第60話:砕かれた檻と、放たれた七つの災厄
システムの敗北
「ガラクタが。脆すぎるぞ」
蓮が握り潰した管理者の一体は、断末魔のノイズすら上げられずに爆散した。
残る二体の管理者が、即座に距離を取る。彼らの無機質な思考回路の中で、致命的なエラー警告が鳴り響いていた。
『対象の危険度、測定不能。排除不可能と判断』
彼らは悟った。このEランクの少年は、もはやシステムの制御下にある「バグ」ではない。システムそのものを捕食し、書き換える「新しい理」になりつつあると。
『作戦変更。コード:パンドラ。次世代管理者権限の緊急射出へ移行する』
二体の管理者が、戦闘態勢を解き、互いの身体を連結させた。
彼らの背中にある光輪が、異常な高熱を発して回転し始める。
「自爆か? 無駄だ」
蓮は冷ややかに言い放ち、漆黒の義手に魔力を溜めた。彼らの自爆特攻など、この『虚空の右腕』の前では爆竹程度にしかならない。
放たれた六つの光
だが、管理者たちの狙いは、蓮への攻撃ではなかった。
彼らは自らの構成概念である「世界を管理する権能」を分解し、六つの種子へと圧縮した。それを、蓮がこじ開けた「次元の裂け目」を通して、現実世界へバラ撒こうとしたのだ。
『我らが滅ぶとも、システムは維持される。新たな代行者を選定し、覚醒させよ』
シュン、シュン、シュン……!
管理者たちの身体から、六色の光弾が放たれた。それらは蓮を迂回し、恐ろしい速度で裂け目へと吸い込まれていく。
「逃がすかッ!」
蓮は反応した。右腕を振るい、光弾を撃ち落とそうとする。
漆黒の衝撃波が、光弾の軌道を薙ぎ払う。
しかし、その衝撃が予期せぬ化学反応を引き起こした。
蓮の放った「虚空の魔力」が、六つのうちの一つの光弾に直撃し、それを粉砕するどころか、融合してしまったのだ。
さらに、その衝撃で裂けた魔力の余波が凝縮し、本来存在しないはずの「七つ目の光」が生まれてしまった。
計七つの光は、蓮の追撃を振り切り、次元の裂け目の彼方――現実世界へと飛び去っていった。
気づかぬままの勝利
「チッ……」
蓮は舌打ちをして、右腕を下ろした。
目の前の管理者たちは、力を放出しきって抜け殻となり、灰のように崩れ去っていた。
「最後っ屁のつもりか。魔力を地上に逃がして何になる」
蓮は、それが「新たな敵を生み出す種」であることには気づかなかった。単なるエネルギーの放出か、あるいは管理者としてのデータを本部に転送した程度にしか思っていなかった。
「まあいい。お前たちが消えれば、それで十分だ」
蓮は、興味を失い、背を向けた。
彼が知らない現実世界では、今まさに七つの流星が降り注ぎ、七人の「選ばれし適合者」――あるいは「最悪の怪物」を誕生させようとしていた。
だが、今の蓮にとって重要なのは、世界の運命ではない。
目の前で待つ、たった一人の女性だけだった。
砕ける永遠
蓮は、ユリアが眠る巨大な水晶の柱の前に立った。
「終わったよ、ユリア」
蓮は、漆黒の義手を水晶に当てた。
かつては絶望的に硬く、冷たかった永遠の檻。だが今の蓮には、薄いガラス細工のように感じられた。
「……圧縮」
パリンッ……。
微かな音が響き、水晶全体に亀裂が走る。
次の瞬間、柱は粉々に砕け散り、光の粒子となって霧散した。
中から放り出されたユリアの身体が、重力に従って倒れ込む。
蓮は、それを左手と、右の義手で優しく受け止めた。
「……っ」
冷え切っていたユリアの身体に、蓮の体温が伝わる。
停止していた彼女の時間が、再び動き出す。
おかえり
ユリアの瞼が、微かに震えた。
長い、長い睫毛が持ち上がり、透き通るような紫色の瞳が、蓮の顔を映した。
そこには、片腕を失い、ボロボロになり、それでも優しく微笑む主君の姿があった。
「……神崎、殿?」
ユリアの声は、何年も使っていなかったように掠れていた。
「ああ。僕だ」
「ここは……。私は、貴方を逃がして……」
ユリアは、混乱する頭で周囲を見た。色のない世界。そして、駆け寄ってくるセラフィナ、リサ、フィーネの泣き顔。
状況を理解するよりも早く、彼女の目から涙が溢れ出した。
「夢では……ないのですね?」
「夢じゃない。君を、地獄の底から引きずり戻したんだ」
蓮は、ユリアを強く抱きしめた。
「遅くなってごめん。……おかえり、ユリア」
「……っ! 蓮様ぁぁぁ……ッ!!」
ユリアは、騎士としての気丈さをかなぐり捨て、蓮の胸で子供のように泣きじゃくった。
リサたちが抱きつき、五人は一つになった。
永遠に失われたはずの絆が、概念をもねじ曲げる執念によって、再び結ばれた瞬間だった。
帰還、そして
「帰ろう。僕たちの国へ」
蓮たちは、崩壊を始めた「悠久の狭間」を後にし、次元の裂け目へと飛び込んだ。
彼らはまだ知らない。
彼らが戻る世界には、七つの災厄がばら撒かれ、新たな混沌の時代が幕を開けようとしていることを。
そして、蓮自身が「神喰らい」として、世界のシステムから「最大脅威」に認定されたことを。




