憶が飛んでいた。




