13. 不可解なやりとり
「陽奈ちゃん、大変申し訳ございませんでした……」
鬼のような形相で帰った陽奈のもとに、床にひれ伏し謝罪の言葉を口にする父の姿が映った。
なぜ陽奈の名を語り、朝倉課長にプレゼントやアプローチを繰り返したのか-----父親は大層朝倉と言う人物を気に入っていたらしく、陽奈の婿になればいいのにと思ってやったとのことだった。
そう言えばやたらと社内の人とお見合いをしないか、と陽奈に薦めていた。その人物も朝倉のことだったらしい。(そう言っても、朝倉本人からも断られていたようだ)
初めは軽い気持ちで“陽奈が気に入ったみたいだ”と朝倉本人に伝えてしまったために、今更本人からではないと引っ込みがつかなくなって、いつか陽奈が本当に気に入るかもしれないという思いを胸に、ここ何年も一人で続けていたらしい。
ある意味、すごい忍耐を感じる。
「どうしてここまでして、あの人にこだわったの?」
「……」
「本人も嫌がってたみたいだし……そりゃ見た目はちょっといいかもしれないけど、なんか冷たそうな人だったし、そこまでする価値あるの?」
少々失礼とも取れない発言だが、本心からそう思うのだから仕方ない。
「それは……」
「僕もぜひ聞きたいですね~……」
こちらの顔色を窺うようにしどろもどろとなった父に、切り込むように爽が口をはさんだ。
「僕のことまで騙してまで、押し通そうとしたわけですから……それ相応の理由がお有りなんでしょうね?」
陽奈に加勢してくれているにしては、少々険悪な雰囲気に見えないでもない口調で、爽は父親にそう言い放った。
陽奈が朝倉に片思いしていたという話は、転勤先までと届くほど有名な噂だったらしい。現に爽は陽奈が長年片思いをしているという噂を信じていたようだったし、噂には尾ひれが付くものだと考えると、その内容は陽奈が考えるよりももっと激しいものだったのかもしれない。そう考えると、ぞっとする。
しかし今回は爽がそう思い込んでくれたおかげで、今回父の悪行をとっちめることができたのだ。事実であれ、嘘であれ、爽には直接は関係のないことかもしれない。しかしこうして、陽奈に付き添って自分のことのように父親を追及してくれる爽の姿は、陽奈のとこを心配してくれていたのだということが感じられた。
「爽くん……ここは少し冷静に……」
「まさか、おじさんまで僕の父さんのような子供じみたこと考えてた……なんて言いませんよね?」
「……っ!」
「図星ですか? 呆れた……。まったくあんたら何歳だと思ってんですか。いい大人が……娘まで巻き込んで情けないと思わないんですか?」
図星……巻き込む?
「……なんのこと?」
父と爽のよくわからない会話に口をはさむと、父親は焦ったように「陽奈……違うんだ。パパは陽奈に良かれと思って……」とつぶやいた。
もし先ほどのことを言っているとしたら、まったくに”良かれ”とは程遠い。
しかし陽奈に問い詰められて謝罪した時でも、落ち着いた様子だった父親が、ここにきて明らかに、爽の言葉に動揺している。完全に爽に押されているのだ。
「手塩にかけて育てた愛娘を、取られたくないってのは分かりますよ。でもやり方ってものがあるんじゃないですか……まあおじさんが考えそうなことぐらい予想できますけどね……大方、朝倉課長を婿養子に……とか考えてたんでしょう?」
「なっ、んで、それを!?」
「前に僕に言いましたよね……一人で頑張ってきた気骨な青年だって。でも甘いんですよね……詰めが。だって、朝倉課長は絶対に婿養子には来ませんよ」
「……なぜ、だ……?」
「朝倉課長は社長の甥ですよ?」
「……は?」
「まったく……そんなことも知らないんですか? しかも課長は、おばあさんの事業もいずれは継ぐつもりの、バリバリの御曹司ですよ。そんな人が、わざわざただのサラリーマンの婿養子になんか来るはずないでしょ……」
「……なっ、なっ……」
「それに朝倉課長の性格を考えてくださいよ。どう考えてもおじさんに従順な婿になりえるわけないでしょ……結婚後の同居なんてきっと夢のまた夢ですよ。まったくくだらない。そんなこともわからずに……」
「知らな……かった……」
「……でしょうね。でも一番は腹が立つのは、おじさんが陽奈の気持ちを無視したことですね……陽奈の知らないところでこそこそと最低ですよ。……おじさんも……父さんも……陽奈は物じゃないんです」
あ……れ?
爽はそう言いながら陽奈の父親に、冷ややかな視線を送った。
……怒ってる?
