第58話:奈落の彼方と、凍てつく世界
王の出陣
地下アジトでの休息を終え、蓮たちは再び教会の地下工場――「奈落の大穴」への入り口がある場所へと戻ってきた。
そこには、パラガスと革命軍の幹部たちが見送りに来ていた。
「蓮様。地上の方は我々にお任せを。貴方が戻られるまで、この国という腐った果実を、地面に落とさぬよう支えておきましょう」
パラガスが、片眼鏡を光らせて恭しく一礼する。
蓮は、漆黒の義手を軽く掲げて応えた。
「ああ。頼んだぞ、パラガス。僕が戻る頃には、この国を『更地』にしておくつもりだ。新しい建国の準備をしておけ」
「御意」
短い言葉の中に、王と家臣としての信頼があった。蓮は背を向け、崩壊した魔力炉の前へと歩み出した。
境界の突破
蓮は、暴走の危険を乗り越え、完全に制御下に置いた『虚空の右腕』を構えた。
「開け」
短い詠唱と共に、義手から天使の純白の魔力と、蓮の漆黒の魔力が混ざり合った、灰色の光が放たれた。
空間がガラスのように砕け、以前よりも巨大で、安定した「次元の裂け目」が口を開けた。
ヒュウゥゥ……と、あの世からの冷たい風が吹き荒れる。
「行こう。この風の向こうに、ユリアがいる」
蓮は振り返り、三人の仲間に頷いた。
「はい、蓮様。どこまでも」
セラフィナが剣を抜き、リサが身を低くし、フィーネが杖を掲げる。
四人は、躊躇なくその暗黒の裂け目へと身を投げた。
概念の激流
裂け目の内部は、上下左右の感覚がない混沌の空間だった。
「くっ……! 圧力が、凄い……!」
リサが呻く。そこは、物理的な肉体を持つ存在が通ることを許されない、概念の通り道だった。強烈なGと、存在そのものを摩耗させる風が襲いかかる。
「『安寧の概念』、展開! 私たちの存在を、世界から隠蔽します!」
フィーネが叫び、淡い光の膜で全員を包み込む。彼女の加護がなければ、瞬く間に魂ごと消滅していただろう。
「邪魔だッ!」
前方から、空間の防衛システムのような幾何学模様の障壁が迫る。
蓮は、右腕を振るった。
「失せろ、ゴミが」
天使の力を宿した右腕が、障壁を紙のように引き裂く。蓮たちはその穴を潜り抜け、光の速度で落下――あるいは上昇していった。
静止した世界
唐突に、視界が開けた。
轟音と圧力が消え、完全な静寂が訪れる。
蓮たちは、硬質な白い地面に着地した。
「ここは……」
セラフィナが息を飲む。
そこは、色が失われた世界だった。空は灰色で、太陽も月もない。地平線の彼方まで、水晶のような巨大な柱が、墓標のように無数に林立している。
風も吹かず、音もない。時間という概念が死滅した場所。
ここが、世界の管理者によって排除されたものたちが送られるゴミ捨て場、『悠久の狭間』だった。
「寒い……。気温のせいじゃない。世界そのものが冷たい」
リサが体を震わせる。
蓮は、立ち並ぶ水晶の柱の一つに近づいた。
中には、見たこともない異形の魔物や、古の装備を纏った人間が、氷漬けのように閉じ込められていた。彼らは死んではいない。永遠に「その瞬間」を固定され続けているのだ。
「これが、神の慈悲か。殺しもしない、生かしもしない。ただ『無かったこと』にする牢獄」
蓮の胸に、激しい怒りが再燃する。
ユリアは、こんな場所にたった一人で閉じ込められているのか。
魂の羅針盤
「リサ。ユリアの気配は分かるか?」
蓮が問うと、リサは鼻をひくつかせ、獣の耳を澄ませた。
この広大な虚無の中から、たった一人を探し出すのは至難の業だ。だが、リサは蓮との絆、そしてユリアへの想いを研ぎ澄ませた。
数分後、リサの瞳が一点を見据えた。
「……微かだけど、匂いがする。鉄と、血と……蓮様への『忠誠』の匂いが」
リサが指差したのは、この墓場の最深部、一際巨大な柱が立ち並ぶエリアだった。
「あっち。間違いない。ユリアはあそこにいる!」
「よし」
蓮は、漆黒の義手を握りしめた。
「迎えに行くぞ。管理者が何体出てこようが、全員この腕の餌にしてやる」
蓮たちは、凍てつく静寂の世界を駆け出した。
その足音だけが、この死んだ世界に響く唯一の「生」の音だった。
物語は、ついに再会の刻へと動き出す。