爽と父親の話の内容をすべて把握できたわけではない。しかし今言った言葉……これは確かに陽奈のために怒ってくれているようだ。
「父親なら……どんな場合でも、陽奈の気持ちを一番に考えるべきです。陽奈は関係ない……。おじさんが僕を嫌う気持ちもわかります。どうしても父と比べてしまうなら、どうぞご勝手に。でも陽奈を巻き込んでこれ以上こんなくだらないことを続けるなら、僕は黙ってませんよ」
「黙ってない……って、まさか……!? ダメだ……爽くん……あのことはっ!」
「……この期に及んで、それですか? 人を騙しといて……」
「それとこれとは別だ! 約束は約束で……」
父親は必至の形相で、爽に捲し立てた。爽はそんな父親を一層冷徹な視線で睨み付ける。
「約束……ですか?」
「当たり前だ!」
「父さん……この辺でやめといたら?」
突如、二人の会話にやんわりとした太一の言葉が割って入った。先ほどから、半分ほどしか二人の会話を把握できないでいただけに、陽奈は驚いてそんな太一に目を向ける。
太一は明らかに呆れたような表情を浮かべ、父親を見据えている。
「これ以上続けても無駄だって。そもそも爽の言うように、父さんが出る幕じゃ……」
「太一! 黙ってなさい。これは父親としての意地だ……」
「意地って……」
さらに呆れたようにため息をついて、何か言おうとした太一の言葉に重なるように「いいですよ」と言う、爽の言葉が響いた。
「おじさんがそのつもりなら、きっちり守らせてもらいますよ。ただし-----それでも僕が勝ち取った場合はそれ相応の覚悟をしててくださいね。有無を言わさず攫いますよ。この言葉お忘れなく」
爽はそうきっぱりと言い切ると、そのまま踵を返しリビングのドアのほうへ向かって歩いていく。その様子を茫然と見つめる父親の姿があった。
約束? さっきからいったい何の話をしているんだろうか?
二人の間には陽奈の知らない何かがあるようだと思う。飄々として言い放つ爽に反して、必至の形相の父親……それはいったい何を意味するのか……
そう考えた陽奈の後ろから、その緊迫した場にそぐわない母親のんびりとしたと声が響いた。
「爽くん! まってちょうだいな」
その声とともに母親が爽に駆け寄り、その腕を取った。驚いて振り向いた爽に、あたたかく笑いかけて、何か声をかけている。その言葉に戸惑う爽の腕を持ったまま母親は振り返り、その様子を見つめる陽奈を呼んだ。
「陽奈ちゃん、爽くんを送って行ってあげなさい」
「へ……?」
「あ……その前に。爽くん、お腹すいてない? 今日の夕食、大目に作ったから少し持って帰りなさいよ。今タッパに入れてあげるから……ほら、こっちいらっしゃい。好きなの選んで……」
母親はそういうと、「陽奈ちゃん、少し待っててねぇ~」と言って、強引に爽を連れてキッチンへ行ってしまった。
なんなの?
残された陽奈はそんな二人の姿を追いながら、首をかしげる。ソファーのほうから、ぶつぶつと父親が何か独り言をつぶやいている声が耳に入った。
父親はパニックになると、自分の世界に入ってしまう傾向にある。そんなとき陽奈が、何を言っても聞いておらず無駄足となる。
先ほどのことをいろいろと聞いてみたかったのに……無理そうだと、諦めることにした。
爽と父親。まったく接点がないように思ってたが、そうではなかったらしい。
同じ会社で働いている上司と部下なのだから、そういう意味ではおかしくないのかもしれないが、爽が先ほどから何度も繰り返していた”父さん”というフレーズに違和感を感じる。
それに-----ー僕のことを嫌う……”?
パパが……どうしてそうちゃんを嫌うわけ?
もしかして、爽の父親と陽奈の父親と爽との間には、何か……? まったく不可解な疑問をあれこれと考えていると、突然背後から肩を叩かれた。
「太一……」
「なかなか面白いやり取りだったね~」
「……どこが面白いのよ」
「父さんも悪あがきすればするほど、不利になるってわかってないんだよね~」
「どういう意味? 太一は何か知ってるの?」
「知ってるって?」
「とぼけないでよ! 約束がなんとかって……それに、小次郎おじさんのことだって……っ!」
「……ああ。う~ん……でもなあ……」
「何よ、知ってるなら教えなさいよ!」
「……爽のことは爽から聞けば?」
「え?」
「説明すんのめんどくさいし」
「太一!」
「だってさぁ……父さんと爽のことは男の約束ってやつでしょ。僕からは言えないよ。小次郎おじさんのことだって、知らないの陽奈ぐらいのものだし、くだらない意地の張り合いだから聞くだけ無駄だって」
「なっ、なんで私だけって……」
「いいじゃん。今更、関係ない関係ない。爽も気にしすぎなんだって……それよりさ……」
何なのよ!
自分がちょっと知ってるからって、ひどいまとめ方だ。
まったく……人の気持ちとか、無視して……っ!!
「何よ!」
「ほら……なんとかって課長のこと、嘘だったんだね」
「あ-----太一も知ってたの!?」
「知ってたっていうか……何か誤解があるんだろうなぁとは思ってたけど」
「もうっ……言ってよね!!」
「……ていうか、そっちこそ知らないなんて思わないでしょ?」
「それが、知らなかったのよ……」
「まあ、陽奈だしね、仕方ないか。……でも、ホッとしたよ」
「何が?」
どうして太一がホッとするのというのだ。
人がどうなろうと関係ないと思っているくせに……
「まあ……陽奈もそろそろ覚悟も必要かもね」
「は?」
そう言うと太一は、嫌味な笑顔を陽奈に向けて「母さん~爽のタッパに柚こしょう振りかけときなよ~浮かれてるから目覚ましてやらないと~」などと叫びながらキッチンの二人のもとに割って入って行った。
そんな太一を見つめ、陽奈は眉を顰めた。
は? なんの?
陽奈は頭の中でその疑問を繰り返しつつ、ただ首を傾げてその風景を見入っていたのだった。




